ブルーバード
部屋の真ん中に、大きな純白の鳥が佇んでいる。
急に入ってきた私たちに驚くこともなく、その鳥は落ち着き払った様子でこちらに視線を向けていた。
真っ白な美しい羽を扇状に広げて……その姿はまるで……まるで……
「……孔雀……?」
すると「いいえ」と言うように、その鳥はゆっくりと目を閉じ、それから再び目を開けた。
(……この子……まさか私の言葉を理解した? ……というか、私もこの子の言いたいことがわかった? ……ううん、ただそんな気がしただけ……)
レンがドアを閉めながら言った。
「彼は『ブルーバード』だよ」
「……」
私が黙り込んだことで、部屋に沈黙が訪れる。
この世界で使われている言葉。
最初は純粋な日本語と思いきや、和製英語も英語そのものも、当たり前のごとく出てくる。更には、料理長のビルが「ボンジュール」とフランス語で挨拶しているのを耳にしたこともある。
もはや会話に英語が出てこようが、イタリア語が出てこようが、初めて聞く言語があろうが驚かない。
私が気になったのは、べつに英語が出てきたことではなく、もっと単純なことだった。
「……『青い鳥』……ですか?」
しばらくして私は口を開いたが、顔には「白い鳥なのに?」という怪訝な表情をありありと浮かべていた。
それを見て、レンが笑いながら言った。
「確かに、そう思うだろうね。白いのに『青い鳥』……。この名前の由来は、空高く舞い上がった彼らが、青い空に溶けこんだように見えたからだといわれている。まるで青空と一体になったように見える……そこから『ブルーバード』と名付けられたんだ」
「グワッグワッ」
ブルーバードがレンの注意を引きたげに鳴き、くちばしで床の上にある手紙を示した。
(鳴き声はアヒル……)
思わず「かわいい!」と言いそうになった口を、私は慌てて閉じた。
ブルーバードは、きっと言葉の意味を理解する……。しかし、この優美な鳥が「かわいい」という感想を喜んでくれるのかはわからなかった。
レンはブルーバードの優美さに合わせるように、優雅な動きで歩み寄って床から手紙を拾い上げた。
「ありがとう、ロビン」
そう声をかけられたブルーバードは満足そうに「クワッ」と鳴き、トテトテと部屋の中を歩き始めた。
その姿を見つめた後、私は戸惑いながら尋ねた。
「……もしかして、この鳥……ブルーバード……えっと、ロビンが手紙を届けてくれたんですか?」
「そうだ。彼らは手紙のやり取りに素晴らしい貢献をしてくれているんだよ。完全に信頼できるし、最も早く、そして確実に手紙を届けてくれる。遠くにいる相手にも、ほんの数分で届けることが出来るんだ」
「えっ!? いったい、どうやって?」
「残念ながら、それは解明されていない。彼らを研究している学者たちの間では、『ブルーバードは我々から見えないほど空高く舞い上がり、その後は一定の距離を瞬間移動しながら進んでいる』という説が一番濃厚のようだね。しかし、本当のところはわからない。……今後もブルーバードは秘密を教えてくれる気はないようだ。そうだろう? ロビン」
レンが笑いながら視線を送ると、ロビンは肯定するように喉を鳴らした。
私の考えていることを見抜いたように、レンが言った。
「いや、手紙のやり取りが全てブルーバードによって行われているわけではないんだ。大抵は人……配達人が手紙を届けている。馬や馬車を使い、遠い地へは数日間もかけて配達をしているね。ちなみに貴族の場合は、自分たち専用の配達人を雇っている。しかし、ごく少数ではあるがブルーバードがいる家もあるんだ。実は、このスペンサー家にもいるよ」
「そうなんですか!? 知らなかったです! ……どこにいるんですか? 今まで見かけたことがないです……」
「ブルーバードはとても自由だ。ずっと屋敷に留まってはいない。彼らは、いつも自分の居たい場所に居る。距離に縛られないが故に、世界中のあらゆる場所にすぐ行けるからね。過ごしたい場所で過ごし、主人の『手紙を届けたい』という気持ちを感じると戻ってくるんだよ」
私はぽかんと口を開けた。
「そ……そんなことが可能なんですか? ……いえ、実際にそうなんですから、もちろん可能なんでしょうけど……」
「不思議な鳥だろう? ブルーバードがいる家はかなり珍しい。滅多に出会えない上に、出会っても彼らから認められなければ、何もしてはくれないからだ。ブルーバードの方から近づいてくれない限り、彼らの力を借りることは出来ない。それに、認められるだけではなく絆も必要だ。もし絆が生まれなければ、たとえ『手紙を届けたい』と思っても彼らには伝わらない。私の家に代々仕えてくれているロビンは、今は私と姉の為に動いてくれる。ロビンが私たちのことを認め、絆もあるからだ。だが、それらが消えてしまえば、ロビンはあっという間に飛び去って、もう二度と戻ってくることはないだろう」
「お金で買うことはできないし、捕えても無駄ってことですね。だって、そんなことではブルーバードの信頼が得られないもの」
「そうだね。スペンサー家の場合、ジェームズが怪我をしたブルーバードを保護したのが始まりだ。貴重な鳥だからといって、ジェームズは『所有してやろう!』とは動かなかった。一瞬は、そうした欲望が浮かんだだろう。だが、彼はそれを退けたんだ。そして、ただ手厚く介抱し、回復した後はブルーバードを自然に返そうとした。だが、そのブルーバードはジェームズの元に留まることを選んだ。ジェームズの葛藤も、欲を退けた勇気も、誠実な人柄も、あらゆるものを見抜いたんだろう。最初は戸惑い困っていたジェームズも、今ではブルーバードと絆を育んで良い関係を築いているようだ」
「……なんだか私も見抜かれている気がします」
私は急に泣きそうな声を出した。
顔をレンに向けたまま、そっと視線だけを動かす。そうすると、ロビンが私をじっと見ているのがわかるのだ。
(見てる……めっちゃくちゃ見てる……)
そうよねー! と私は心の中で叫んだ。
主人の気持ちは感じ取るし、人柄も見抜くし……。言葉も理解していそうだし……それなら私がアンドレアじゃないって当然気づくわよねー!
うぅ……ロビンの視線が痛い……。
ロビンはつぶらな瞳をしているが、じっと見つめられると本当に見透かされている気持ちになって落ち着かない。
小さなパニックを起こした私の背中に手を当てて、レンは優しい声で言った。
「そうだね。……ロビンにはわかっている。だが、大丈夫だよ。見てごらん」