「悲劇」
ゼールが子どもたちを、村を救った次の日から、周囲のゼールへの態度は変わっていった。
今まで遊びに誘っても無機質であったゼールに対し、子どもたちは積極的に誘うようになり、周囲の大人も何かと彼女に声をかけたり物をあげたりするようになった。
ゼールはこれを少し鬱陶しそうに、けれどもどこか嬉しそうにぎこちなく対応していた。
遊びの誘いだけは年下の子達のものしか受けなかった様だが。
「精が出るな、ゼール」
「別に。日課をこなしてるだけよ」
「それが立派だって言ってるのさ」
魔術教室の後の空き地で、魔力操作鍛錬に勤しむゼールにアルバーは声をかける。
ゼールは一級を会得したからといって無闇矢鱈に力を披露することはせず、日頃の鍛錬も魔術を撃つより魔力をコントロールする術を磨くことに注力していた。
この年の子ならば覚えたての魔術はまず使ってみたがるものだ。
それがどうだ、ゼールはそんなこと無駄だと言わんばかりに基礎鍛錬しかしない。
合理的なゼールらしいと言えばらしいが、アルバーはもっとその才能を見たいだけに少し残念だった。
「なあゼール」
「今集中してるの。見て分からない?」
「もう少ししたら村を出ようと思うんだ。そしたら、君が皆に魔術を教えてあげてくれないか?」
「――……」
その身を回す魔力を止め、ゆっくりとゼールはアルバーを見つめる。
あった時から変わらぬくたびれたマントにヨレヨレの旅装束、無造作に左右に分けられた茶髪。
短い間であったが、これが自分の師なのかと、ゼールは改めて心に刻む。
教わったことは多くない。アルバーに対しての気持ちも大きくない。
ただ、生きていく中で忘れない人物なのだろうと、刻んだ。
「ハァ……分かったわ。貴方みたいに上手くやれるかは別だけど」
「出来るさ、君なら」
「何処に行くの?」
「世界を回るよ。元々そうしてきたんだ。続きを見に行くだけさ」
「…………いつか、帰って来るの?」
「さあね……でもいつか、俺は学校を開きたいと思ってるんだ。皆が魔術を学び、それ以外も学んで、世界に出ていく。そんな足がかりになるような学校をね」
「じゃあ学校が出来た時には、私も教師として雇ってもらおうかしら」
「もちろん! 君なら大歓迎だ!」
夕焼けの空き地で、互いに笑顔を交わす。
実現するかは分からない未来の話を、無邪気な笑顔で。
そして一月後、アルバーはボッセルを後にした。
村の住民に見送られ、子どもたちから大きな『さようなら』を貰い、笑顔で手を振りながら。
――――
「――以上のことから、防壁の有用性は理解できた筈よ。それじゃ、外に出て実戦よ」
「「はーい! ゼール師匠!」」
「……師匠はやめて。皆と年は変わらないでしょ」
「じゃあ先生だ!」 「ゼール先生〜!」
「ハァ……好きにして」
アルバーが去って早二年が過ぎ、ゼールも十一歳となった。
薄紫の髪は長く伸び、顔立ちも随分と大人びてきた。
この頃には子どもたちに魔術を教える姿も板についてきて、その実力と貫禄から皆が素直に彼女の言うことを聞いていた。
「ゼール、ちょっといいかい?」
空き地で皆の魔術を見ていると、魔族の大人がやって来てゼールを呼び出した。
彼は普段村の入り口を守護し、盗賊や魔獣から皆を守ってくれている自警団の様なものの一員だった。
そんな彼は少し申し訳なさそうに、ゼールに頼み事を持ってきた。
「実はこの頃、北の森で魔獣が活性化していてな……村人達へ不安を与えないためにも黙っていたんだが、最近では餌を求めてか村付近まで寄ってくる奴らもいるんだ。
おまけに盗賊らしき連中も目撃されているしで……」
「手短でいいわ。何をしてほしいの?」
「あぁ、すまない。森に行って魔獣たちを討伐してほしいんだ。幼いお前に頼むのは気が引けるが、俺達も村を離れるわけには行かない……やってくれないか?」
幼い十一歳のゼールに単身で魔獣討伐を頼む、この行為は通常の倫理観であればあり得ないことであるが、魔土において力ある者は絶対であり、それは年齢に左右されない。
事実、既にボッセルでゼールに勝てる者は誰一人としていなかった。
