ユニーヴェリア
私はレンから手紙を受け取り、丁寧に中身を取り出した。シンプルな便箋に美しい文字が並んでいる。
(なんて達筆な……)
文を読む前に、まずは字の美しさに驚いた。
流れるように綴られた文字たちは繊細で、ところどころルーベンの逞しさを表すように筆圧が強くなっている。その強さがアクセントになり、美しさが更に際立って見えた。
貴族は文字の書き方まで習うのか……。
そんな思いが頭に浮かぶ。
ルーベンは手紙の冒頭でレンとアンドレア、そしてスペンサー伯爵の近況を尋ねた後、ようやく自分のことに触れていた。
何かあれば、すぐに伯父のところに行けば良い。そう思うと、気が楽になったこと。その軽やかな気分で帰ったところ、両親はいつものような小言を一切言わず、むしろ“北の領地”での働きを賞賛してきたこと。
そして、いまだに両親は機嫌が良く、全ては解決したと思っていること……。
ルーベンが何に言及しているのかわからない中、私はある一文に目を留めた。そこに大きな意味が含まれている気がして、その文だけを口に出して読み上げる。
「『さて、いつまで彼らの余裕は持つかな』……」
私の問いかけを感じたように、レンは小さく微笑んで言った。
「鋭いね」
いったいどこから話そうか……。
そう考えているかのように、レンは少しだけ視線を上げ、その後一息ついてから穏やかな口調で話し始めた。
「“ユニーヴェリア”——それはスペンサー家の領地の中でも特別視されている土地だ。多数の貴重な鉱物に恵まれていることから、この土地を欲しがる者が大勢いる。そんな彼らの注意を引かないように、私たちはそのまま名前を口にするのを避けているんだ。だから、話題にする時にはこう呼ぶ。“北の領地”……と」
「北の領地……! そこが……」
「もはや一種の癖になっていてね。『ユニーヴェリア』と口にしても安全な場所でさえ、私たちは自然と“北の領地”で通してしまうんだよ」
「あ、そういえば……ルーベンさんもアネットさんも、ずっと“北の領地”って言っていましたよね。あの森では、ユニーヴェリアを狙うような人はいないってわかっているのに……」
何度も耳にした“北の領地”の姿が、私にも見えるものになっていく。
レンは頷いてから、声のトーンを少しだけ変えた。穏やかではあるが、冷静さを意識しているような声だった。
「この地に関して、ある問題が起こってね。北の……いや、つまりユニーヴェリアは……“スペンサー伯爵の領地”ではあるが、実際に権限を持っているのはマークなんだ」
「……」
受け入れがたい事実に言葉を失ったが、私の歪んだ眉が大いに不快感を物語っている。そんな私を刺激しないように、レンは一旦話すのをやめた。
間を置いて、ようやく疑問を口にした時の私の声は、“不満そのもの”といった様子だった。
「……どうしてですか?」
「彼らの父親がそうさせたんだよ。爵位をジェームズに譲る際、彼はユニーヴェリアの領地運営をマークに任せるよう懇願した。何故か? 『伯爵となるのはジェームズだが、お前も立派な立場につける。それだけの権限を持てる』とマークの気持ちをなだめ、彼に競争心よりも責任感を抱かせたかったからだ。領地の一部を家族に任せるのは、異例なことではないよ。どこでも当たり前に行われていることだ。領地が広ければ広いほど、一人で全てを管理するのは難しくなるからね。爵位を持つ者には膨大な仕事があり、その一部を担うのは家族の義務でもある」
「……だからって、そんなに重要な土地をマークに任せます?」
もはや会ったこともないマークを呼び捨てである。
わずかながら「失礼かもしれない」という考えが浮かんだが、私はわざと無視をした。
マークへの苛立ちの方が勝っていた上に、彼らの父親の考えは甘いとも思った。
「結果として、上手くはいかなかったね」
私の発言に対して、レンはあっさりと言い放った。
「ジェームズは父親の頼みを受け入れたものの、常にユニーヴェリアに気を配ってきた。マークからは定期的に詳細な報告を受け、ジェームズ自身も度々視察に訪れている。だが……目を向けていない部分があったんだ。ジェームズが気にかけていたのは、『領地運営が滞りなく行われているかどうか』、『領地に暮らす人々の生活が安定しているかどうか』ということだった。マークもそれを理解していたのだろう。ジェームズから苦言を呈されることのないよう、彼は真摯に仕事に取り組んだ……と、これまでは見られていた。だが最近になり、彼の隠れた行いが露見したんだ。発端は、マークが領地運営を他の者に任せて別の地に移り住んだことだった。ルーベンやケヴィンを含め、一部の者たちも強制的にマークと共に新たな地に行かざるを得なくなったんだ。抗議するルーベンにも耳を貸さず、権限を振りかざして『私に従え』の一点張りだったそうだよ。……運営を任された者たちは優秀ではあるが、マーク自身は責任を放棄するのか? 移り住む土地や屋敷はどうやって手に入れたのか? 危機感を抱いたルーベンとケヴィンが、秘密裏に事の次第をジェームズへ知らせてきたのが約7ヶ月前の出来事だ。ジェームズから連絡を受けた私は、すぐに調査を始めたよ。すると……マークが触れてはならない鉱物に手を出していたことがわかったんだ」
「……鉱物……ですか?」
「ユニーヴェリアにおいて、勝手に採掘してはならない鉱物がある。危険だからという理由ではなく、あまりにも希少であるが故に研究対象としてしか扱わないと定められたものだからだ。マークはこの鉱物に手を出し、密かに売っては私腹を肥やしていた。ジェームズが目を向けていなかったのはここなんだ。彼はマークの怠惰を心配しても、不正をするとまでは思っていなかった。人々の生活には気を配っていたが、まさか『触れてはならない鉱物』に手を出されるとは思いもしていなかった。事実を知ったジェームズは、『弟がそんなことまで……』とショックを受けていたよ……。しかし、仕事を放棄し、別の土地に移り住んでも、ジェームズに何も知られずにいられると思うなんて……。マークは、それすらもわからなくなってしまったようだね」
「それは……。それって……」
私は相応しい言葉を探したが、良い表現が見つからず口を閉じた。もどかしい思いを抱きながら、俯いて視線を彷徨わせる。
ザワザワと嫌な感覚が身体を走った。
原因はマークだけではない。彼は私に、誰かを思い出させる。
“私”自身の古傷が疼いていた。
気持ちの悪い感覚から私を救い出すように、レンの深みのある声が静かな部屋に響いた。
「マークに“ユニーヴェリア”を任せたのは、結果として全く上手くいかなかった。だが、今は結果としてルーベンを守る鍵になる」
その言葉に、私はパッと視線を上げた。




