第百十五話 「隠し玉」
「……来たのね」
「先生……」
街を出てすぐ。
目的のコルニクスがいる丘までまだまだ距離がある中、目の前には見慣れた師が立っていた。
薄紫の髪、純白のローブ、すらっとした長身に手に持つは四属性の魔石が埋め込まれた『四元の杖』。
魔術士ならば誰もが憧れ、目標と掲げるであろう人物。
『全一』ゼール・アウスロッド。
リメリアにとって超えるべき目標であり、人生の標を与えてくれた恩師であり、未だ絶対の壁である。
そんな人物が、今。
「私は今、束縛の効力によってこの先に誰も通すなと命令を受けているわ。
リメリア、今すぐに引き返しなさい。ライル達と家族、出来るだけ大勢を連れて街を離れなさい。
コルニクスは特級魔術の発動準備に入っているけれど、まだまだ時間がかかるはず。だから――」
「嫌ですッ!!」
震える体、震える声。
勝てるわけがないと、リメリアの本能は叫ぶ。
普段の気丈さが嘘のように弱々しくも、それでもリメリアは声を振り絞る。
「私が逃げたら……誰が先生を助けるんですか!?
先生は……先生は!! 私が助ける人達の中に入ってちゃいけないんですか!?」
「――――そうよね」
(貴方はそういう子だったわね……気難しくて、優しくて、ホントは弱くて……)
「私の言う事を聞いてくれないのは初めてかしらね……」
「これが最初で最後です! 今助けますからッ!」
(そして――誰よりも強い意志を持つ子。だからこそ――)
静かに、ゼールの魔力が膨れ上がっていく。
臨戦態勢に入った『全一』と相対して生き残った者は数少ない。
その伝説を肌で感じ取り、リメリアの内にはより一層の恐怖が湧き上がる。
「私に勝つ気なのね。だったら杖はどうしたの?
無手のまま、杖の補助無しに私に勝てると?
思い上がったものね……そんな軽率な判断しか出来ない愚鈍に育てた覚えは無いのだけれど」
「あっ……!? ッ、!!」
(杖が……部屋に置いてきたまま飛び出したから!)
昨日のコルニクスとの一戦から自信を喪失し、憧れを模した杖すら置いてきた己の浅はかさに嫌気が差す。
普段はあれだけ大口を叩いているくせに、肝心な時に何の成果も出せない。
そんな自分が嫌になって、嫌で嫌で、魔術すら手放してしまいそうになって。
それでも、憧れだけは止められなかった。
だからこそ、リメリア・テオールはここに立っている。
(杖なんて関係無いッ……! 私がやらないと! 私が止めないと、誰が先生を助けるのよッ!!)
「――行きますッ!!」
――――
薄紅色の光線が尾を引くように駆ける。
立ち並ぶ建物を足場にして四方八方を跳ね回り、すれ違いざまに尾による打撃を叩き込みながら。
跳狐跋扈。
かつて兄と編み出したこの技は、兄に防壁による囲いを作ってもらって成立するものであった。
しかし、尾の数と素の身体能力を向上させた今のルコンであれば周囲の環境を使って擬似的な再現が可能である。
無論、閉鎖環境では無いため拘束率は下がってしまうが、これは裏を返せば飛び移る対象を絞りにくくするということでもある。
そのためウロウとサロウの二人は高速で跳ね回るルコンを捕らえられないまま、着実にその身にダメージを重ね続けていた。
「〜〜クソッ!! どうなってやがるこのガキャァッ!!」
「二人がかりでも……!」
焦りと怒りに身を駆られ、無作為に魔弾や魔術を周囲に放つも徒労に終わる。
ルコンの目に、それらは余りにも緩慢に見えた。
(リメリアさんや先生のはもっと速かったです! これくらい――!)
ルコンのギアが上がる。
徐々に徐々に飛び移る範囲を狭めて二人を広場の中央へと追いやる。
二人が背中合わせに死角を補い合おうとした瞬間、機会を待ち続けたルコンは尾を増やす。
「五本――」
長時間の維持が難しい五本。
今までの様に直ぐ側で支えてくれる兄も、誰もいない戦い。
無策に使って倒れては意味がない。
だからこそ、切り札は取っておいた。
「なっ!?」 「まだ増え――」
「尾束重打ッ!!」
突撃しながら身を翻し、五本の尾が重なって束となる。
魔力操作により瞬間的に巨大化した尾の束は、二人には壁に見えたに違いない。
二人をまとめて捉えた尾は振り抜かれ、十メートル先の壁へと弾き飛ばす。
(お家、ごめんなさいです……でも――)
「やりました……! リメリアさん、お兄ちゃん!」
勝利を確信し尾を納めるルコンの背後で、瓦礫の内からボロボロになった二人が這い上がる。
息も絶え絶えに、両名とも数カ所の骨折をもらいながらそれでも戦う意志を絶やさず。
「まだ……やるんですか?」
「は、ハハハハッ……! 舐めやがって……! まだやるか、だと!? やるに決まってんだろッ!! 俺達に……それ以外の道はねぇんだよッ!! サロウッ!」
「分かってるさ――ほら」
サロウから何かを受け取るウロウ。
先端に針がついた小さな注射器の様な容れ物。
この世界の医療技術としても使われている器具ではあるものの、ルコンには馴染みが薄くその内が何なのかなど見当がつくはずも無かった。
否、誰もそんなことは知る由もない。
「さぁ、お楽しみはこっからだぜ」
----
拳と拳がぶつかる。
しかし、それは決して対等ではなく。
「ッ、ウウゥゥアァァッ!!」
