貴族社会の事情
レンに促されて視線を向けると、こちらをまっすぐ見つめるロビンと目が合った。
私と目を合わせても、ロビンは身じろぎ一つしない。とても落ち着いた様子だ。しかし、その瞳は興味津々といったように輝いている。
この子は、いったいどこまで見抜いているんだろう?
私がアンドレアではないこと……。
私がいた世界のこと……。
私……。
ロビンの瞳に警戒心が見えないからか、目を合わせても思っていたほど居心地は悪くなかった。
(もっと厳しい目を向けてくるかと……)
彼らブルーバードは、その人物が『認めるに値するかどうか』を判断する。突然アンドレアの代わりに現れた“私”のことなど、より慎重にジャッジしようとして当然だと思っていた。
そして、はなからロビンのお眼鏡にかなうとは考えていない。高貴な生まれの麗しいアンドレアと比べれば、あまりにも“私”は平凡すぎる。レンやスペンサー伯爵のように立派な人ではなく、優れた資質を備えているわけでもない。
そんな風に感じていた私にとって、ロビンの好意的な眼差しは意外なものだった。
「ロビンは、君がアンドレアではないことに気づいている。だが、全く警戒していないだろう? 敵意もない。穏やかで、まるで君に親しみの気持ちを持っているかのようだ。会ったばかりだというのに、既に君のことを受け入れている」
「……そ、それは……安心しました……」
ぽつりと呟いた私の声が、静かな部屋ではやけに大きく聞こえる。
「“安心”? ……沙希、何も心配する必要はないよ。ブルーバードは、人を手厳しく『審査する』わけではない。彼らに『仕える相手を選ぶ』という面があるから、さっきは仰々しい説明になってしまったが……。悪意のある者に自分たちの能力が利用されないよう判断しているだけで、もともとブルーバードは気さくで人懐こい存在なんだ。気を張らなくて大丈夫だよ」
ロビンはレンの言葉を肯定するように、つぶらな瞳を輝かせ、小さくグワグワと鳴いた。「私を厳しい存在だと思わないでほしい」、そうアピールするかのようだった。
この子は、きっとレンのように優しいんだろうな……。
だから、私のことも難なく受け入れてくれる。
「……スペンサー伯爵のブルーバードも……“私”のことを受け入れてくれるでしょうか? いずれは会うことになるかもしれませんよね? もし拒絶でもされたら……」
「あぁ、アレックスのことか。まだ会ったことがないから不安に感じるかもしれないが、心配には及ばない。ブルーバードに共通しているのは、驚異的な『見抜く力』だ。ロビンが“君”の中に見たものは、必ずアレックスも見抜く。拒絶などされるわけがない。その上、アレックスは特に人懐こいんだ。彼が仕えているのはジェームズだが、アンドレアやルーベンにも懐いているし、使用人の方々へも積極的に近づいていく。特に印象的なのは、ケヴィンのことを大層気に入っていて、会う度に『構ってほしい』と彼の後をついて回る姿かな……」
真面目な顔つきのケヴィンと、彼を追いかけるキラキラお目々のブルーバード……。
私はその光景を想像して微笑んだ。
「なんだか……何もかも一筋縄ではいかないって感じです。この世界で知ることは簡単に定義できないものばかり……理解したつもりが実はわかっていない……。ブルーバードのことだってそうです。ただ優雅で美しい鳥だと思いきや、不思議な能力を持っているし……。近寄りがたい存在だと感じて腰が引けたのに、むしろ人懐こいし……」
そう話す私の前で、ロビンは寛いだ様子で眠りに入ってしまった。
(警戒心ゼロ……マイペース……かわいい……)
スヤスヤ眠るロビンに気を取られ、私はややぼんやりとした口調で先を続けた。
「まぁ……でも、ブルーバードに認められるのは本当に光栄なことですよね」
「まぁ……でも、そこがまた一筋縄ではいかないところだな」
「「……」」
私はハッとして、難しい顔をしているレンを見つめた。
(あ……これは……)
レンは時々、この表情をする。
怒っているのではなく、嘆いているのでもなく、不満を感じているわけでもない。長い歴史を背負っているような責任と、ある種のもどかしさを漂わせた顔つきだ。
彼がこの表情になるのは、決まって『貴族社会の事情』に話が及ぶ時だった。
アネットから『貴族の物語』について教えてもらったと話した時も、レンは困ったように微笑んでから、今のように難しい顔をしていた。
ライザの時代からは随分と変わってしまった貴族社会。
本当は、それについて私に話したいことがあったのだろう。ただ、二人きりで過ごせる時間はあまりに少なく、いまだに話は聞けていなかった。
(貴族社会って……大変ね……)
アメリアと話す中で知った『張り合い』も、『貴族社会の事情』の一つだろう。
その張り合いとは、「貴族の女性たちは身につけるアクセサリーで格付けし合う」というものだ。どちらが上かの判断基準はただ一つ、『宝石の大きさ』だけだった。アクセサリーや宝石そのものの美しさは、ここでは問題にならない。
どんなに美しくても、宝石が小さければ負け。
ただケバケバしいだけなのに、宝石が大きければ勝ち。
勝ち負けがあること自体どうかしていると思うが、貴族のご婦人方にとっては当たり前となっている価値観だった。
初めてエレノアと会った時、彼女は指輪にはめられた大きなエメラルドを見せつけるようにしていた。
その理由が、今ならわかる。
相手が貴族のご婦人ではなくレンと娘であるにも関わらず、エレノアは無意識に、伯爵夫人という立場やスペンサー家の財力を誇示する癖を出していたのだ。
(でも、こんな宝石の競い合いなんて序の口よね。貴族社会には、もっと複雑で悩ましい事情がたくさんあるんだわ……)
そう思ったところで、レンの声が私の注意を引いた。
「……『ブルーバードが仕えている』ということは、それだけで一種の地位を確立してしまうんだ。人々は『ブルーバードに認められた人物』を格上だと思うからね。確かに認められることは光栄だが、一部の貴族たちから嫉妬と敵意を向けられる羽目にもなるのだよ。爵位の高さと同様に、ブルーバードがいるかいないかも、地位というものに影響する。だからこそ、手に入れようと躍起になり、周囲にひけらかしたいと願う人々がいるわけだ。まぁ、そんな願いを持っている限り、ブルーバードからは決して認められないだろうが……。ただ『役に立ちたい』と思ってくれる純粋な鳥まで、貴族間の“比較と競争”に巻き込まれるとはね……」
「単純に『認めてくれてありがとう』『力を貸してくれてありがとう』だけではないんですね……」
レンは私の背中を優しくポンポンと叩いてから、手にしている手紙に視線を向けた。
「……気をつけなければいけないのは……ブルーバードに認められた側にも“罠”はあるということだ」
視線を手紙に向けたまま、彼は静かに呟いた。




