旭日
初めの1話です。
可愛がってあげてください。
1950年。夏の暑さが未だに残る季節に、東京都のとある川にて、ひとつの男の影が水の流れに身を任せていた。
『私は、なぜ生きるのか?』
その答えがまだ分からないまま、太山幸治の人生は終わろうとしている。
ゴポ……ゴポ……と水面に浮かんでゆく息の泡が、段々と元気をなくす。
涼子はまだ、叶恵と一花を寝かしつけているために、子守唄でも唄っているのだろうか。
妻と娘が2人いるにもかかわらず川に身を投げ捨てるなど、私は屑野郎でしかないと感じた。
しかし、もう遅い。
もうじき私の命は終わってしまう。
ゴポ……ゴポッ…………
実に、恥にまみれた泥のような人生であった。
嗚呼、さらば美しき涼子よ。
さらば、可愛らしい叶恵と一花よ。
さらば、この弱き己よ。
さらば!この醜く儚い世界よ!
ピカァーーーーーンッ
「……懐かしいな………あの光によって、私はこの世界に来た気がする………」
ふかふかで心地の良いソファに腰をかけながら、この世界に来る前のことをふっと回想した。
先ほど思い出したようにして、私はアルヴィオ・クレモンニという名前を授かり、この世界の新たな人間として生まれた。
そして両親や兄からの愛情をとことん受けてすくすく育っていった。
この世界では特別な占いによって、魔法かスキルかのどちらを使用できるかが分かるのだが、私が後者を使用できると分かってからいつまで経っても、私はスキルを使用できなかった。
しかし家族は誰1人そんなことを気にせず、両親に兄と分け隔てなく育ててもらっていると、私はいつの間にか17歳の誕生日を迎えていた。
しかし、その翌日に悲劇が起こった。
魔王によって家族がもろとも殺害されたのである。
怒りに満ち溢れた私は独りで準備をして、魔王への仇を打つための旅に出たのだ。
その道中でカーティス・ベスターカーという、ショートヘアの可愛らしい女の子に出会い、私と同じ目的ということで仲間に加わった。
彼女はスキルを使用できなかったが、その代わりに剣術を駆使して戦う姿はとても勇ましくて格好良かった。
(数々の困難に出会ったが……彼女のおかげで楽しかったような気がする)
カーティスに助けてもらいながら、コツコツと時間をかけてスキルを取得したあのときの喜び。
カーティスが山の大きな岩の下敷きになり、亡くなってしまったかと思ったあのときの絶望感。
スキルを取得してから、初めて戦いに負けたあのときの悔しさ。
死に物狂いで攻防を繰り広げ、2人でやっと魔王を倒すことができたあのときの達成感。
全てをまるで昨日のように覚えている。
(私のスキル、『対義語・同義語』もあの旅においてかなり役に立ったな……)
そのスキルの能力とは、心の中で対義語と唱えて任意の対象に何か言葉を放つと、その言葉の反対のことが起こり、同義語と唱えた場合だと似たようなことが起こるというかなりシンプルなものである。
しかし相手を騙しやすく、すぐに戦闘不能にできる点は本当に心強かった思い出がある。
そして今、この世界のほとんどの者が恨んでいた魔王を倒したことによる御礼として、私とカーティスは無償でこの高級なホテルに宿泊させてもらっている。
(正義のために魔王を討伐した訳ではないのだが………特に悪い気はしない。このままで良いだろう)
そのようなことを思って綺麗な壁の方に目をやると、窓の奥でカーティスが誰かを抱えてこそこそと走っていく様子が見えた。何やら、ホテルのほぼ真後ろの森林に向かっているようである。
彼女は別の部屋を使用しているので、どのような理由であの行動をしているのか分からないが、とにかく不審な動きをしているように見えた。
明らかに何かを隠すようなカーティスを怪しく思った私は、すぐに窓を開けて彼女を追いかけるために身を外へ出した。
あまり良くない行為と分かってはいるのだが、今まで共に旅をしてきた仲間に悪行をして欲しくない。
もし何か法に触れるようなことをしていたら止めよう、と心に決めて彼女に察しがつかれないように尾行をし始めた。
(あいにくの曇り空だな………何か不吉なことが起こりそうだ………)
曇り空への良からぬ予感を意識して、彼女に釣られて森林の中へ入っていった。
