第百二十一話 「守られたもの」
視界を、空を、世界を包むかの様な極光が爆ぜ、嵐が消え去る。
街を呑まんとした特級魔術『破界嵐』はゼールの生み出した『究一光』によって消滅した。
発生源となった丘はクレーターの如く抉れて面影を無くし、そこにいたコルニクスを含む鴉族達も塵一つ残さず姿を消した。
「――――凄い……」
師の神業に感嘆の声を漏らすリメリア。
ライルとルコンは目の前で起こった超常の衝突に声を無くしていた。
「凄い、凄いっ!! 先生! 今のは――」
「…………」
興奮冷めやらぬリメリアがゼールへと駆け寄ろうとした時、ゼールの体は力なくその場で崩れ落ちる。
冷静に考えれば誰しもがその理由に思い至る筈だった。
「先生ッ!?」
「まずい――魔力切れだ!」
ただでさえ尋常ではない量の魔力を消費する一級魔術を、ゼールは先程の一瞬で四回。
更にはリメリアとの一戦で一回使用していることから、この短時間で五回もの一級魔術を行使している。
並の術士であれば一級魔術は日に一回、それもその一回で魔力を使い切ることを想定するのが普通である。
いくらゼールの魔力量がずば抜けているとは言え、当然五回分の一級魔術を行使するだけの魔力は無く。
ゼールはその不足している魔力を、己の生命力を犠牲にして生成していた。
魔力とは生命力。
過去にライルも龍伐の際、共に赴いたイラルドの部下であるシーリアから忠告を受けたことがある。
『魔力切れによる意識の喪失は、それ以上の魔力の喪失が生命維持に関わるレベルに達した場合に起こる、いわば肉体のセーフティなんです』
(意識の喪失はセーフティ……だけど、これは……)
「ハァ……ハァ……は、あっ……ぁっ……」
「先生ッ! 先生ッ!!」
「しっかりしてください先生っ!!」
ゼールの意識は失われていなかった。
目は虚ろに宙を泳ぎ、身体は小刻みに震え呼吸も浅い。
セーフティとしての気絶が機能していない。
それはつまり、もうその機能が必要無いということであった。
ライルとリメリアは理屈で、ルコンは直感で、ゼールの行く末を察知していた。
しかし、それでも。
三人の誰もが、諦められるはずもなかった。
「リメリア! 魔力切れの時はどうすればいい!?」
「本来なら意識を失うはず……けど今の状態は……魔力の補填なら? 私の魔力を移す……けどどうやって……だめだ諦めるな、考えろ、考えろ」
「お医者さんに診てもらいましょうっ! 急げば間に合う筈です!」
「ちょっとルコン! むやみに動かさないで!」
「でも――」
焦る心が互いにすれ違い、不和を生む。
それを止めたのは、他でもないゼールの声だった。
「貴方たち……」
「「先生!?」」
「もう、いいの……最後に、聞いて……」
息も絶え絶えに言葉を紡ぐゼールの身体からは、次第に血の気が失せてシワが入っていく。
それはまるで、せき止めていた時間の流れが急速に押し寄せてくるかのようであり、同時に命の終わりが訪れることを意味していた。
そこにはもう、五十を過ぎてなお美しく妖艶さを漂わせていたゼールの面影は失われていた。
「長く、生きたわ……生きているべきでは、なかったのに……」
「なにを――ふざないで下さいよ先生!」
「何も、守れな……かったの……私は。何も……」
ゼールは己の過去を振り返り呟く。
その真意は三人の誰も理解出来ないものであるが、重要なのはそこではなかった。
「守ってくれたじゃないですか! 今! こうして!!」
「私たちが今生きているのは……先生のおかげですよ!!」
「私も! 私を奴隷商から助けてくれたのは先生とお兄ちゃんです!」
三人共が、今こうしてゼールに守られた。
そして、過去に救われてもいる。
ライルはナーロ村で、ルコンは奴隷商から、そしてリメリアは人生の指標を示してもらって。
皆がゼールに救われてここまで生きてこられた。
その事実を少しでも伝えようと、三人は無意識にゼールの手を握っていた。
「しっかりしてください! 頑張って!」
「ありが、とう……やっと……やっと、守れ、たの……私は、やっ、と……」
ゼールの瞳から光が失われていく。
雲が消し飛んだ空からはゆっくりと日が差し込み、光りの無いゼールの瞳を照らし出す。
(あぁ、眩しい……貴方達は、そこにいるの?)
この世界に天国や地獄といった概念は無い。
死した者はあの世へ行き、輪廻転生することなく死者の国で暮らし続けるとされる。
そこには、かつてゼールが守りきれなかった多くの者達が今もなお、笑顔で。
在りし日の様に、ゼールを見て微笑んでいた。
『あ、ゼールだ! 大っきくなったなぁ!』
『また魔術教えてよゼール〜!』
『もうよかったんですか? まだまだゆっくりしてくれば良かったのに』
『そうだよ先生。全ての子の家の皆もそう思ってるよ』
生まれた村の仲間たち、大人になって設立した孤児院の子と仲間。
ゼールが守りきれなかった皆が、そこにはいた。
(どうして――私は、私は貴方達を……)
『そんなのかんけー無いよ!』
『そうそう!』
『だってゼール先生は、いつだって僕達の事を見守ってくれてたでしょ?』
『てゆーか守ってくれてたもんな!』
『先生。皆、分かってますよ。誰も、貴方を責めたりなんてしません』
『それにほら。あそこを見て』
空に昇るゼールの意識が視線を地に下ろすと、今も己の名前を叫び続ける三人の姿が映る。
泣きじゃくってぐしゃぐしゃに顔を歪める三人が、たまらなく愛おしく思えてしまう。
そんな三人を。
『今度は守れたじゃないですか。貴方は、守ったんですよ』
(私が……あの子達を……)
嬉しい、嬉しい、嬉しい。
こんな晴れやかな気持ちのまま逝けることが、なんと嬉しいことかと、ゼールの心は躍る。
ただ一つ、最後に一つだけ。
せめて笑顔を見せて欲しいと、彼女は願った。
昇りゆく中、指先を伸ばして魔力を込める。
実際のところ、既に魔力という概念も無いゼールの残滓。
それでも、奇跡は起こるべくして起こる。
否、起こるからこそ奇跡と人は呼ぶのだろう。
「……? なに?」
「リメリア?」
「! お兄ちゃん! リメリアさん! アレ!」
ルコンに釣られて二人が空を見上げる。
そこには薄っすらと、小さな虹がかかっていた。
先程までは無かった、赤青黃緑の、小さな小さな虹が。
「先生……なのか……?」
「絶対……ぜっだいぞうでず……!!」
「――――ありがとう、ゼール先生」
(こちらこそありがとう。ライル、ルコン、リメリア。私が最後に愛した、最高の教え子たち。
貴方達のゆく道に、多くの幸があらんことを)
この日、『全一』として名を轟かせた一人の魔女が密かにこの世を去った。
彼女の勇名と偉業は広く伝わってはいたものの、その影にあった悲劇と苦難は多くの人が知らず。
全てを一まで高めてなお、何一つ守れなかった者。
故に、彼女は『全一』の呼び名を嫌った。
そんな彼女が最後に、唯一守れたもの。
それこそが、守りたくても守れなかった、最愛の教え子たち。
残された彼らはいつまでも、師からの教えを胸に前に進み続ける。
全ての一を束ね、極光と成し、究極の一へ至る。
究一はひとえに、唯一を守るため。
唯一達は、やがてそれぞれに至高の一へと――――
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