第五十六話 「イズリの覚悟」
『見てー! おにいちゃん!』
『モミジですか。綺麗ですね。拾ったんですか?』
『んふふー! ないしょー!』
姫のお世話係に任命されたのは八歳の頃だったか。
三歳になったばかりの姫は好奇心旺盛で遊びたい盛り。
里の中を毎日一緒に駆け回ったものだ。
『イズリおにいちゃん、これあげます!』
『これを、私に……?』
『今日はイズリおにいちゃんのお誕生日って聞いたから、プレゼント〜!』
十歳になった時に、姫から誕生日のお祝いにとモミジで作られた栞を頂いた。
凡人土から渡ってくる書を読むのが好きだった私への、これ以上なくピッタリな贈り物。
いつしか姫はお世話をする対象から、一人の『妹』へと変わっていた。
『おにいちゃん』と呼ばれ、満面の笑顔を向けてくる彼女を守りたい。
純真無垢に駆けまわる彼女を、ずっと支えたいと願った。
姫が六歳になってすぐの頃、姫は何者かにより攫われてしまった。
里の隣国同士が小競り合いを起こし、その余波による難民や凡人土から流れて来た人族を迎え入れたのが原因だった。
ほんの少し、目を話した隙に。
里の誰もが、押し寄せ溢れる者達への対処で手一杯だった。
皆が血眼になって姫を探したが、その姿は見つからず。
何度この身を恨み、何度自責の念に苛まれたか。
しかし、里長である姫のご両親は決して私を責めることは無かった。
それがより一層、私の罪悪感を締め付けていた。
誰もが姫との再会を諦め、気持ちを新たに里を前へと進める決意をした。
数人の若者をアトラ王都魔術学校へと送り出し、凡人土の知恵と技術を学ぼうと決まった時には、真っ先に立候補した。
私だけが、姫との再会を諦めていなかった。
魔土にいないのならば凡人土かもしれない。
一縷の望みに賭けて、私は地を跨いだ。
そうして何の足取りも掴めないまま三年生になった秋口に、遂にその時が訪れた。
学校に、二人の中途入学生が現れたのだ。
一人は聞きしに勝る『龍殺しの半魔』。
なるほど、噂は単なる噂では無いらしいと、一目で分かった。
そしてもう一人は、輝きを放つ金色の毛並みと宝石の様な赤眼をもつ狐族の少女。
間違い無い、間違える筈も無い。
彼女こそ、私が生涯を賭してお支えせんと心に誓った方。
しかし、再会した姫は私どころか里の記憶すらも曖昧だと仰った。
ショックと呼ぶにはあまりにも重い衝撃に打ちのめされるが、攫われて心に傷を負った姫のことを慮ると、それも仕方ないと割り切れた。
だが、あまつさえ、姫は見ず知らずの半魔を『お兄ちゃん』と、兄と慕っていた。
誰だ? 何だ? 何故、貴様がそこにいる?
許せない、認められない、見たくもない、聞きたくもない!!
しかし、姫は仰った。
今が幸せだと、あの半魔を兄として慕う今が、心よりの幸福なのだと。
私が姫をお守り出来なかった間、彼こそが姫の支えであったことは明らか。
その事実を考慮すれば、一個人の怒りで彼を恨むなど以ての外だ。
私は、姫には幸せでいてもらいたい。
あの笑顔を、奪えるはずもない。
だが、だが! だがッ!!
私の使命は姫を連れて帰ること。
里長の元へと、姫の帰りを待つ者達の元へと、姫をお連れする事!
私の記憶が無いと言うのなら好都合。
例え姫に嫌われようと、軽蔑され侮蔑されようと。
私は、姫を連れ戻す――――
向かい合った姫は当時の面影を色濃く残したまま、すっかり大きくなられていた。
変わらないのは、手の中の栞と、姫への忠信のみ。
「例え……どう思われようと……」
「? 何か言いましたか?」
「いえ、何でもありません――」
上着の内に栞を納め、今やるべきことへと向き合う。
「始めましょうか。約束通り、勝てば里へとお帰り頂きます」
「フン、私が勝ったらもう放っといて下さい!」
あぁ、これ程までに痛いのか。
これ程までに、心とは傷付くものなのか。
「今だけは、手荒くなる事をお許し下さい……」
「アナタも、怪我しても知りませんからっ!」
どうかお許しを、これが、最初で最後の――
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「――――以上が、我々が知るイズリさんと姫様の過去です」
「そう、だったのか……」
試験場の観客席。
決闘の開始を見守る俺の元へ訪れたイズリの同胞達は、今に至るまでの事情を説明してくれた。
なんて残酷な話だと思うと同時に、その一因となっているのが自分だと知ると、途方も無い罪悪感に苛まれる。
分かっている、これは仕方の無いことだ。
ルコンの記憶が曖昧なのも、恐らくは誘拐による恐怖からくる解離性健忘の一種だろう。
その期間は俺にはハッキリと分からないが、両者の食い違いから察するに数年単位であることは間違い無い。
かつて兄と慕われ、将来の長として支える覚悟を捧げた者。
そんな彼の胸中は、察するに余りある。
だが、俺に出来る事は無い。
今はただ、見守ることしか出来ない。
「それで良いのです。我々も、姫様にはお戻り頂きたいですが、その意志が無い姫様を無理矢理連れ戻す事には抵抗が有るのも事実。
今は、覚悟を決めたイズリさんに任せるしかない。
それを払いのけるか、呑まれるかは姫様次第……」
そう言い残し、狐族達は俺から離れていく。
残された俺は一人、試験場の真ん中に立つ二人を眺め、手元の手すりを力強く握ることしか出来ない。
「ルコンにとって、どっちが――」
「ルコンさんがどうかしまして?」
「うおわぁッ!!??」
「ふふ、ご機嫌ようライルさん。それに、レオドロンさんも」
急に左隣からレイノーサが現れた。セバスチャンも一緒だ。
ん? レオドロンも?
右を見ると、確かにレオドロンが立っていた。
いつの間に……
「いたのか……」
「フン、話が終わるのを待っていたのだ」
「なんていうか、見た目によらず律儀だよな」
「放っておけ……ところで、事情は知らぬがルナ――ルコンまで決闘とはな」
「あぁ、まあ色々あるみたいでな。あのイズリって人、知ってる?」
「確か、三年生の狐族でしたわね。実力、という意味でなら私は分かりませんけど」
「俺様の見立てではBランク冒険者と同等以上、といったところだな。俺様やライルの敵ではない」
「ふ~ん……でもまあ、それだけじゃ無さそうだけど――」
向かい合う両者の側面に、今回の決闘の見届人である教師がつく。
眼鏡をかけた妙齢の女性教師は、厳粛に両者へとルールを確認した後、ゆっくりと距離を取る。
「なぁ、レオ」
「誰がレオだ」
「ある誰かの為に身に付けた力を、その誰かに対して振るわないといけないって、どういう気持ちなのかな……」
「…………知らぬな。少なくとも、知る機会も訪れぬだろう」
「私にも分かりかねますが、きっとそれは、身を裂かれるほどの思いなのでしょうね……」
ルコンが腰を低く落とし、呼応するようにイズリが半身で構える。
魔力が両者から静かに昇り、開幕の瞬間を今かと待ち望んでいる。
そして、その瞬間は訪れる。
「はじめっ!!」
「「三本・三尾ッ!!」」
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