4人め.菊池 拝杯宝
せっかく、菊池ひとりひとりにフルネームをつけても、サブタイトルと本文中の1回しか呼びません。
※ コロン 先生主催の【菊池祭り】参加作品です
あたしの名前はミリィ・ビリガン。観測者にして、憤怒を司る魔神。だから、この物語の主役はあたしではない。
主役はあたしの魔の手から今のところ逃げ延びている、9人の菊池だ。
バンドを組むさいに悩むのが、ツインギタリストにするのか、ギタリストひとりにキーボーディストをいれるのか。そこのところだけれど。
あたしは迷わず、キーボーディストを選ぶ。
なぜならば、ベーシストのあたしにとってはそれが最良だからだ。
ツインギタリストを選んで、リードギターとリズムギターのふたりが背中合わせに演奏すれば、ベーシストのあたしは誰に背中を預けて弦を弾けというのだ?
リズム隊仲間として、ドラマーと背中合わせで弾くのは冴えた考えとも思えない。
ジャーマン・メロディック・メタルの流れを汲むあたしは、ベースを弾きながら歌う、ベースヴォーカル。フロントマンとは、常に前を向かねばならない生き物なのだから。
「僕はさぁ……怒っているのさぁ」
煮え滾というより、涸れ果てたものを搾り出すようにして。
菊池 拝杯宝はその怒りの全貌を明かす。
「ボールペンをね……買ったんさぁ。
安物だよぉ……いつも、どっかに置き忘れて、インクがなくなるまで使い切ったことないけど」
あるある、失くした大量のボールペンはいったい何処に消えたんだか? 置き忘れたボールペンの回収業者でもあるんじゃないかって、電話帳を調べてみたんだけど、それらしい会社は見当たらなかった。きっと零細な個人営業が多いのだろう。
「それなら、あきらめもついて僕も買い替えるんさぁ。
でもね、買ったばかりのボールペン。インクはじゅうぶんあるのに、まったく出なくなるのはどういうわけか、誰か教えてほしいよねぇ」
そういや、ボールペンのボールがはずれて、インクがドバドバ出てきたこともあったぞ。あれ以来、あたしはあの小さなボールを「筆先」ではなく「栓」と認識している。
「買ったばかりだと、たしかに新品なんだけどさぁ。
僕らが買うまでの、どれくらいの期間、お店にならんでたのかわかんないよね。
未開封のまま、古くなっても『新品』なのは……まぁ、しかたないけどさぁ」
唇を震わせながら、目を細めた菊池。ぺたんこな歯磨き粉のチューブを捩るかの如くして、怒りのことばを紡ぎ出す。
「だったら……せめて。
店で陳列しとくときは……吊るすんじゃなくて、平置きにするとか、ペンに負担のかかりにくい置きかたにしといてくれって思うさぁ!」
ぶわぉわっ!!
あたしの涙腺から、真珠のような涙がチョモランマ!
ちがう、ちがうぞ菊池!!
あんたらが抱くべき怒りは、そんなあるあるネタみたいなやつじゃなくて。
世の中の理不尽への憤りか、逆に、世の中に向けた菊池自身の理不尽さが誕んだ憤りのはず。
なのに、あんたときたら!!
吐き出し終わった怒りのあとには、もう言葉も残されておらず、もごもごとやってる菊池のからだを無言で擁きしめると。
あたしは左肩に抱えた菊池の頭を、右手でわしづかみにする。
菊池たちの怒りを誕むアンガー・コアは。その脳下垂体に、お弁当についたブタさんの醤油さしの如く添えられた小さな器官。
この状態の菊池にも、からだの内外の何処かで青スジが脈打っているとしたら、其処しかなかった。
あたしが静かに、菊池の頭をわしづかみにしている右手のちからを強めると。
ぱんっ。
その圧力で、アンガー・コアにか細く浮いていたであろう、菊池の最期の青スジは爆ぜた。
てか、たぶん頭蓋骨の中では、それ以外にもきっと、いろいろ爆ぜた。
——魔神の握力をナメんなよ。
すでに動かなくなった菊池の耳からこぼれ出たものを、ポケットティッシュでふいてやったのだが、それ以上は紙が足りなくなるので諦める。
ゴミ箱が近くになかったので、使用済みのティッシュを菊池の口のなかに詰め込んでやった。口ではなくポケットにねじこまなかったのは、あたしなりの優しさと言ってもいいだろう。
為すべきことを為したあとのあたしは、帰りにカレーを食べて帰ることにする。
誰かや何かに優しくすると、お腹が減るのだ。
そして、あたしはよく知っている。
カレーを食べたくて、カレー屋さんに行ったのに。そういうときに限って、何故かハヤシライスを頼んでしまうこと。
そして、そんなときはせめて「大盛り」にしなければ、おかわりにカレーライスをもうひと皿注文すれば済むこと。
そういった知恵が、ときに理不尽な怒りを凌駕した世界を築くのだ。
でも、大盛りで頼んじゃう。