13 沈黙令嬢の訪問
学園が夏期休暇に入ったある日。
ムザーク公爵のタウンハウスは、ある若き淑女の訪いを受けた。
それは王立第一学園の誇る美しき女生徒、アドラータと並ぶ美の双璧。
「シレーティナ・スキレタケールです。
本日は訪問を許してくださり、感謝いたします」
口上を述べ、優雅に一礼する。
外国住まいが長かったため、母国語であるにも関わらず、正確だが生硬な言葉遣いだった。
「ようこそおいでくださいました、シレーティナ様。
改めまして、ムザーク公爵が一女、ユーティルフェでございます。
お話がある、とのことでしたが……」
ユーティルフェが挨拶を返す。
学園とは違い、眼鏡をかけているものの髪を下ろし、繊細なレースを多用したティードレスを着ている。
夏の日差しをレースのカーテンが遮るサンルーム。
茶器と菓子が用意されたテーブルを挟んで2人が座っている。
開けた窓から清々しい風がそよぎ、2人の髪がさらりと揺らぐ。
折り入って話があるということで、召使いはあらかじめ遠ざけられていた。
「はい。先日、従兄弟のマオロ・ペルフェクティが、私に手紙を送ってきました。
生徒会に宛てたものとは別に」
「手紙を」
「長い手紙でした。
内容のほとんどは、貴女への思いの丈を綴るものでした。
貴女に婚約者がおられることは重々承知していますが、お伝えするのが適当であると判断して、こちらにうかがいました」
ユーティルフェが、困惑の瞳を向ける。
「ええと……前から不思議だったのですけれども、シレーティナ様とペルフェクティ様は、恋人同士では」
「ないです」
光の速さで否定した。
「ばっさり……」
「そういう噂はありますが、違います。
彼は、私が母国語に不慣れなので、面倒を見てくれているだけです。
2人でいると目立つので、噂になりますが、それほど一緒にいるわけではありません」
「そうなのですか……。
はい、分かりました。ペルフェクティ様のお手紙を読ませていただきます。
現物をお持ちなのですか?」
「いいえ。他の者に見られると問題なので、私が暗記した内容を口頭で伝えさせていただきます。
始めてよろしいでしょうか?」
「お願いします」
ユーティルフェはうなずく。
部屋に、美しい声が響いていった。
『親愛なるシレーティナ嬢
突然こんな手紙を送りつけて申し訳ない。
ラウルス殿下に手袋を投げた時、いや、そのずっと前から僕は混乱している。
あまりに心が千々に乱れているため、自分の心を整理するためにこれを書いている。
迷惑だとは思うが、従兄弟からの頼みということでしばし付き合って欲しい』
「あの……」
「はい」
「ペルフェクティ様って、こういう手紙を送るようなお友達は、他にいらっしゃらないんですか」
「いないようです」
マオロの交友範囲は広く、多くの生徒から尊敬もされるのだが、腹を割って話ができる親友はいなかった。
なまじ優秀であるために、周囲が敬して遠ざかっていたのだろう。
恋愛相談ができるような友人がいれば、今回のような暴走は起きなかったかもしれない。
「同じ学園に通っていて、血の繋がりがある私しか、立ち入った話のできる相手がいないようです」
「そ、それは……何というか残念ですね」
「私も残念に思います」
『今まで僕は、自らを知的で冷静な人間だと自惚れていた。
なんと幼稚なことだろう。それはただ単に、己の理性を試されることがなかっただけだ。
彼女が詩人エウテルペーだと知った瞬間から、思えば僕は恋の虜であった。
あの、幾重にも重ねられた言葉が綾なす豊穣の詩の世界。あの知性と芸術の精髄が、あの小柄で可憐で優雅で思慮深く優しく思いやりと殿下に諫言する勇気がある女性に宿っているとは、奇跡としか言いようがない。
あと100年生きたって、あれほどの女性に巡り逢えることはないと断言できる。
彼女と並んで歩きたい。もし彼女と10分間共に散歩できたなら、その尊さで寿命が10年は縮むだろう。
いや、逆に言うと寿命を10年支払えば10分散歩ができるのか……それなら30年払ってもいい。いや40年だ。
そして生徒会と関係のない話をしたい。やはり詩の創作裏話だろうか。創作者に対してそのような話をするのは失礼にあたるのだろうか? 女性の好みそうなお菓子や服飾の話の方がいいだろうか。
そして彼女と……』
「この後も妄想が延々と続くのですが、鬱陶しいので省略します」
「あっ、はい」
異性の従姉妹に対して、長々と別の女性への片思い妄言ポエムを書いて送りつけてくる男、マオロ。
もらった側はどんな気持ちで読めばいいのか。迷惑すぎる。
『だが、この気持ちは始まった瞬間に終わることが約束されていた。
彼女はラウルス殿下と婚約している。
これは道を外れた恋だ。
僕はそれを認めることができなかった。
だからこの気持ちは、尊敬する詩人に直接会うことができた喜びでなければならなかった。
尊敬しているからお近づきになりたい。尊敬しているから幸せになって欲しい。尊敬しているから……。
だが、そんな自己欺瞞にも限界がある。
ラウルス殿下。
あの人の婚約者である彼が憎い。
あの人の婚約者である彼が羨ましい。
あの人をないがしろにする彼が憎い。
あの人をないがしろにしているのにあの人と結婚できる彼が、羨ましい。
彼がいなければ、あるいは自分が。
それはどこまでも浅ましい嫉妬だ。
せめて彼があの人を愛してくれれば。
あの人が彼を愛していたならば。
自分の欲よりもあの人の幸せを願うだけの矜持はまだ持っている。
まだ諦める理由になっただろう。
だが、それもできない。
こんなにも好きなのに。
僕の願いは絶対に叶わない』
オーディアンの推測は正しかった。
若く生真面目であるがゆえの潔癖さ。それが彼を狂わせた。
今苦しくとも、いずれ思い出に変わる──そんな俯瞰的な視点など存在しない。
この瞬間しか存在しない。
今この恋が叶うか、さもなくば死というところまで思い詰めてしまった。
『ラウルス殿下に手袋を投げたのも、ユーティルフェ嬢の名誉のため以上に、僕個人の我欲があった。
殿下への嫉妬と憎しみ。
合法的な殺人として決闘を利用しようとしたと言われれば、否定はできない。罰は甘んじて受ける。
残念ながら、ムザーク家にもペルフェクティ家にも敵はいる。僕への罰が重くなる可能性は低くはない。
僕をかばってくれる人々もいるそうだが、互いに繋がりはない。大きな動きにはならないだろう。
修道院にでも送られるか、貴族籍を抜かれて一生幽閉か……。死罪に至る可能性もあるだろう。
だが別にそれでも構わない。
あの人と結ばれないなら、命があっても何になる?
