第五十五話 「姫」
「――――で、あるからして」
二百人は入ろうかという教室内に、カッカッとチョークを走らせながら教師が喋る。
基礎魔術学の授業内容は実に退屈で、今期の出席は取り消そうかと悩める程には興味を失っていた。
それもそのはず。
ロデナスでの二年間、俺が師事していたのはあの『全一』ゼール・アウスロッドである。
全ての元素魔術を一級まで高めた彼女に教えを請えば、一年生が習う基礎魔術学など児戯にも等しい内容である。
授業が終わり、廊下に出て溜息をつく。
隣のルコンは一生懸命ノートを取ってはいたが、結局俺は一度もペンを握ることは無かった。
「つまらなかったです?」
「まぁ、正直に言うとね」
「お兄ちゃんは三級まで使えますもんね。羨ましいです」
ルコンの言う通り、属性の不得手はあるが俺は三級までの魔術が扱える。
そんな俺からすれば、本当につまらない内容の授業なのだ。なのだが……
裏を返せば、俺はロデナスでの二年間を通しても、三級までしか使えない。
どうやっても、二級以上の魔術行使が出来ないのだ。
ゼール曰く、『魔術構成に魔力操作が追いついてない』らしい。
魔力量はクリアしているが、操作が出来ない。
暴狂魔鎧等の様に自身の周囲に留めることは成功したが、それ以上切り離した距離となるとどうしても上手くいかない。
ここにきて、魔族特有の魔力操作難が出てしまった。
「お兄ちゃんも大変なんだぞ〜」
「むぅ、何がですか? ルコンは四級でも苦労してるのに……」
「ルコンは純魔族だからな。苦手なものはしょうがないじゃないか。
それに、ルコンには九尾励起があるじゃないか」
「そうですけど……ルコンだってカッコいい魔術を使いたいんです! こう、パパーーッて!」
「はいはい、頑張ろうな〜」
時刻は正午前、話半分に流して食堂へと向かう。
まあ実際、ルコンの才能はかなりというか天才の部類だ。
ちなみにこの天才という評価はゼールと師匠達が下したものである。
魔術の才はともかくとして、やはり九尾励起は規格外の力だ。
ルコンの心身の成長に合わせて本数も増え、爆発的な身体強化を得られる。
ルコン自身の地力が上がれば当然出力も変わり、三年前と現在の三本では比べ物にならない。
そんなルコンもまだまだ発展途上の成長期、これからどんどん成長すると考えると、末恐ろしいものがある。
食堂は昼時ということもあり大盛況。
千人以上は入る巨大なホールに、バイキング形式で様々な料理が並べられている。
一万人の魔族や人族が属する学校というだけあり、料理の内容も様々。
肉に野菜、パンに麺に更には米も、謎の石ころから果ては虫まで。
誰が食うんだと思わず引いてしまうラインナップだが、おかげでここ数日は楽しんで食事が出来ている。
「むむむぅ……やっぱり油揚げは無いのです……」
「まぁそんなマイナーなものはねぇ……」
「今度コックさんにお願いしてみるのです。虫があるならきっと置いてくれるはずです!」
怪訝そうに、バッタの様な虫が刺さった大量の串焼きが乗ったプレートを睨みつけるルコン。
でもねルコン、狐は虫も食べるんだよ。
もちろん、そんな事は口にせず胸にしまっておく。
「今日はパンじゃ無いんですね」
「たまには米が食べたくなるんだよ」
なんてったって日本人だからね。
アトラに来て驚いたのは米があることだ。
この世界にきてすっかりパン食に慣れてしまい、十年以上も米を食べてなかった。
元よりそこまで米が好きという訳でもないのだが、有るなら有るで食べたくなるのが人間だ。
食べてみると日本の炊きたてには遠く及ばないものの、魂に刻まれた日本の遺伝子に響くものがある。
そうだよこれだよ、この輝く白米とオカズを一緒に頬張るのが良いんだよなぁ……
染み染みと、箸を口に運んでいると何やらドタドタと騒がしい足音が近寄ってくる。
「居たぞ!」
「間違い無い!」
声の主は四人組の男女。
しかも、全員狐族ではないか。
ハァハァと肩で息をしながらなんとか落ち着こうとしている。
食事中だというのに囲まれてしまった。
端の方を取っておいて正解だったな。
「な、なんですかこの人達……? はっ! まさかルコンのステーキを狙って……!?」
「いや違うだろ。見てごらん、皆ルコンと同じ狐族だよ」
「あ、確かにです」
いや気づいて無かったんかい。
あんだけ目立つ耳と尻尾が付いてるのに……
「ようやく見つけましたよ、姫」
四人の男女の後ろから、新たな男が姿を見せる。
歳は十五、六歳程のスラッとした長身の狐族の男。
ルコンとは違い、耳と尻尾は赤茶色に近い。
よく見ればその色味は他の四人も同様だ。
「姫、お迎えにあがりました」
「パクパクモグモグ……パクパク……」
「……ん、ンンッ! 姫、お迎えにあがりました。我々と共に、一度里へと帰りましょう」
だ、だめだ。ルコンはステーキに夢中だ。
しょうがない、ここは兄として俺が対応しよう。
「すみませんが、ウチの妹に何か御用ですか?」
「妹、だと……!?」
あ、地雷だったか。
てか、姫って言ってたもんな。
もしやルコン――
「この方は、我々狐族の次期族長となられるお方だ。
初代九尾様の直系にして、現族長クラン様の娘である!
