嫉妬してShit!
「守るって……ルーベンに何か危険が……?」
私が眉をひそめながら口にすると、その心配を払拭するようにレンはきっぱりと答えた。
「いや、危険というわけではなく、“苦痛から守る”ということなんだ。……気持ちの良い話ではないが、伯爵の座に執着する者がルーベンの身近にいるのでね」
「クェ(そうそう)」
「……ジェームズの弟マーク。君はまだ会ったことがないが、話にはよく聞くだろう?」
「クェクェ、クェェ(ええ、ええ、そうでしょうとも)」
「はい。ルーベンさんの父親ですよね。まぁ……確かに色々と……」
「グワッグワッ(本当に困ったものですよ!)」
まるで合いの手を入れるように、ロビンが鳴き声に絶妙な変化をつけて私たちの会話に参加する。
レンはそんなロビンに目をやり、穏やかに微笑んだ。
事情通のロビンに感心すべきか、鳴き声から彼が言っていることがなんとなくわかってしまう自分に驚くべきか……。
しかし、そうした戸惑いを感じたのも束の間。
すぐに私の頭の中で、何人もの声が響き渡った。いくつかのシーンが脳裏を駆け巡り、その時の彼らの感情や表情を生々しく感じる。
エレノアの悲痛な叫び——。
“義弟とその妻は、わたくしの状況を知ってさぞ喜んだでしょうね。お義母さまに負けず劣らず、卑しい人たちですもの。あちらには既に一人息子がいて、彼が自慢で仕方がなかったのよ。彼らは会う度に、自分たちの息子とアンドレアを比較しては、わたくしの前で娘を貶したわ”
アネットの興奮した声——。
“いい加減で傲慢な者がより幅を利かせるようになり……彼らは何もしないくせに偉そうで……。そうです! いつだって、ただふんぞりかえっているだけなんですよ!”
そのアネットの言葉に、「それは僕の父のことかな?」と言ったルーベンの声が重なる。からかうような、軽い口ぶりで……。
けれど、屋敷に帰りたくないと表情を曇らせた彼は、辛さを隠しきれていなかった。そんな彼の姿が一瞬だけ浮かび上がり、ふっと消えていく。
そして……ケヴィンの嘆きと忠誠心——。
“どれだけ不服でも、不満でも、納得がいかなくても、受け入れ難くとも、拒否反応がでようとも……契約上は旦那さまが私の主なのです。それが現実です”
……
“ルーベンさま、私が忠誠を誓う相手は旦那さまではなく貴方です”
ケヴィンはルーベンが理不尽な目に遭うことに耐えられず、昂る気持ちを私たちの前で吐き出した。ルーベンの両親の実態を誰よりも教えてくれたのは、ケヴィンかもしれない。
「なんだか、すごい言われようで……。しかも伯爵の座にこだわりまで……?」
私は弱々しく苦笑しながら呟いた。
「昔から、マークは爵位を自分のものにしたがっていた。前伯爵である父親にも度々願い出ていたそうだが、『ジェームズを継承者に』という父親の意思は変えられなかった。そうしてジェームズが伯爵になった時、今度はジェームズに爵位を譲ってほしいと直々に訴えてきたそうだよ。マークの主張をそのまま再現するなら……『兄さんは温厚で誠実だ。それはそれで結構なことだが、嘘がつけず駆け引きも苦手となれば先行きが不安でしかない。貴族社会で上手くやっていくには、狡猾さが必要なんだよ。どうだろう? 伯爵の立場には、兄さんより相応しい人間がいるとは思わないか?』……となるね」
「……」
一瞬、私の理解が追いつかなかった。
「えーっと……? その相応しい人間は自分だって、彼は言いたいんですよね? それって……つまり……自分は『嘘も上手いし、狡猾だよ』って言ってるんですか?」
私が呆れたように言うと、レンは笑い声を上げた。
