指輪を(1)
「……っ! ……っ!」
ギュッと締めつけられたウエストに、私は息を呑んだ。
(……コ、コルセット……苦しすぎ……。いったい、どんなサイズで作ったの……)
苦悶の表情を浮かべた私を、アメリアが心配そうに見つめている。彼女の肩は強張って小さく震え、こちらに駆け寄ろうとするのを懸命に我慢しているようだった。
本来なら身支度を手伝ってくれるはずのアメリアが、今は私から離れた場所で立ち尽くしている。
これでもかとコルセットをきつく締め上げ、私にドレスを着せているのは……よりによって、あのセシルだった。したり顔のセシルに、アメリアが腹立たしそうな視線を向ける。「お嬢さまの侍女はあなたじゃない! 私よ!」という彼女の叫びが聞こえてきそうだった。
アンドレアの部屋で私を待っていたのは、残念ながらエレノアとアメリアだけではなかった。
レンの温かな眼差しに見守られ、ゆっくりとドアを閉めた時、私には微笑む余裕があった。エレノアが手荒な真似をしてくる心配はなく、いつものようにアメリアが優しく身支度を手伝ってくれるはずだったからだ。
しかし、振り返った私が目にしたのは、そんな二人の姿だけではない。クローゼットの前で待機するセシルに気がついた時、私がどれほどショックを受けたか……。
セシルの瞳は、「ようやくチャンスがきた」とばかりに輝いていた。
エレノアの前で、“忠実な侍女”をアピールするつもりだ!
そう察した私はレンを呼び戻したい衝動に駆られたが、それを実行に移す前にセシルの方が動いた。彼女はさも「こうするのは自分の当然の権利だ」という態度で、アンドレアのクローゼットを漁り始め、一着のドレスを引っ張り出してくると、急いで私の着替えに取り掛かった。
「奥さま、このドレスがよろしいですよね?」
「新しいものではないですが、素晴らしいドレスですわ」
「さすが、お嬢さまを魅力的に見せます」
「この後すぐにローレンスさまから婚約指輪を贈られても、これならば見劣りしませんわ」
「公爵家が用意する指輪は、どれほど豪華なことか……」
セシルはひっきりなしにエレノアへ話しかけ、私の様子を気にすることはない。
エレノアの困惑した表情から、彼女がセシルを呼んだわけではないことはわかった。おそらくローレンスの到着を知ったセシルが、勝手に押しかけてきたのだろう。
この挽回のチャンスに張り切りすぎて、セシルはエレノアの戸惑いに全く気がついていないようだった。
セシルの暴走を止められる唯一の人物。
その頼みの綱であるエレノアは、言葉も出ない様子で目の前の光景をただ眺めている。セシルの横柄な振る舞いも、それを平然と行っている状況も、まるで信じられないという面持ちだった。もっとも……そんなセシルの態度を許してきたのは“かつてのエレノア”だ。
しかし、これまでの『普通』は、今のエレノアにとっては『異常』なものだった。
着替えが完了した私を見て、エレノアは「いったい誰がこんなドレスを選んだの?」と呆れたような目をした。
そんな彼女に向かって、私は心の中で呟く。
(いえいえ、エレノア……多分ね、これを注文したのはあなただと思うわよ……)
婚約式に向けて注文したドレスや装飾品は、もちろんまだ完成していない。代わりにセシルがクローゼットから取り出してきたドレスは、派手な真紅色のものだった。胸元は大きくあき、やたらとウエストが細い。
エレガントに感じるローブ・デコルテとは違い、ただただ胸を強調しているだけに見えた。
“私”の好みとは程遠く、妖艶というよりは下品と言った方が的確で、アンドレアも「絶対に身につけたくない」と相当に嫌がっていたドレスらしい。なにせ、クローゼットを何度も利用していた私が見つけられない程、奥の奥に押し込まれていたのだから……。
このようなドレスをアンドレアが選ぶはずもなく、当然スペンサー伯爵が娘にプレゼントすることもあり得ない。
しかし、“変わる前”のエレノアからすれば、これはまさにアンドレアに必要なドレスだった。良い結婚相手を『捕まえる』ために、彼女が娘にどんな格好をさせたかったのかは想像に難くない。このドレスを強引にアンドレアに押しつけたとしても、何の驚きもなかった。
(誘惑ねぇ……まぁ、しようと思えば簡単にできるでしょうよ。私が聞きたいのは、それで何の意味があるの? ってこと。だいたい、そんな誘惑に引っかかる男なんてたかが知れてると思いますけど……)
考えているうちにイライラが募っていく。自分がこんな格好をさせられていること自体、とても屈辱だった。
「ふんっ!」
私は鼻息も荒く、胸元を隠そうとドレスを思い切り引っ張った。
(高そうなドレスだけど、ヨレヨレになったって構わない! 生地が破けたって知らないわ。こんな格好でローレンスに会うなんて冗談じゃないもの!)
そうやって強気に出たものの、生地を掴んだ手をセシルにピシャリと叩かれ、私は目を見開いて固まった。
まさか使用人が令嬢に手を上げるとは……。
案の定、アメリアは怒りで顔を真っ赤にしている。我慢の限界に達してこちらに駆け寄ってきたが、彼女が非難の声を上げるよりも先に、別の声が部屋に響き渡った。
「セシル!!」
その場を震わせるほど大きな声を出したのは、エレノアだった。彼女は眉を吊り上げ、セシルへ煮えたぎるような眼差しを向けている。
「お前は今、何をしたの……? 娘に手を上げるなど、断じて許しませんよ!」
セシルの顔が蒼白になる。絞り出すように弁解する彼女の声は、わずかに震えていた。
「あ……ですが、奥さま……。よ、良き結婚のためには……お嬢さまに厳しい態度で接して構わないと……乱暴な振る舞いも許されると……以前、仰っていたではないですか……」
それを聞いたエレノアは目を閉じ、深く息を吐いた。
「……わたくしの責任ね。これまで、とんでもないことを許容してきたんですもの。今となっては……自分で自分が信じられないわ……」
そのまま葛藤するかのように眉間に皺を寄せ、エレノアは少しだけ黙り込んだ。しかし次に目を開けた時、エレノアの瞳には強い意志が宿っていた。
伯爵夫人の威厳というものがあるのなら、今のエレノアにあるのは“それ”だ。スペンサー伯爵の隣にいるのが相応しいと思えるほど、彼女は凛として美しく見えた。
「今後は、娘に対して無礼な真似は許しません。言葉、態度、振る舞い……全てにおいてです。アンドレアに敬意を払いなさい。この子は、わたくしの娘……スペンサー伯爵の大切な娘です。どういう意味かわかるわね? 『良き結婚のためには、娘の意思など不要』と言ったわたくしの発言は忘れなさい。もはや、そんなことをするつもりはありませんから。これからのわたくしは……わたくしは娘の意思を尊重します」
エレノアの言葉に、セシルが悲痛な声を上げた。
「奥さま……!? 奥さま! いったい、どうなさったのです!? もしや、あの魔法使いに……あの魔法使いに……何か術でもかけられたというのですか!?」
“あの魔法使い”
そこに込められた皮肉と蔑みを感じ取り、私は思い切り眉をひそめた。とりあえず大人しくしておこうと思っていたにも関わらず、反射的に言葉が口をついて出る。
「「……なんですって?」」
驚いたことに、私とエレノアの声が重なった。




