第百七話 「降伏」
遡ること、ルコンとイズリの決闘と同時期。
ライル達がアトラへ到着し、ゼールとの別れから一月後。
魔土、『黒鳥の街巣』。
そこは『邪智魔王』コルニクスの居城にして支配圏。
切り立った崖の上に作られた木組みの外壁、その内側には更にもう一層の土壁。
それら二重の壁の中に築かれた居住区では、鴉族を主体として他魔族や人族が暮らしている。
その日、突如として最外の木壁が吹き飛ばされる。
「何事だ!?」
「て、敵襲ですッ!!」
「どこの間抜けだ!? コルニクス様に歯向かうなど……すぐに数と詳細を!」
「そ、それが――」
崩れた外壁を跨ぎ、侵入者は進む。
更に内に築かれた土壁をも崩し、悠然と。
纏うは純白のローブ、靡かせるは淡紫の長髪、手には四元素を司る杖。
『全一』ゼール・アウスロッド。
彼女の目的はただ一つ。
『邪智魔王』コルニクスへの復讐。ただそれだけ。
(三十年――ずっと、ずっと……私の中に燻っていた……)
ゼールはただ真っ直ぐに歩みを進める。
侵入者迎撃のために幾人もの衛兵が襲いかかるも、その悉くを払い除けて。
(カーレ、エスラ、ソニー、マイア……皆……やっと、やっとよ)
魔女の眼前には一人の男が立っていた。
忘れる筈も、見間違える筈もない。
黒の外套。浮くほどの白髪。鴉の両翼。
男を構成する全ての要素が、記憶の仇と合致していた。
「これはこれは……また懐かしい客が来たものだ。
『全一』ゼール・アウスロッド……貴殿ではもう遊び飽きた。いつ来るものかと期待した時期もあったものだが……ふむ。
いささか、悠長に過ぎたのではないかな?」
「えぇ、本当に――本当に、遅くなったわ」
ゼールは杖を構えて突きつける。
対するコルニクスは眉一つ動かさずにゼールを注視する。
ゼールの中でのコルニクスが変わらぬ様に、それはコルニクスもまた同様であった。
魔族であるコルニクスは人族よりも長寿であり、見た目の変化が緩慢である。
しかし、ゼールの外見もまた三十年という月日の経過に対して余りにも変化が見られなかった。
人族であれば有り得ない現象である。
これが意味することは二つ。
他を寄せ付けぬ圧倒的魔力量。
そして、それを常に体内で循環させ生命エネルギーとして機能させ続ける魔力操作術。
すなわち、コルニクスの目に映るゼール・アウスロッドという外敵は、三十年前と変わらぬどころかより一層の力をつけた自身を脅かす存在であった。
「ク――ククククッ!! 面白い! 実に面白い!
三十年もの間怨恨の炎を絶やさず、今こうして我輩の前に立つとは!
人とは怨み一つでこうも動けるものなのか!」
「……残す言葉はそれでいいのかしら?」
「強がるものではないぞ、ゼール・アウスロッド。
言葉ほど簡単に動ける状況ではないと分かっているだろう? 何より――」
コルニクスの言う通り、ゼールは杖を構えるのみでそれ以上のアクションは起こせなかった。
高笑いし興奮するコルニクスはその反応に反し、全くと言っていい程隙を見せていない。
それだけならばまだ良かっただろう。
ゼールも一対一の魔術戦は望むところであった。
しかし、周囲を囲むコルニクスの配下がそれを許すことは無かった。
「甘い。甘いのだ。
なぜ一級魔術で街ごと焼かぬ? なぜ広域魔術で部下を散らさぬ?