その軽やかな笑い声が、とても心地良かった。この話題を軽んじているのでもなく、マークを見下したり馬鹿にして笑っているのでもない。真剣ではありながら、深刻に捉えすぎない余裕を感じさせる笑い声だ。
「随分と奇妙な言い分だろう? だが、マークは本気だった。彼は貴族社会を『嘘と駆け引きが蔓延する場』だと見ていて、そこで渡り合う為には何より狡猾さが必要だと思っていたんだよ。だから、伯爵には狡猾な人間が相応しいという考えは、彼にとっては理屈に合うものだった。……ジェームズも、貴族社会を『嘘と駆け引きが蔓延する場』だとは捉えていたよ。ただ彼は、その中にいる“真摯な者”たちの存在へと意識を向けていた。たとえ少数であっても、そこに希望を見出したんだ。だからこそ彼は、『必要なのは狡猾さではなく誠実さ』だと考えていた。同じ貴族社会を見てはいるが、ジェームズとマークの見方は全く異なっている。それによって、実際に見えるものも確実に違ってくるだろうね」
「そもそも志からして違うわ……。父親がジェームズさんを継承者に選んだのが幸いです! いったいなんなんでしょうね。父親から拒まれたのに、次にはお兄さんにまで願い出てくるなんて……諦めが悪すぎます」
マークに対してムッとするあまり、私は思わず強い口調になった。
「もちろんジェームズはマークの願いを受け入れなかったよ。穏やかさを保ちつつも、毅然とした態度で断ったという。その時のマークの反応はかなり激しかったそうだ。……長年の妬みが爆発したんだろう。ジェームズを罵る声が部屋の外にまで響いたというから相当だね。兄に対して少なくとも表面上は敬意を示していた男が、『いずれ後悔することになる』と捨て台詞まで吐いたんだ。使用人たちの間では、マークの『嫉妬に狂った醜態』として有名な話だよ」
私の頭に、「Shit!」(クソッ)と叫びながら癇癪を起こしている男性の姿が浮かんだ。
想像上のマークだ。
いまだ顔も知らぬ彼の姿に、私の脳はかつて観た海外ドラマの一場面からイメージを借りてきたらしい。
全く違う容姿かもしれない男が、この世界には存在しないかもしれない「Shit」なんて言葉を吐き捨てて、地団駄を踏んでいる。ある意味、滑稽に思えた。
「まさか……今でも、その弟は伯爵の座を自分のものにしたがっているってことですか? ルーベンさんが継承者になったら、今度は息子に嫉妬するつもりですか?」
ありえないと思いつつ、私は悲鳴じみた声を上げる。
「いやいや、自分が伯爵になることはとっくに諦めているよ。しかし自分の代わりに、息子を継承者にしたいと躍起になっている。スペンサー伯爵夫妻の子供が娘だったことで、余計に熱が入ってね。『伯爵を継ぐのはルーベンしかいない』と息巻き、『相応しい教育をしてほしい』と、まだ幼いルーベンをジェームズの元に置き去りにしていったこともある」
「……ルーベンさんを何から守りたいのか、わかった気がします。……彼は大丈夫ですか? 口にはしませんでしたけど……ずっと気にはなっていたんです。だって、レンさんが『耐えられない時は、口実を作ってスペンサー伯爵のところに来ればいい』って言っていたのに、一向に来る気配がないから……。もちろん彼が『辛い状況に陥ってないから』なら良いんです。でも、辛いのに我慢して屋敷に留まっているとしたら……」
私の注意を引くように、レンが指先を軽く動かす。
次の瞬間、彼の手には一通の手紙が握られていた。テーブルの上から飛んできたのか、瞬間移動してきたのかさえも判断できない、たった一瞬の間に。
「君に見せようと思っていたルーベンからの手紙だよ」
レンは優しい声で言うと、「読んでごらん」と示すように手紙を私に向かって差し出した。




