爵位継承
具体的に答えようとして、レンはすぐに付け加えた。
「私たちが話し合っていたのは、“爵位継承”の件なんだ」
「……しゃ、爵位継承? つまり……スペンサー伯爵の……?」
レンは頷いた後、私の不思議そうな表情に気づいたようで説明を始めた。
「ライザの時代から変わらず、今も爵位を譲る時期は自由に選べるんだよ。早くに譲る者もいれば、人生を終える時まで自ら持ち続ける者もいる。どちらが良い悪いということはないよ。相応しい者が見つかり早めに譲る者もいれば、単に自分の手に余るから早く譲ってしまえと投げやりな者だっている。一方で、地位に執着して爵位を手放そうとしない者もいるし、相応しい者が決まらないが故に出来る限り自分自身で全うしようと努める者もいる」
「……継承者選びも大変なんですね」
「ライザの時代より制限があるとはいえ、選択肢は複数あるからね。男性で、血縁関係にある者か、婿養子や養子になるかしてその家の人間になった者であれば、継承者になれる。……ちなみにライザの時代は、意志と資質があれば誰でも継承者に選ばれることが可能だった。性別も血筋も、その頃は関係なかったんだ」
「……」
「ジェームズも、爵位継承については常に意識していたそうだ。『アンドレアの結婚は、スペンサー家の未来を左右する』。そのようなことが周囲で言われてきたんだが、確かに間違ってはいない。彼女の結婚相手によって『爵位を継ぐ者』が変わってくる可能性もあるからね」
「あ……! そうですよね……。アンドレアは女性だから爵位を継げない。そうなると可能性が一番高いのは、婿養子かと思ったんですが……でも、アンドレアが公爵家に嫁ぐのなら、その選択肢もなくなりますもんね……」
「そうだね。結局ローレンスとの婚約は破棄になるから、本当は婿養子の選択肢が消えたわけではない。だが、今それを知るのは君と私だけだからね……。アンドレアとローレンスの婚約が明るみになれば、それでは誰を継承者にするのかと騒ぎ出す者もいるだろう。だから今のうちに全て整えておきたいと、ジェームズは私に相談してきたんだ」
スペンサー伯爵が誰を選んだのかは察しがつくというものだ。
「……スペンサー伯爵は、ルーベンさんに爵位を継がせたいんですね? それなら私も大賛成ですっ!」
ルーベンに会った時のことを思い出して、私は力強く頷いた。
彼の瞳にスペンサー伯爵と同じような威厳があったのも、彼が既にスペンサー伯爵と同等の責任を背負っているように感じられたのも、なんだか腑に落ちた気がする。
ルーベンこそ、まさに伯爵に相応しい人物だと思えた。
レンが肯定するように頷いたが、それと同時に私は「あっ」と小さく声を上げた。
「……でも……ローレンスさんとの婚約を破棄することは、スペンサー伯爵だけには伝えてあげた方が良いんじゃないでしょうか? 継承者を決めたのに、アンドレアの婚約破棄でまた婿養子という選択肢が出てくることになると……せっかくの決定も白紙になってしまうのでは……。今話しておけば、何か手が……」
婚約破棄について明かすのは簡単なことではない。そんなことは充分わかっているにも関わらず、口にせずにはいられなかった。
時間に追われる“現代人”の性なのか、時間の浪費という概念には胃がヒュッとするような恐怖を感じる。スペンサー伯爵が長い時間をかけて取り組んだ問題が、振り出しに戻るのは避けたい。多忙な彼の時間を無駄に使わせたと思うと居た堪れなかった。
レンは思いやり深い眼差しはそのままに、少しだけ困ったような表情を浮かべた。
「気持ちが顔に出るのは、ルーベンだけではないよ。ジェームズも似たようなものだ。彼は誠実だから、本来なら気持ちが顔に出ることに問題はない。しかし言い換えれば、それは嘘がつけないということでもある。ジェームズは何に対しても、正直に正々堂々と向き合いたがる人でね。『アンドレアとローレンスの婚約は破棄になる』と教えたところで、彼がその秘密を隠し通せるか……。なにより、彼にかなりの負担をかけることになる。……君だって、秘密には負担を感じているだろう?」
そう言いながら、レンは申し訳なさを滲ませた目で私を見つめた。そこからは私への気遣いと同時に、私が見せたスペンサー伯爵への配慮に対する感謝も感じられる。
レンが言うように、私にとっても婚約破棄の件を秘密にするのは負担だった。ただ黙っておくだけならまだ良い。だが、周囲は婚約すると思い込んで祝福してくれるのだ。
秘密というよりも、騙しているようで苦しかった。
……けれど、今の私にはそうするしかない。
「いえ……それは……多少はありますけど……。でも、私とアンドレアの状況を考えたら、婚約破棄のことは秘密にしておくのが安全だと思いますから……仕方のないことです。私は大丈夫なんです。ただ、爵位継承の件を無駄に引っ掻き回したくなくて……」
「君の気持ちはよくわかるよ。あれだけ長い時間をかけて、色々と考えさせ詳細を決めておきながら、『実は不要なことでした』なんて言えない。だが、今回ジェームズと話していて気づいたのは、彼の中ではずっと前から『誰に爵位を継承させたいのか』がハッキリしていたということだった。彼はもう何年も前からルーベンに爵位を継がせたいと思っていたんだよ。それなのに、架空の『婿養子』に遠慮して決断を先延ばしにしていた。話し合いの中でそれを指摘したら、彼も認めていたよ」
「じゃぁ……」
「たとえローレンスとの婚約が破棄になり、婿養子という選択肢が復活しても、ルーベンが爵位継承者ということに変更はないだろうね。ジェームズは、ルーベンを幼い頃から知っている。その資質や成長ぶりを非常に高く評価しているんだ。だが、彼を選んだ一番の理由は、さっき君が言ったように“心が濁っていない”ということなんだよ。知識や交渉術を身につけることよりも、心を濁らせないということの方がずっと難しい。貴族社会の中で翻弄されながらも真っ直ぐな心を持ち続けるルーベンを、ジェームズは心から信頼しているんだ。そこから生まれた『爵位をルーベンに継がせたい』という強い想いは、未来の『婿養子』によって覆されるようなものではないと悟ったようだった」
「そっか……よかった……。それなら安心です」
ホッとした私は、ふと浮かんだ疑問をそのまま口にしてしまった。
「それにしても、継承者がルーベンさんに決まっていた割には、話し合いにだいぶ長い時間がかかったんですね」
そのつもりはないが、捉え方によっては話し合いが長時間になったことを責めているように聞こえる。
言った瞬間に気づいてハッとしたが、レンには気に障った様子はなかった。
彼は視線を少し落とし、真剣な声で続けた。
「確かに継承者は決まっていたが、その継承者をどうやって守るのかが重要な内容でね。そちらにかなりの時間を費やしたんだ……」
その時、眠っていたはずのロビンが羽をモゾモゾと動かした。思わず視線を向けると、それに応えるように彼はうっすらと目を開ける。
こちらの会話に関心があるとでも言いたげで、妙に訳知り顔に見えた。