元よりボッセルは魔土の中でも比較的平和な地域であり、故に人族と魔族が共生出来ている。
自然と武闘派な者も少なくなっていた。
「分かった。明日森に向かうわ」
「すまないな……本当にありがとう」
ゼールは話を終えて皆のところに戻ると、明日の魔術教室は休みの旨を伝えた。
「えぇ!? ゼール一人で行くの!? 危ないよぉ!」
「そうだぜゼール。俺も行くよ」
話を聞いてフィリィと、同い年のカトルがそう言う。
フィリィは七歳になったばかり、まだまだ幼く魔術も未熟だが、昔からゼールを遊びに誘い続けてくれる妹の様な存在だ。
カトルはゼールと同い年の魔族の少年で、猫の様な見た目が特徴的であり、魔術は苦手だが皆の頼れる兄貴分として子どもたちのガキ大将的存在であった。
ゼールは達観して合理的でありながらも、潜在的な部分では二人の事を心の拠り所として頼りにしていた。
最も、その七割近くはフィリィの可愛さが占めていたのだが。
「いいえ、私一人で行くわ。フィリィは良い子で待っていて。カトル、大人達と一緒に村をお願い」
「……分かったよ。おまえがそう言うなら仕方ねえな」
「気をつけてね? 帰ってきたら遊ぼうね!」
「ふふ……えぇ」
翌日、昼前にゼールはボッセル北の森へと一人出発した。
片道二時間程の距離、魔獣討伐と合わせても夕方には村へ戻れる計算だ。
その日は雲が空を覆い、灰黒の雲は重く世界へのしかかっていた。
(雨が降ると面倒ね。早く終わらせて帰ろう)
十一歳の割に大人びていると言っても、子どもは子ども。
そんなゼールが一人で魔土を歩く姿は異質どころか異常に映っただろう。
事実、周囲には人を襲うような魔獣も生息している。
これがただの子どもであればひとたまりもないだろう。
そう、ただの子どもなら。
魔獣達は決してゼールを襲おうとはしなかった。
彼女が放つ高圧的な魔力を見れば、生存本能が『手を出すな』と訴えていた。
(この程度の魔獣達ならこれで問題無いわね。問題は森の魔獣か)
ゼールの考えは杞憂で終わった。
実際に森に着くと、確かに荒ぶる魔獣はいた。
繁殖期を迎えた魔獣の群れが森を支配していたのだ。
尾長猪。Cランクに区分される、鞭のように振るわれる尾を持つ猪。
持ち前の牙と尾で、前後に攻撃をする彼等だが、魔術で遠くから狙い撃ちされてはひとたまりもなかった。
五……十……二十と魔獣を片付け、魔力探知で周囲を探る。
(大きな反応は見られない……こんなものかしら)
そつなくこなしているこの魔力探知も、本来は高等技術とされる。
感覚を研ぎ澄ませ離れたものの魔力を感じ取る。
言うは容易いが、自身から離れるほどその精度は落ち、数や魔力量、誰の魔力か等の情報は判別しにくくなる。
ゼールは既にこの技術を、一般的なAランク魔術士と同等のレベルにまで磨き上げていた。
本人にそんな自覚は無かったが、これも全て日頃の鍛錬の成果である。
終わってみれば大したことのない仕事であった。
魔獣退治の仕事はこれまでにも何度かしたことがあるので、言ってみれば少し遠くに一人で出たというだけの話だ。
また二時間程かけて帰路を歩いて村へと戻るなか、ゼールは物思いにふける。内容は次の授業内容について。
(今日は防壁を教えたから、明日からは応用と実戦を磨けばいいか……カトルも防壁くらいは使いこなしてくれないと……)
なんて考えていると、南の空が赤く輝いているのが目に入る。
燃えるような赤。夕焼けかと思ったが、時間にしてみればまだ少し早いはずだ。
それに、その日は雲がかかっている。
(違う……アレは――)
燃えている。そう分かった時にはすぐさま足が動いていた。
(村が!? どうして!? フィリィ達は、皆は!?)
様々な思いが胸を駆けるが、数秒で払いのける。
そんな事を考えても仕方無い、今は一秒でも早く村へ向かえと。
「突風!」
軽くジャンプし、魔術を唱える。
背中を強く押すように発生させた強風で宙を駆ける。
これならばそう時間はかからない。風は勢いが弱まれば継ぎ足せばいい。
村が視界に入り、動悸が高鳴った。
燃えている。慣れ親しんだ、自身の生まれ育った村が燃えている。
入り口に人が立っている。だがアレは誰だ?