何本もの邪魔をしてくる木々を避けながら追いかけていくと、カーティスは木の生えていない所で立ち止まった。そして両手で抱えていた誰かを、ドサッと音を立たせて地面に落とした。
そこは地面がぽっかり掘られていて穴ができており、まるで埋葬するようにも見えた。
そういえば、私のように異なる世界から転生してきた者を生きていない状態で埋めると、この世界での名前、前の世界での名前、生きていた期間を表示するものが浮かび上がると村人から聞いたことがある。
ガシュッ………ドサッ……ガシュッ……
またもや昔のことを思い出していたところで、彼女は近くに置いてあったスコップを持ち、すぐそばに軽く盛られた土を穴の中にどんどん詰め込んでいった。
私は気が付かれないように近くの木に身を隠して、興味本位で誰かの名前が浮かび上がってこないか観察した。
(……もしかしたら、等身大の人形を土の中に隠しているだけかもしれない………。あまり期待を膨らませないようにしておこう)
ふっと目を離した後に、不自然に埋められた土の上方を再び見てみると、例の物が浮かんでいた。
一体どのような名前が書かれているのだろうか。私はわくわくしながら、左上の文字から下へと読んでいった。
「…………!……ッ?!」
一番上のリリアーヌ・イリオスと書かれてある次の行を見たあと、私は二度見も三度見もして目を疑った。
『太山涼子』
どれだけ目を擦っても、そう書いてあることには変わりないのだ。
「……おや、太山くんじゃないか。君もここに用があって来たのかい?」
つい木から身を乗り出してしまい、カーティスに尾行してきたことがばれてしまったが、『太山涼子』と書かれていることについて気になって仕方がない。
私は、彼女の質問を上の空で適当に否定して
「そ………それは、本物……なのか?」
とずくずく歩み寄りながら質問をした。
既に埋葬されたことを表す文字が連なっていて本物なのかどうかなど無いのだが、とりあえず確認しておきたい。
彼女は私の質問を受けて、下の方に目をやってから返答をした。
「あぁ、そうだよ。私の妻…の………」
首を縦に振られて私が絶望したとほぼ同時に、途中で文を途切らせたカーティスの顔はみるみるうちに真っ青になっていった。
「……今、なんと言った?」
彼女は今、確かに『私の妻』と話した。
私は、先ほど放った言葉をもう一度確認するために聞き返した。
(涼子は浮気などするような女ではなかった筈だが………。どういうことだろうか………?)
少しの間疑問に思っていると、彼女は私の問いに答えずに大きく息を吸い、ガクンッと顔を下に向けてまたもや大きく息を吐いた。
「ひとつの失言で、今までの努力を全て水の泡にしてしまった……」
ゆっくりと顔を上げてから私に目を合わせると、まるで指先から弾丸を撃つかのように、左の人差し指を私に突き出した。
「私が、未来の太山幸治だからあのように言ったのだ」
突如訳の分からぬことを言われ、私の頭の中は純白のように真っ白になっていった。
「な……何を言っているのだ…………?」
私は困惑しながらも、ぷるぷると震える右の人差し指の先を彼女へ向けた。
「まあ……そんなこと言われても、よく分からないだけか………。だが、今から言うことを聞けば自分自身だと信じるだろう」
彼女はそう言うと、私が涼子以外の誰にも話していないことや、叶恵と一花の名前の由来、自宅の住所、大戦時での軍の召集をどう逃げ切ったのか、などと私と涼子ぐらいしか知らないようなことを淡々と話していった。
「あと……この姿になっているのは、誤って性転換をする薬品を飲んでしまった影響でね。初めはかなり驚いたが、かえって君に接触できると思ってあえて元に戻らなかったのだよ」
彼女の一方的な話により、目の前に立つ女性は、未来から過去に訪れてきた私自身だと認めざるを得なくなった。
「おっと……もうひとつ大事なことを言い忘れていた………」
言葉を発せられないほど脳が混沌と化しているところで、彼女は更に続けて言い放つ。
「涼子が亡くなったのは、私が殺害したことが原因だよ」
そのときの彼女の表情は、穏やかで優しい笑みを浮かべていた。