仇討ちという機会を渇望するあまりに、貴公はその機会すら取り逃がすのだ」
「…………」
コルニクスが右手を挙げると周囲の配下はそれぞれに攻撃態勢へと移る。
ある者は弓を番え、ある者は杖を構え、ある者は跳躍の姿勢をとる。
後は王の合図一つで侵入者の首を刎ねるのみとなっていた。
それが、実行されればの話ではあるが。
「氷結領域。動けば砕けるわよ」
水性一級魔術『氷結領域』。
氷結や吹雪よりも広範囲を瞬時に凍結させる上級魔術。
放たれた魔術は即座に半径三十メートル以内を凍結させ、その場にいた者達を釘付けにする。
ただ一人を除いて。
「〜〜ッ! やってくれる……!」
瞬時に空へ飛び上がり、その身を高い魔力で包んだコルニクスだけが助かっていた。
コルニクスは心のどこかでタカを括っていた。
ここまでの道中で使っていないならば、壁崩しの初撃で使ってこないならば、と。
事実ゼールは余計な犠牲を生まないために広範囲魔術の使用を避けていた。
しかし、それもまたケースバイケース。
無理が通らぬならば、優先すべきは目的のみ。
ゼールは今の状況に合わせて思考を合理的に切り替えていた。
「さぁ、邪魔はいないようね。はじめましょう。
いえ――終わらせましょう」
魔弾が宙を切る。
当たれば身を抉る高質量の弾丸が、魔王の身を捉えんと迫る。
コルニクスは器用に宙を舞いながら時には躱し、時には同様に魔弾で迎撃を繰り返す。
「風撃矢。炎塊撃、水砲弾!!」
「ッ!? 調子に――乗るなあアァァァッ!!」
魔弾での攻防の間隙を縫うように、ゼールは更に魔術を織り込んで畳み掛ける。
これに対しコルニクスは押されながらもかつてのように魔術で対抗。
反撃の機会を伺っていたが、ついぞその時が訪れることは無かった。
「ハッ、ハッ、……ガフッ! グッ、ウゥ……!」
「――終わりね」
地に落ちて片膝をつくコルニクスに冷徹に杖を向ける。
呆気なく、一方的で、虚しい終わりだとゼールは感じた。
三十年燃やし続けた復讐の火も、今日でやっと消すことが出来る。
嬉しいはずなのに、待ち望んでいたはずなのに、ゼールの心には何かが引っかかっていた。
(……あまりにも呆気ない……これが、求めていた瞬間? いえ、迷うことは無い。後悔も無い。ただ……おかしい)
「ク――クク……ククククッ!!」
「何が面白いのかしら?」
「いや失敬。間に合った様だ」
「……? ――ッ!? これは――」
戦闘に夢中で、接近する魔力反応に気づけなかった。
本来であれば絶対に零すはずのない反応。
それ故に、視界に入った際の動揺はより一層大きなものとなった。
振り返った先には何人もの子供達。
二十人程はいるだろうか、人族に魔族、そして半魔。
種族を問わない様々な子供達の目は、心配そうにコルニクスへと注がれていた。
「コルニクス様ぁ!!」 「大丈夫ですか!?」
「負けないでぇ!!」 「コルニクス様をいじめるなあぁッ!!」
「こど、も……? どうして……」
「皆ァッ!! 逃げなさいッ!! ここは我輩が命に代えても抑えてみせる!! 息子たちに付いて逃げるのだッ!!」
「ッ!? 何を!?」
再びコルニクスに向き直ると、子供達を庇う姿勢とは裏腹に邪悪な笑みを浮かべてゼールを見あげていた。
この時になり、ゼールはようやくこの子供達の存在理由とコルニクスの非道な策に合点がいった。
「貴様は――どこまでッ!!!!」
「おっと、そこまでだ『全一』。あの子供達には束縛の魔術式を施してある。
――分かるであろう?」
「〜〜ッ!!」
天秤が揺れる。
かつての教え子、愛し子達の仇を討つためここまで来て、その仇をあと一歩でというところで、その代償は幼き無垢な命であった。
何も知らぬまま謀られ、弄ばれ、利用される。
そんな無垢な子供達を前に、ゼールの決意と三十年の炎は容易く揺るがされた。
合理に生き聡明に努めた彼女も、根は人間。
真に譲れぬモノを前に、ゼールは膝をついた。
「……好きになさい」
「クククッ! 素直で結構。
貴公には利用価値がある。存分に働いてもらうとしよう」
こうしてゼールはコルニクスに降った。
生涯を賭けた強行軍は敢え無く敗れ、殺したいと憎んだ相手に頭を垂れる形で。
もはやゼールの心中に希望は無く。
ただ、ただ、無力な己を憎み悔いるだけであった。
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