ゼールの記憶には無い男達が数名、村の入り口を塞ぐようにして立っている。
「あぁ? なんだコイツ?」
「おい待て。コイツは……例の魔力の持ち主だ。まさかこんなガキだったとは……」
ゼールに気づいた者が詰め寄ってくるが、仲間の一人がそれを制する。
まるでゼールの事を知っているかの様な口ぶりで語る彼等を、ゼールは冷たく睨みつける。
既にゼールの中ではこの者達に対する答えは出ていた。
「一応聞くわ。貴方達は?」
「聞いてどうする? 今から死ぬガキがよ」
「そう。邪魔よ」
ゼールがそう言って手をかざすと、男の頭が弾けた。
首より上が消失した体は膝をつき、ゆっくりと倒れる。
魔術ではなく、魔弾。それで十分だと言わんばかりに、ゼールは残る者達へ次々と魔弾を放つ。
反撃の機会すら与える事もなかった。
ゼールはそのままの足で燃える村へと踏み込む。
地面には見覚えのある者達が、死体となって転がっていた。
首を落とされた者、手足の無い者、誰かを庇うようにして殺された者、幼い子ども達。
大人も子どもも、皆殺されていた。
魔力探知を巡らせるも、生きている者はいなかった。
しかし、探知の端に反応がかかる。
それはゼールの知らない者の魔力であった。
「よう、お嬢ちゃん。おかえり」
恐らくは盗賊の頭と思しき男。
軽口を叩きながら出てきた男の左手には、見覚えのある女の子の首が髪を掴んで提げられていた。
フィリィだと気づいた時には、ゼールの中での糸が切れた。
「遅かったなぁ。ま、おめえさんがいない時を狙ったんだが」
「他の人達は?」
「全員死んでるさ。このガキで最後だったぜ? 魔族のガキが偉そうに守ってやがったよ。『俺が守るんだ! フィリィに触るな!』ってな。
何が守るだよ。大人しく死んでれば痛い目は見なくて済んだのになぁ。え?
手足を切ればそりゃデカい声で泣き叫んでたぜ。
『痛い痛い痛い! 助けてゼール!』って。あぁ、ゼールってのはお前か? 薄情だねぇ、仲間が酷い目にあってるって――」
「もう、喋るな」
「ひゅッ……」
男は上機嫌だった。
久しぶりの大収穫、殺しも存分に出来て、損害も無い。
こんなに気持ちのいい稼ぎは中々巡り合えないからだ。
故に、べらべらと要らない情報を口走り、ゼールの機嫌を逆撫でし、最後の壁を壊した。
彼女が放った一言に乗った魔力は、瞬時に男へ重圧となってのしかかる。
「頭ァ! やっちまいましょう!」
「ガキ一人だ! 殺せ!」
次々と炎の外から仲間がやって来る。
ゼールを囲むようにして陣を敷き、頭の指示を待っている。
既に戦意を失って冷や汗を滲ませる男を。
「ま、待て、お前ら……」
「もう誰もいないと言ったわね。なら、遠慮は要らないわね」
「に、にげ、逃げろォ!! 逃げるぞ!!」
「全部燃えてるなら、もう関係無いわね。――罪業の炎」
今も燃える村の火を上書きする様に、青と黒が混じった炎が走り抜ける。
盗賊を飲み、転がる村人の死体を飲み、家々を飲み、燃える炎を飲んで、景色が塗り変わる。
悲鳴が聞こえた気がしたが、ゼールの耳には届かない。
燃える景色と、全てが燃える音に、彼女は耽っていた。
(さようなら、皆。せめてもの弔いだと思ってちょうだい)
皮肉にも悲劇をきっかけに、ゼールは二つ目の一級を納める。
齢十一、まもなく十二になろうかという時期の話。
もう一週間もすれば、村の子どもたちはゼールの誕生日を祝っていただろう。
全ては偶然、ただ間が悪かった。
偶然にもボッセルが狙われ、偶然にもゼールは村を離れた。
魔土ではこういったことは珍しくは無い。
今回はボッセルの番だった。それだけのこと。
ゼールは涙を流さない。それが意味のない事だと思っているから。
ゼールは感傷に沈まない。その時間は無駄だから。
ゼールは振り返らない。後ろにはもう、何も無いから。
「これからどうしようか…………」
空を見上げ呟くと、アルバーが言っていた言葉が脳をよぎる。
『世界を回るよ』
「…………それも良いわね」
ゆっくりと歩き出す。何処へ向かうでもなく、とりあえず何処かへ。
今はただ、歩きたいとゼールは思った。
雲は重く、やがて雨が降り出した。
ブックマーク登録や☆評価での応援、よろしくお願い致します!
感想やレビュー等、皆様からの全てのリアクションが励みになります!
感想は一言からでもお気軽に♪
どうぞよろしくお願いします!




