二人の秘密(7)
「私とイヴォンヌ嬢が婚約した……その噂がただならぬ広がりを見せているという話です」
ローレンスの言葉に、エレノアがハッと息を呑んだ。その様子から、彼女には充分に思い当たる節があるのが窺える。私にとっても、イヴォンヌ嬢や『婚約の噂』は身近な話題だった。なにしろルーベンたちとの会話では、この二つが大きな位置を占めていたのだから。
ローレンスはレンにまっすぐ視線を向け、話し続けた。
「信頼のおける友人が、私に知らせてくれたのです。彼自身は噂を真に受ける人ではありません。イヴォンヌ嬢との婚約についても、初めは『またくだらない噂か』と気にしなかったと言います。ただ……この噂は消えるどころか広がり続け、なぜか人々は本気にしている……。それに気がついた彼は『何かがおかしい』と思い、『噂の出どころは掴めないが、気をつけろ』と私に警告してくれました。もちろんイヴォンヌ嬢との婚約は、根も葉もない噂です。ですが、私は妙に胸騒ぎを覚えました。今回の件は、単なる噂として片づけられるものではないと感じたのです。それでステファンに相談を……」
ローレンスの気持ちを汲むようにステファンはゆっくりと頷き、それから悩ましげに息を吐き出した。
「……この手の噂は非常に多いのです。皆さまも、ご存知のことと思います。ローレンスさまが誰と恋仲にあるか、誰と婚約されたか……これまで多くの噂が流れました。しかし、それが事実であったことなど一度としてありません。お相手とされた女性のほとんどは、ローレンスさまと面識もない方々でした。本当に……反応する価値もない馬鹿げた噂ばかりです。ローレンスさまを煩わせまいと、お耳に入ることがないよう周囲が気を配ってきたほどです。……しかし、ローレンスさまから詳細を伺って、今回の噂については私も不審に思いました」
「ローレンスさまは……イヴォンヌ嬢と面識はお有りなのですか?」
エレノアが遠慮がちに質問すると、ステファンが「ございません」と即答した。
「ローレンスさまが一度だけ出席された舞踏会にも、イヴォンヌ嬢はいらっしゃいませんでしたし……」
そこでステファンは、急に遠い目をして言った。
「まぁ……イヴォンヌ嬢がアスター家を訪れたことなら、何度もございますが……。あのご令嬢の父親はなかなか図太い神経をお持ちのようで、アスター家を訪ねてくる際には必ずイヴォンヌ嬢を伴ってやって来るのです。どうにかして、ご自分の娘とローレンスさまを引き合わせたかったのでしょう。同じようなことを考え、やたらとご令嬢を引き連れてアスター家にやって来る方々は多いのですが……。その度に私たち護衛は、ローレンスさまが鉢合わせすることのないよう動かなければなりません」
ステファンの顔にはうんざりした表情が浮かび、口からは今にも「本当に勘弁していただきたいものですな……」という呟きが漏れそうだった。
(顔に出すぎ……)
そう心の中で苦笑しながらも、私は『彼のことを好きになりそうだ』と思った。
ステファンには、二つの“けい”がある。
“敬意”と“警戒”だ。
特にレンへの態度に顕著だが、ステファンは“敬意”と“警戒”の間を何度も行ったり来たりする。敬意を表したかと思えば警戒し、再び敬意の眼差しを向けたかと思えば、また警戒心を見せるといった具合だ。
とはいえ、どちらも彼の正直な気持ちなのだろう。その気持ちが、まっすぐ表情や態度に出ただけのことだった。
駆け引きを好まず、ポーカーフェイスは苦手、策略もめぐらせず、人を欺くことなど不可能……私はステファンをそんな人だと感じた。
決して世渡り上手とは言えない。貴族社会で上手くやっていけるタイプでもないだろう。
だが、彼には嘘偽りがない。
そこに私は安心感を覚えた。
味方であれば、なんて頼もしい存在だろう!
当然のことながら私の好意的な見方には気づきもせず、ステファンは咳払いをしてから話を続けた。
「……話を戻しましょう。ローレンスさまから相談を受けてすぐ、私は確実に信頼できる者を選び、情報収集に努めました。嗅ぎ回っているのを悟られぬよう細心の注意を払いましたので、やや手間取りましたが……最終的には黒幕に辿り着くことができたのです」
自分でも驚くほど、私はビクッと身体を震わせた。
森で交わしたレンとの会話が思い出される。
『ローレンスさんとイヴォンヌ嬢の婚約話……。この噂の背後にいる人物は、私と……』
『『……アンドレアの身に起こったことにも関係している』』
この時の考えが合っているのなら、ステファンが言う“黒幕”が、この世界に私を連れてきた張本人の可能性もある……!
私は思わず立ち上がり、レンに身を寄せて彼の手を握った。この場でするには賢明な行動ではないとわかっている。だが、思いがけず謎に対する答えがチラついたことで、私は不安に襲われていた。突然、大掛かりな計画の中に無造作に放り込まれたような感覚だった。
レンは驚いた様子もなく、私の手を優しく握り返した。その手の温もりが、心を落ち着かせる。
私の行動は衝動的だったとはいえ、皆には『ただ守護者に支えを求めるアンドレア』として受け入れてもらえると思った。しかし、そのように見てくれたのはスペンサー伯爵とエレノアだけだった。
思いやりのある眼差しを向けてくれる二人とは対照的に、ローレンスは戸惑った表情でこちらを見つめ、ステファンに至っては探るような厳しい目つきをしている。
(しまった……な……なんとか挽回しなくちゃ……)
そんな考えとは裏腹に、私はただレンの手をもう一度ギュッと握った。
まるで、そうすれば助けが与えられ、良いアイディアが浮かぶとでもいうように——。




