最大の防御
私はその“3つの点”を早く知りたいと意気込んだが、レンは何も言わずに、私の手を取ってソファへと向かった。
彼に促されて腰かけると、ふっと力が緩み身体が楽になる。自分では何ともないと思っていたが、実際はかなり疲れていたらしい。特に脚の疲れがひどかった。
(……本人さえ気づいていない疲労を見抜くことも、レンにとっては朝飯前ね)
そんなことを思いながら、私は隣に座ったレンの顔を見つめた。彼がわざわざ話を中断してソファへ座ったのは、私を休ませるためだとわかっている。
レンは私に微笑みかけると、何事もなかったように話を続けた。
「意識すべきなのは次の3点だ。一つ目、『自分で自分自身を認める』こと。二つ目、『“素晴らしいもの”は、自分だけではなく誰の中にも存在していると知る』こと。そして3つ目、『感謝する』こと。この3つを本気で行えば、傲慢の罠に陥ることはない。つまり、ブルーバードがどうこうではなく、自分で自分自身を認めるんだ。そうすれば安定した自信が生まれ、ブルーバードの件で何かを言われても振り回されることはない。そして、“素晴らしいもの”が自分の中だけではなく誰の中にも存在しているのだと思えば、優越感に浸ることもない。念の為に言っておくが、これは魂胆を持って近づいてくる人にも歩み寄れという意味ではないよ。そうした人たちと距離を置くことは大切だ。だが、彼らの中にも優しさや誠実さは宿っていて、彼ら自身が決意するならその素晴らしさを生きられるはず……そのような視点を持つことは役に立つ。『ブルーバードを欲しがる卑しい奴らめ!』という敵意ではなく、『ブルーバードが認めるようなものを貴方も育める』という目で見れた方が良いとは思わないか? ……それから……“素晴らしいもの”を陰らすことのなかった自分や、そんな自分を認めてくれたブルーバードへ感謝することによって、心には傲慢さが全く入ってこられなくなる」
「……」
呆けた顔の私に、レンが微笑みかけた。
「納得がいかないみたいだね。気になることがあるのなら、何でも言ってごらん」
「あ……いえ……なんだか予想外というか……。罠を回避するには……随分と弱い気がして……。しかも、かなり大変じゃないですか……。ブルーバードに認められた人自身が、その3つを実践し続けなければならないんでしょう? レンさんは簡単だって仰いましたけど、そんな風には思えません……。もっと『傲慢の罠』自体を避ける方法はないんですか? 狙いがあって近づいてくる人を牽制したり、あらかじめ壁を張り巡らすみたいな……。ブルーバードに認められたら、とりあえず人と距離を置くっていうのは駄目なんでしょうか? 甘い言葉に乗ってしまいそうな機会自体を避けるんです。その方が確実かと……。レンさんやスペンサー伯爵が罠に陥るなんて全く思っていませんけど、お二人とは違って傲慢になってしまう人もいるんですから……」
「人々から逃げ回ることは不可能だ。ブルーバードが仕える者は大抵、大勢の人たちと接する立場にある。ジェームズのように貴族である者も多く、人と接する機会を避けては通れないんだ。彼らにも貴族としての責任を放棄して逃げ出す気はないと思うよ。それに、甘い言葉を避けるよりも、甘い言葉に微塵も惑わされない強さを持つ方が良いとは思わないかい? ……悪意を持つ者とは距離を置くことが大切。私にも、それはわかっている。だが、その為には表面上に騙されない、振り回されないだけの真の強さが必要だ。そうしないと離れるべき相手もわからないだろう。真の強さを育む為にも、例の3点が不可欠だ。簡単だと言ったのは、自分の決意次第ですぐに出来ることだからだ。自分の本気以外には何も必要ない。駆け引きの能力や交渉術を身につけなければいけないわけでもないからね」
「……真の強さが……自分を認めたり感謝することで手に入れられるってことですか? 自分で自分を認めるなんて、むしろ傲慢になるのを助長しないか少し心配……」
「静かに穏やかに『自分で自分自身を認め、敬意を払うこと』は、傲慢には結びつかないよ」
「……じゃぁ、たとえばこんな感じ……『こんなに素晴らしい私! そんな自分を私は認める! やっぱり私は他の人とは違うのよね。だって、ブルーバードも認めてくれているじゃない! そう、私は特別な存在なんだっ!』」
「それは“静かに穏やかに”ではなく、単なる“暴走”だね」
冷静に口を挟んだレンに、私は吹き出した。彼は真面目な顔つきをして見せているが、目は笑っている。私がわざと間違った方向で大袈裟に言ったのをわかっているのだ。
自分でも、自分の芝居がかった言い方がおかしくて仕方がなかった。
(レンの前で、よくこんな豪快な真似ができたよね。少し前なら、恥ずかしくてできなかったでしょうに……)
どうやら「この世界は小説の中?」問題は、私を「おどおどと恥ずかしがっている場合じゃない」という気にさせたらしい。
ひとしきり笑った後、私は言った。
「今のはかなり大袈裟でした。しかも見当違いも甚だしいもので……。でも、あり得る展開だとは思いませんか?」
ふむ……というようにレンは考えてから、ゆっくりと話し始めた。
「“静かに穏やかに”とは、ただ事実を認めることだよ。自分を照らす太陽の光を認めるように、自分を生かしてくれる空気を認めるように……ただ受け入れることだ。そこに優劣なんてものはなく、比較する対象もない。『自分だけが特別』だとか、何か理由をつけて自分の方が上だと思いたがるのは、むしろ自分を認められていないということだ。……先ほど話した3つの点は、相互に支え合う。自分を真に認めれば自然と感謝が生まれ、自分を認めるからこそ人々に宿る素晴らしさを見ようという意識が出てくる。感謝によって更に自分自身を認められるようになり、他者を見る目も優しくなる。そうして自分と他者に優劣をつけないことで傲慢にもならない。そうなると、ただただ感謝すべきことに関心を向けられるようになるのだが……」
「レンさん、ごめんなさい! さっきの私の“小芝居”は、馬鹿げた意地の悪い発言でした……。実践が難しそうだと思っただけで、自分のことも他の人のことも認めて感謝を感じられたら、どんなに素敵だろうって思います」
「沙希、謝る必要などないよ。例の3つはどれも心のことだから、掴み難く曖昧にも感じるだろうね。……真の自信と感謝で満たされた心はとても強い。気持ちに余裕が生まれ、見抜く力も高まる。純粋な賛辞には素直に感謝を返し、悪意のある賛辞ならば相手にしないという在り方が取れるようになるんだ。唆そうとしてくる人間がどれだけ言葉が上手くても、甘い言葉で操ろうとしても、本人がそれを受け入れなければ彼らには何の力もない。だが、自分で自分をしっかり認めていないと、人の言葉に振り回されてしまう。他者からの賛辞に依存し、もっともっとと求めるうちに自分を見失う事態にもなりかねないんだ。『自分を認めること』や感謝は、そうしたことから守ってくれる。地味に思えるかもしれないが、本人の心が安定していて強くあることが最大の防御なんだよ」
話しながらレンは私の目を見つめていたが、突然彼は何かを思い出したように笑い出した。