「無駄だッ!!」
「ぐあッ!?」
戦闘経験、魔力量、魔力操作、身体能力。
全てにおいて、ライルが勝っていた。
相手は魔王の末子。
それなりの才能に恵まれ、整った環境で父や周囲の指導を受けて育ってきた。
だが、ライルのこれまでの人生はそれら全てを一蹴出来る程に過酷であり、本人の努力もあり恵まれたものでもあった。
父と母の愛、慈愛の師、新たな家族、苦難と悲劇、世界最高峰の師、友。
重みが違った。積み重ねてきたモノが違った。
負ける訳が無かった。
「〜〜グゥッ……! ハァッ、ハァ……」
「分かるだろ。勝てないって。今逃げるなら見逃す。俺達が用が有るのはコルニクスだ」
「ふ、ふふ……行かせるわけ、ない……だろう?」
「……死ぬぞ」
「分かって、ないなぁ……どうせ……逃げたって同じ、なんだよ……」
這いつくばったまま、ムロウは不敵に笑う。
勝負は見えていた。
ライルも魔石鉱山の一件以来、外敵に対する姿勢を改めた。
ライルには明確な殺意が有り、このままムロウが抵抗を続ければ殺すことも厭わないつもりである。
そんな彼が未だに手を振るえずにいたのは、まだムロウに微かでも対話の余地が無いかと考えていたからだ。
「純血の世界、か。なんでそこまでして半魔を追いやる? お前達魔族にとってそれに何のメリットがある? コルニクスの言いなりのまま、世界を狂わせて何の意味が有るんだ!?」
「僕達魔族、か……ふふふふッ……アハハハハハッ!!」
「……何がおかしい」
「話し合いなら、無駄……だよ。僕達は止まる気は無いし、僕達にとって……父上の言葉は絶対だ……意味なんて知らない。それは父上が考えて、父上にとって意味のあることなんだから」
「そうか……分かったよ。分かり合えないってことが」
そこまで聞いてライルの中でスイッチが切り替わった。
これ以上は無駄だと。
(リメリアが先に向かった今、ここで悠長に時間はかけていられない……ルコンも気になる。さっさと終わらせて――)
「待て、何をしようとしてる?」
ムロウが懐から何かを取り出す。
それは同時刻にウロウとサロウが取り出した物と同様の注射器型の容器であった。
(注射器……?)
「これはね……父上の実験成果、ってやつかな……いや、正しくは……これと僕達が、ね」
「何を――」
「あぁ、後もう一つ。訂正しとくよ。僕達兄弟はね――」
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街から五百メートル程離れた丘の上。
そこには真っ直ぐに立ち昇る竜巻が一本。
邪智魔王コルニクスはその内で、数名の配下と共に街を見下ろしていた。
本来、鴉の視力は人間の五倍近くと言われており、魔族であるコルニクスら鴉族の視力は人族と比べ物にならない程であった。
双眼鏡を覗いた様に鮮明に映る眼下の景色に、コルニクスは溜息を漏らした。
「所詮はこの程度か……我が子ながらなんと情けない」
「コルニクス様、付近の者に増援に向かわせますか?」
「要らぬ。だがまぁ……興味が有るのはここからだ」
口角が吊り上がり邪悪な笑みが形成される。
命の危機に瀕している子どもの事など興味が無いと言い放ち、しかしてその行く末を見守る。
「実験の成果を確かめる時だ。あぁ……果たしてどの様な結果を生んでくれる? お前達は我輩の期待に応えてくれるのか!?」
コルニクスが三兄弟に持たせた物。
それは、コルニクスが開発し活魔剤と名付けられた薬品だった。
読んで字のごとく、体内の魔力を活性化させるための薬品。
しかし、それは単なる効能の一側面に過ぎない。
この世界の生物、人族や魔族、半魔には魔力を生成する部分が存在する。
心臓や脳など様々な憶測が飛び交い日夜研究が行われる中で、コルニクスだけが核心に迫っていた。
非人道的な人体実験だからこそたどり着けた核心。
それは、心臓の裏側に存在するほんの小さな空洞。
そここそが、魔力の発生源でありコルニクスが『魔核』と名付けた場所だった。
『魔核』の魔力生成量は個々人のポテンシャルや才能、種族等あらゆる要素に左右される。
コルニクスはこれを高い水準で安定させることが出来れば兵器として使えると考えた。
そのために生まれたのが活魔剤である。
ではこの活魔剤、打てば皆が強くなれるのか?
答えは是であり否である。
元来、魔力とは生命力と同義だ。
強い魔力を持つものは生命力に溢れ、老いにくく長寿な傾向にある。
また、魔力切れによる意識の喪失は、過度な魔力不足による人体維持に影響を及ぼさないよう無意識下に働くセーフティでもある。
これらのことから、人為的な魔力の活性化は人体に大きな負担を強いることになり一概にメリットだけをもたらす物で無いことは明白である。
しかし。
その一時的な活性であれ、最も爆発力に優れる種族がいる。
彼らは親であるそれぞれの長所と短所をランダムに生まれ持ち、瞬間の感情の振れ幅で大きくポテンシャルを左右させる。
かつて世界を震撼させ大戦の引き金を作った『魔人王』も、覚醒した末の到達者であった。
その種族こそ――
「僕達兄弟はね――半魔だよ」
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