攻防
レンは一旦口を閉じ、3人の視線が自分に注がれているのを確認すると、魅惑的な微笑を浮かべて再び口を開いた。
「……それでは、私はしばらくこちらに滞在し、アンドレアの力になりましょう。少なくとも婚約式が済むまでは、ここから離れるつもりはありません」
口調は穏やかだが、“あなた方の承諾は求めていない。これは決まったことだ”という確固たる声だった。
彼の言葉を聞いて、思わず私の口元は緩み、笑顔が浮かんだ。
(エレノアとした約束がどんなものであれ、彼がいてくれるのならもう大丈夫だ……!)
焦りは消え、エレノアへの苛立ちも忘れて、安心感が体中を満たした。
会って間もないというのに、私が彼に対して抱く信頼は絶大なものだった。自分でも不思議だが、彼にはそうさせる“何か”がある。
あの全てを見通すような深い眼差しや、桜の花びらを創り出す魔法のような力を持っている……というのも理由の一部だが、それだけではない。
理屈ではなかった。彼の圧倒的な存在感は、今まで経験したことのないものだ。あまりにも力強くて、深みがあり、私の心を捉えて離さない。
私が視線だけを動かして伯爵とエレノアの様子を窺うと、2人は対照的な反応を示していた。
伯爵の目には明らかな安堵の色が見え、レンの申し出を歓迎しているようだ。反対にエレノアは、思わぬ邪魔が入ったことに渋い表情を浮かべている。今にも「余計なことを……」という声が聞こえてきそうだった。
だが、エレノアの立ち直りは早かった。
我に返ったようにハッとすると、一瞬で優雅な微笑みを顔に張りつけ、甲高い声でまくしたてた。
「まぁ! そんなお心遣いを……! 有り難くて言葉もありませんわ。……ですが、お忙しいレンさまに、そんなご負担をおかけするわけにはまいりません。王家の森を管理するという『大事なお仕事』がございますのに、我が屋敷に留まっていただくなんて……。いえいえ、そんなことはなりませんわ! お気持ちだけで充分……」
「遠慮は無用」
レンが鋭く口を挟み、エレノアの言葉を遮った。
「アンドレアのそばにいるのが、私の望みです。あなたが気になさっている『大事なお仕事』ですが、私が不在の間は、姉に管理を任せますので、心配いただく必要はありません」
レンは涼しい顔で、キッパリと言い切った。
彼に一歩も引く気がないのを見て取ると、ついにエレノアはうわべだけの愛想の良さをかなぐり捨てた。
「……お察しいただけないようですから、この際ハッキリ申し上げましょう」
エレノアの声は途端に刺々しいものに変わったが、レンは気にもせず、にっこりとして言った。
「ぜひ、そのように。その方が話は早いでしょう」
エレノアはムッとしたようだったが、一息つくと背筋を伸ばして口を開いた。
「あなたにいられては、都合が悪いのです」
「……どういう意味でしょうか? 私は何かを邪魔するつもりはありません。ただそばにいて彼女を見守り、しかるべき助言をするまで……。私はアンドレアの幸せを願っているのです」
エレノアはイライラとした様子で言った。
「……あなた……ご自分が、人の目にどれほど魅力的に映るかご存知ないの?」
……ん?
成り行きを見守っていた私は、何かの聞き間違いかと思って、エレノアの顔をマジマジと見つめた。
今なんて言ったの? 何の話?
