2人の侍女
(よりによってセシルがいるなんて…。こんなところで何をしてるの?)
タイミングの悪さに呻きつつ、私は彼女に見つからないよう小さくうずくまった。
セシル……彼女は、他ならぬエレノアの侍女だ。
そう、エレノアが留守の間、スペンサー伯爵の周囲を嗅ぎ回り、婚約の件を“密告”した張本人である。
伯爵はエレノアが命じたのだと考えていたが、どうやらこのセシル……自ら率先して行なっていた可能性が高い。彼女をよく知る人ならば、「やりそうなことだ」と納得するだろう。
スペンサー家で働く人たちは、表情が活き活きとしていて、とても楽しそうだった。仕事への誇りも感じる。この屋敷での待遇が、それだけ優れているということでもあるだろう。伯爵は使用人たちに優しく、彼らの方も伯爵を慕っているように見えた。
執事も侍女も、メイドや料理長、それに庭師だって……みんな温かみがあって、笑顔が多く、とても親切だ。彼らにとっても、アンドレアとローレンスの婚約は喜ばしいニュースのようで、屋敷の中は祝福ムードだった。
私にとって、この屋敷の使用人たちは“優しい人”ばかりのように感じられた。それに当てはまらない者がいるなど、全く頭に浮かばなかったのだ。
セシルに会う、あの時までは……。
彼女との“初対面”は、かなり早いうちに起こった。
この世界にきて3日目。
その日も、レンは朝から伯爵との話し合いに入ってしまい、私はアメリアと一緒に庭園を散歩していた。
そんな私たちの前に現れたのは、品のある濃いグレーの服を着た女性だ。彼女の姿が視界に入るや否や、アメリアにピリリと緊張が走るのがわかった。
アメリアの反応にもっと注意を払うべきだったと、今になって思う。だが、現れた女性の服装から使用人であることは推測でき、私は特に警戒の必要性を感じていなかった。
初めて会う人物で、愛想がないのは気になったが、そもそも使用人が伯爵令嬢に酷い態度を取るなんて普通は思いもしないだろう。
「アンドレアさま、ご婚約おめでとうございます」
その女性は開口一番、ニコリともせず言い放った。
彼女のじとっとした目つきは暗く、眼差しに温かみはなく、表情も冷たい。
祝福する気など毛頭ない、という雰囲気だ。
しかし、次に口を開いた時、彼女の顔に悦びのようなものが見えた。
「まぁ……ようやく奥さまの努力が実ったということですわね。なかなか言うことを聞かないあなたには、随分と苦労させられたものです。今後は、もう少し従順になられるべきだと思いますわ。あなたはいずれ公爵夫人になるのでしょう? これまでよりもずっと、求められるものは多いですよ。今の状態で満足してはなりません。そうです……今のお嬢さまでは全く足りませんわ。改善すべき点が山ほどありますもの……」
みるみるうちに憤怒の表情になったアメリアの横で、私はただただ呆気に取られていた。
(嘘でしょ……。びっくり……。この人……何を言ってるの? ……だいたい……あなた誰よ!?)
たくさんの祝福や優しい言葉をかけられていた私には、かなりの衝撃だ。状況についていけず、声を発することもできない。
すると、もう我慢ならないとばかりにアメリアが声を荒らげた。
「セシル!! お嬢さまに向かってなんてことを! 立場をわきまえなさい! あなたはエレノアさまの侍女であって、それ以上ではないのよ! いつもいつも……いったい何さまのつもりなの!」
それを聞いても、セシルはつんと澄ました顔をしている。ただ目元には、楽しくて仕方がないというような笑みが浮かんでいた。
「婚約おめでとう」には笑顔がないのに、ここで笑うのね……。まるで弱い者いじめを楽しんでいるかのようだわ。
私の目には非難が滲む。
セシルは高飛車な態度で、アメリアに言った。
「あら、アメリア。それを奥さまの前で言える? 第一、奥さまは私の言動をお咎めにはならないと思うわよ。いつだって、そうじゃないの。お嬢さまに対する“教育”をお支えしてきたのは、この私……。奥さまは私の働きに感謝してくださっているわ。侍女ですって? いいえ、私は侍女以上の存在よ。私に不満があるなら、奥さまに言えば良いわ。でも、それで叱責を受けるのはどちらか、見当はついているんじゃないかしらね」
セシルは自信満々だった。
エレノアという強力な後ろ盾があるからか、アンドレアにもアメリアにも平気で無礼な態度を取っている。
まるで、自分もエレノアのように振る舞っていいと思い込んでいるように……。
(この件をスペンサー伯爵に話したら、叱責どころか、あなたは即解雇よ……!)
そう言いたいのをグッと堪えて、私はアメリアの腕に触れ彼女を宥めた。
アメリアとセシル。
2人とも侍女ではあるが、微妙に立場が違うようだ。
エレノアがどれほどの権限を持っているかわからない。しかし、少なくとも「セシルについて不満を言えば、アメリアが不利になる」というのは事実らしい。
私はアメリアを守ろうと、「私は大丈夫よ」と言いながらひたすら彼女を宥め続けた。
セシルはこの様子を見て満足したようだった。
彼女の目が「やっぱり、あなたは何も言い返せないのね」と私に言っているように見える。挑発的にも思えるその眼差しを、私は相手にしなかった。
この一件、セシルが立ち去ったことで落ち着くことにはなるが、この後、誰もが予想していないことが起こる。