その名もルコン様! この輝く金色の毛並み、間違うはずも無い!!」
なるほどね、もはや驚きも無いな。
失踪した次期族長候補の姫様がようやく見つかり、血相を変えて迎えに来た、と。
――随分と勝手じゃないか。
「事情は分かりました。貴方達の言うことは事実なんでしょう。
で? 数年前に奴隷商に捕まって、ロデナスまで運ばれた大事な『姫』を、ようやく見つけて?
ルコンの意思も聞かずに里に連れ戻すって?」
冗談ではない。
いずれはルコンを生まれ故郷に連れて行こうとは思っていた。
だがそれは、彼女がその意思を示してからと決めていた。
それを、同族だかなんだか知らない連中が後からノコノコ出てきて、一緒に里へだと?
ここまでの彼女の想いと、過ごしてきた日々の重みも知らないで。
「……ごっくん。お兄ちゃん、抑えて下さい」
「っ! ルコン!」
「私、自分がお姫様とか次の族長とか、全然分からないです。ハッキリ言って、お父さんとお母さんもよく覚えていません」
「なっ!? 姫、それは真ですか! 我々の事だけではなく、里の事も!?」
「はい、まっっったく覚えてません!」
清々しいまでの忘却宣言に、狐族の男は額に手を当てて立ち眩みを起こしている。
「イズリさん、お気を確かに!」
「しっかりしてください!」
周りの者たちが体を支えてなんとか立たせている。
イズリ、それが彼の名前か。
「で、ですが! 貴方が姫である事は疑いようもない事実。姫よ、父上と母上が心配なさっております。
どうか一度、里へと」
「……嫌です」
プイっと、差し出された手を拒否する様に顔を振る。
しかし、イズリもめげずに猛攻をかける。
「姫……いえ、ルコン様。お願いです、どうか!」
「――私は、今が楽しいです」
ポツリとルコンが呟く。
「もっと小さかった時に怖い人たちに捕まって、知らないとこまで連れてかれて、今でも嫌な気持ちになります。
でも、そんな時に助けてくれたのはアナタ達じゃなくてお兄ちゃんでした。
お兄ちゃんと先生と一緒に旅をして、色んな経験をして、色んな人と出会って、大事な人を亡くして……
また色んな思いを抱えて、この学校まで来たんです」
誰も、誰一人としてルコンの言葉を遮る者はいない。
イズリも、他の四人も、俺も。
彼女の心からの思いを遮れる筈がなかった。
「今こうしてお兄ちゃんと一緒にいれて、私は幸せです。
もっとずっと一緒に居たいし、もっと色んな事を知って、いっぱいお友達も作るんです。
いつか故郷に帰ろっかなとは思ってたけど、まだまだ先のことって思ってました。
でも――」
魔力が立つ。
あ、これ――
「アナタ達の勝手な物言いにはちょっと怒りました!
ルコンの気持ちも知らないで、急に来て『姫、姫!』って言われてもそんなのしりません!
ルコンは帰りたい時に帰ります! その時はお兄ちゃんと帰ります!
アナタ達はどっか行って下さいッ!!」
ちょっとどころではない、ゲキオコである。
まずい、こうなったルコンは非常にまずい。
「ちょ、ルコン! 落ち着い――」
「お兄ちゃんは黙ってて下さい!!」
「はい……」
「ほら、早くどっか行って下さい!!」
「それは、出来ません……」
イズリは俯きつつも、その意志は強固であった。
決して折れぬと、上げた顔が物語っている。
「姫よ、ならば決闘です! 私に勝利すれば姫の好きなようになさって下さい。
ですがッ! 私が勝った暁には、一度里まで付いてきてもらいます!」
「なんだよその条件! ルコン、こっちが受けなければ良いだけ――」
「やってやりますっ!! コテンパンにしてやるんですから!!」
猪突猛進、ルコンは俺の制止も聞かずに二つ返事で決闘を了承してしまった。
この子、もはや狐ではなくて猪なんじゃないか?
こうして決闘は正式に学校にも受理され、時刻は午後十七時より、前回同様第一試験場で執り行われる運びとなった。
周囲の生徒からは『またあいつら?』とヒソヒソ噂される始末。
平穏、安寧、俺たちとは縁の無い言葉のようだ――――
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