どうか、僕を無理に庇うよりは切り捨てて、ムザーク家とペルフェクティ家へのダメージを最小限に抑えて欲しい。
両親と兄たちにはそう言っているのだけれど、いっかな聞いてはくれない。いい家族を持って幸せだとは思うが、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。君からも言ってやって欲しい。
こんな手紙を送りつけてすまない。
不敬なことも書いてある。適切に処分してもらえるとありがたい。
言いたいことはあらかた書いた。もう思い残すこともない。
最後まで付き合ってくれて感謝する。
──マオロ・ペルフェクティ』
宣言通りに長い、手紙の暗誦が終わった。
ユーティルフェはしばらく絶句していた。
「ペルフェクティ様は、それほど……絶望……なさっているのですか……」
「はい。ユーティルフェ様を求めて得られないから」
「ど、どうして、わたしなんかを……いえ、わたしを、そこまで……」
「なんか」という言葉を訂正した。
マオロがかつて言った言葉。
ご自分を卑下する言葉で、どうか自身を傷つけないで下さい。
「恋に理由がありますか。
恋はただ、そこに生まれるだけです。誰にも説明も操作もできません」
「シレーティナ様、何故、わたしにこのことを?」
「私は、このような面倒くさい拗らせが、嫌いだからです」
「面倒くさい……嫌い……」
はっきりしすぎる意見に、ユーティルフェが若干引く。
婉曲な言い回しができないので、言葉に容赦がなかった。
「彼は諦めています。
私は、彼に、足掻いて欲しい。
彼に、生きて欲しい。
ユーティルフェ嬢、いえユーティルフェ様、お願いします」
孤高の花、誇り高く美しき『沈黙令嬢』シレーティナ・スキレタケールが、最大の懇願をこめて、深々と頭を下げた。
「どうか彼に、心を奮い立たせる一撃を。
もし政治闘争に敗れるとしても。
恋が実らないにしても。
彼に今一度、戦う気力を与えて欲しいのです。
それがおできになるのはただ1人、ユーティルフェ様だけです」
ユーティルフェはきつく目を閉じて、下を向く。
しばらく沈黙が落ちた。
「シレーティナ様…………わたしは、ラウルス殿下の……婚約者です」
ややあって、下を向いたまま、ユーティルフェが絞り出すように声を出した。
「はい」
「ペルフェクティ様の気持ちにお応えすることは、ありません」
「はい」
「ペルフェクティ様が殿下になさったことへの肯定も、できません」
「はい」
「ですが、わたしは誇りあるムザーク公爵の娘です。
あの方は、わたしへの侮辱に抗議してくださいました」
押し出すように、訥々と語る。
「わたしの誇りを守ってくださったお礼をしなければ、それは恥知らずな、礼儀に欠ける振る舞いとなるでしょう」
下を向いたままの言葉に力がこもる。
「シレーティナ様。
ペルフェクティ様と連絡を取ることはおできになりますか」
「はい、できます」
「ペルフェクティ家とスキレタケール家の助力を、いただけますか」
「もちろんです」
「ならば、わたしのすべきことは定まりました」
ユーティルフェが顔を上げた。
その茶金の瞳は。
静電気を放つ琥珀のごとく、確かな意志の光芒を宿していた。
「わたし──足掻いてみます」
登場人物一覧
シレーティナ・スキレタケール
『沈黙令嬢』。今回はよく喋った。
マオロのためとはいえ、彼が書いてよこした怪文書の内容をユーティルフェにバラしてしまう。
お前人の心ないんか。
ユーティルフェ・ムザーク
公爵令嬢にして王孫ラウルスの婚約者。
詩作とボードゲームを得意とする、おとなしい少女。
あまりにも影が薄いので、作者は彼女の瞳を描写する時に何色だったか忘れ、最初の方の原稿を読み返した。
マオロ・ペルフェクティ
全スペックカンストの『完璧令息』という設定だったが、恋愛戦闘力は3しかないことが露呈した。
恋愛戦闘力3なので、ユーティルフェへの想いを綴っても、呪物にもなれない怪文書が仕上がる。
なお、スペックカウンターは9999まで測定できるものとする。




