二人の秘密(5)
レンの森……レンの家が代々受け継いでいる、“あの森”のことだ。正確にはレン一人が所有している森ではないが、彼がシールドをはって守っている以上、人々の間で「レンの森」として認識されていても不思議ではなかった。
美しい森、不思議な歌声……そこで出会ったルーベンやケヴィン、アネットとのやり取りが次々と思い出され、私は微笑んだ。彼らのことを想うと心が温かくなる。
ローレンスの話に“私”も知っている場所が出てきたことは、とても有り難いことだった。この世界の『住人』ではない私は、単なる普通の会話でも疎外感を覚えがちだ。だからこそ、『私も知っていること』が話題に上がることは、他の人たちとの繋がりを感じさせてくれる貴重な機会だった。
ローレンスはエレノアとレンを交互に見ながら、落ち着いた声で話し始めた。彼が「アンドレア」と名前を口にすると、そこに愛情を感じるのかスペンサー伯爵は小さく微笑んだ。
「スペンサー伯爵へは既にお話しさせていただいたのですが、私とアンドレアは、“レンさまの森”にある図書館で初めて出会いました。今から5ヶ月程前のことです。互いに名乗ることもなく、どこの誰かわからない状態でしたが……詮索する気もありませんでした。私たちは、ただの『森で穏やかに過ごす者』同士。そんな二人の他愛もないやり取りです。ですが、私にとって、彼女と過ごす時間は幸せそのものでした」
「まぁ……では、それまで娘を舞踏会で見かけたこともなかったのですね……」
いささか拍子抜けしたように呟いたエレノアに、ステファンが反応して小さく身動きする。何か言いたいが躊躇している、そんな雰囲気だった。
スペンサー伯爵はそれを見逃さず、彼に優しく声をかけた。
「良い機会だ。ステファン、君も私たちに知ってほしいことがあるのなら、遠慮せずに話してくれ。アスター家の内情は、私たちにとって未知の領域だ。ローレンス殿に関することなら、それは全て大切なことだと思っている。どんなに些細なことでも構わない。私たちには耳を傾ける準備ができているよ」
ステファンは敬服した眼差しをスペンサー伯爵に向けた。今までこのような配慮を受けたことがないのか、彼の表情には驚きと戸惑いが入り混じっている。常に警戒し、敵意や嫉妬から公爵令息を守ろうとしてきたステファンにとって、他の貴族から配慮や思いやりを受けることは極めて珍しいようだった。
ステファンはスペンサー伯爵に一礼した後、エレノアに向かって言った。その声は穏やかだった。
「ローレンスさまは、舞踏会には出席されません。何年も前に一度だけ……アスター公爵に言われて仕方なく舞踏会に足を運ばれたことはありますが……そこで得たものはただ一つ。『こうした場には出席すべきではない』という教訓です。ローレンスさまに群がるご令嬢たち……あれほどまでに女性の目はギラつくことがあるのかと、私から見ても恐ろしいものでした。おまけにローレンスさまから引き離そうにも手荒な真似はできず、私たち護衛は散々対応に苦慮いたしました。あのような状況は二度とごめんです。俯瞰して見ればよくわかりますが、あのご令嬢たちはローレンスさまのことを『獲得すべき品物』か何かのように捉えていました。まるで……周囲に見せびらかすための豪華な『装飾品』とでも思っているようでした。ローレンスさまを大切に想う者からすれば、非常に不快なことです」
エレノアは気まずそうな表情を浮かべた。
もしもその場にいたのなら、彼女は間違いなく『ローレンスに群がるご令嬢』の一人になることをアンドレアに強要しただろう。とはいえ、たとえ強要されてもそんな真似はしない。それがアンドレアだった。
ステファンは更に続けた。
「ローレンスさまの前では笑顔と愛嬌を振り撒くご令嬢たちが、裏では互いに貶し合い見下し合っている……そんな光景も私は目の当たりにしました。それは人が変わったのかと思う程で……。ご令嬢たちが露わにした『二面性』にも、大きな不安を抱いたものです」
ローレンスが、ステファンを労うような優しい声で話を引き取った。
「それからステファンは、ご令嬢に対する警戒心を強めるようになったのです。私にも『見たままを信じるな』と忠告を……。もちろん彼の気持ちは理解していますし、私自身も見抜く力は持ち合わせているつもりです。それに……“レンさまの森”で出会った以上、アンドレアがそのような女性ではないことは明らかでした。あの森は、アスター家の中でも有名な場所です。悪意や魂胆を持つ者は入ることができない……まさに聖域だと。今でこそステファンは色々と疑心暗鬼になっていますが、そもそも私を“レンさまの森”へと連れ出したのはステファンなのです」