私が戸惑っている横で、レンとエレノアの会話は続く。
「あいにくですが、人からどのように見られるかを気にしたことはありませんので」
「それは問題ですわね! もっとよくお考えになった方がよろしくてよ。……わからないなら説明いたしますわ。ローレンスさまがいらっしゃった時に、あなたのような見目麗しい男性がアンドレアの近くにいては困ると言っているのです! あなたは目立ちすぎますし……もし……もし、あなたたちの関係をローレンスさまが誤解なさったら、どうするのです?」
あ、聞き間違いじゃなかった。
……エレノアは着眼点が違うわね。
私は心の中で苦笑した。
同時に拍子抜けした感もある。
エレノアがレンの滞在を嫌がるのは、彼がアンドレアの気持ちを変える可能性があるからだと思っていた。
レンなら、アンドレアが伯爵家の為に自分を犠牲にしようとすれば諭すだろうし、他にも多くの選択肢があることを教えるだろう。
だが、エレノアが気にしているのは、レンの存在がもたらす影響ではなく、彼の外見・容姿がもたらす影響だ。
「気持ちを変える」という大きな影響と比べると、随分と浅く軽いものに思える。
確かに、私にもエレノアの言いたいことはわかる。
レンとアンドレアは美男美女だ。お似合いだし、親しげな様子で2人が一緒にいたら、恋人同士かと勘繰ったって不思議ではない。そして、公爵令息とやらが、それをよく思わないのも容易に想像できる。
エレノアは、ローレンスが2人を見て何を思うかを、非常に恐れている。だって、公爵令息の機嫌を損ねるわけには、絶対にいかないのだから……。
だが、レンはいまいちピンときていないようで、わずかに眉をひそめた。
「誤解されるようなら、事実を告げればよいでしょう。私はアンドレアの守護者であって、恋人ではない。ローレンス殿は、そんなに理解力に乏しく、聞く耳も持たない方なのですか?」
レンの言葉に、エレノアは眉を吊り上げ、今にも癇癪を起こしそうだった。
だが、その前に伯爵が一言、強い口調で言った。
「エレノア、もうよしなさい」
エレノアがビクッとして、夫の顔を見た。
温厚なジェームズにも、越えてはならない一線がある。自分がそこに触れかけているのを、エレノアは感じ取っていた。
「レンには、アンドレアのそばにいてもらう。わかったな? アンドレアが婚約を受け入れたからと言って、公爵家のご機嫌取りに成り下がる必要はない。レンが言うように、もしローレンス殿が何か気にされたなら、説明すればよい。それでも納得されないなら、婚約を破棄されても構わない。この子にとって、レンは大事な存在なのだから」
そう言って伯爵が鋭い視線をエレノアに向けると、不服そうながらも彼女は黙って頷いた。伯爵が言った「婚約破棄」の話に、ひどく動揺もしているようだ。
エレノアは落ち着きなく視線をさまよわせ、独り言のように呟いた。
「わかったわ……。レンさまにはここに留まってもらうわ……」
私がホッとしてレンへ視線を向けたのも束の間、いきなりエレノアの声が飛んできた。
もう誰かに何か言ってやらないと気が済まない! とばかりに、彼女の表情は険しい。
そして、その標的になったのは私だ。
「いいこと? アンドレア! レンさまの言うことをよく聞いて、ローレンスさまの訪問に備えなさい。……それと、その色目はローレンスさまへ使うのが賢明よ。あなたのお相手は、公爵家のご令息ただひとり。そのことを、よく理解するように。レンさまにそんな眼差しを向けても、何の得にもならないわ」
エレノアの言葉に、私は恥ずかしさと腹立たしさで真っ赤になった。
(い、色目なんて使ってないわ! ただ信頼を込めて見つめただけでしょう⁉︎)
わかっている……。
エレノアに口答えは出来ない。
だが、彼女を睨みつけないようにするのに、私にはかなりの努力が必要だった。
エレノアは私がグッと耐える様子を見て満足したのか、夫とレンに向かって微笑んだ。
「それでは、わたくしはローレンスさまの訪問に備えて、準備を進めますわ。……レンさま……言っておきますが、婚約破棄を申し渡されるなんてことは、絶対に避けてくださいね」
微笑みから一転、最後にはレンをひと睨みすると、エレノアは顎をツンと上げて足早にその場を離れた。
彼女が部屋を出て行くのを見守った伯爵は、扉が閉まった途端に深い溜息をついた。
その彼に向かって、レンはゆっくりと言った。
「……スペンサー伯爵、私たちには話さねばならないことが山ほどあるようですね」
レンの美しい青色の瞳は、鋭い眼光を放っていた。