皆の視線がステファンに集中する。
彼は『そこには触れてほしくない』といった様子だったが、渋々口を開いた。
「……その通りです。ローレンスさまの疲れ切ったご様子を見て、さすがに耐えかねたのです。その疲労は、忙しい日々からきているものではないと思いました。アスター家に、心休まる時間も安らげる場所もないことが原因です。レンさまの神聖な森ならば、警戒することも心配することもなく、穏やかな時間を過ごせるでしょう。そのことはわかっていました……。ですが、『行きたいから行く』という簡単なものではありません。確かに“レンさまの森”は、アスター家の中でも聖域として有名です。しかし同時に、『そこへ行く者は心の弱い臆病者』という見方が強い……。無論、その見方は単なるやっかみや言い訳から出たものですので、真剣に受け取る必要は一切ありません。アスター家には“守護者”に対して脅威を抱く者が大勢います。彼らは“守護者”に関わるものを、なるべく遠ざけておきたいのです。もちろんローレンスさまはそのような考えを支持してはいません。本来ならば、すぐにでも森を訪れたかったはずです。そうしなかったのは、公爵夫人から『行かないように』と頼まれていたからです」
ローレンスがすかさず口を挟んだ。
「誤解なさらないでください。母は、“レンさまの森”に不信感や脅威を抱いているわけではありません。ただ周囲の目を気にしたのです。アスター家には、私のことを監視し常に批判する人々がいます。私を臆病者と呼ぶ口実を、彼らに与えないでほしいと母は願っただけなのです」
説明するローレンスを見守った後、ステファンが再び話し始めた。
「ローレンスさまは公爵夫人を気遣って、自ら森を訪れることはありませんでした。ですが、先程申し上げた通り、私はもはや耐えられませんでした。ローレンスさまには、安心して過ごせる場所と時間が必要でした! 人をやっかむのに忙しい連中に、今更『臆病者』だと笑われたとして、いったい何だと言うのでしょう。彼らの言葉に意味などありません。それに……公爵夫人が懸念を抱かれているのなら、それを払拭すれば良いのだと考えました。屋敷の使用人たちは皆、ローレンスさまを慕っています。そんな彼らと私たち護衛が総動員で計画を実行しました。要は、周囲にローレンスさまは全く別の場所にいると見せかけておき、その間に私一人でローレンスさまを森へお連れしたということです」
「『注目は必要ない』」
突然レンが発した言葉に、全員がハッとした。彼の声は大きくも強くもない。とても冷静かつ静かな声だ。だが、そこには残念そうな響きがあった。
「『目立たず、ひっそりと……。必要としている人にだけ知られれば良い』。そうした思いから森に名前もつけませんでしたが、まさか私の森としてアスター家に知れ渡っているとは思いませんでした。ローレンス殿は、あの森を訪れることに、それほど気を使わなければならなかったのですね」
レンの表情は見えないが、彼が「アスター家は森に構わないでほしい」と思っているのは感じ取れる。ローレンスが森を訪れることは歓迎できても、『アスター家からの関心』については拒否したいようだった。
これまでの会話からわかるのは、守護者とアスター家に何らかの因縁があるということだ。スペンサー伯爵は、ステファンがレンを警戒する理由に“守護者”を挙げていた。
かつてエレノアが言った『守護者という存在は時代遅れで、もうあなたしかその役割を担われていないとしても』という言葉。森でアネットが話していた『貴族がどんどん守護者を追放してしまった』という事実。
そうした発言の内容も、ここに関わっている気がする。
(この世界にもスマホがあれば……)
いまだに守護者について無知な自分に腹が立ち、私は八つ当たり気味にそう思った。
この世界に来てから、スマホを恋しく思ったことはない。画面を見る代わりに、私は世界を見始めたからだ。周りの物は存在感を増し、置物や絨毯も活き活きと色鮮やかに目に映った。これほど会話に充実感を覚えたこともない。人との関わりを宝物のように感じるようになった。
しかし、スマホの有り難さも身に染みる。
知りたいことは人に尋ねることができるし、本から知識を得ることもできる。だが、「今、すぐに!」検索して情報を得られることは魅力的に思えた。
「ローレンス殿……お尋ねしたいことがあります」
私が悶々と考えているそばで、レンがそう口にした。
彼の声は穏やかで、相手に対する優しさと思いやりを含んでいる。しかし、この後に続けられた内容は、ローレンスにとっては厳しいものだった。




