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眠れる君に出会うまで  作者: 里凪


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伯爵の懸念

「ええ……ええ、そうです。もちろんスペンサー伯爵は事実無根の噂だとわかっていらっしゃいます。ですが、そうではない方々も大勢いるのです……。ローレンスさまがイヴォンヌ嬢と婚約されたと、彼らは本気で思い込んでいるのですよ。伯爵が『正式な発表があるまでは信じない方が良い』と忠告されても、『これほど皆に知れ渡っているのに認めないのか』と反論してこられるそうで……。先日お会いした際、伯爵はこの状況に懸念を抱かれているようでした」


 ローレンスとイヴォンヌの婚約!

 そうだ……そんな話があったわ……!


 私は耐えるようにスカートをぎゅっと握りしめた。

 事実とは違う話が広まっているだけでも不快なのに、イヴォンヌの性格を知った今となっては余計に受け入れがたい。たとえ、ただの噂でも癪だ。


(優しくて聡明なローレンスが、あの意地の悪い令嬢と婚約? 冗談でも笑えないわ。噂にしたって、もう少しまともな話があるでしょうに……!)


 しかもアネットによると、この噂の広がり方は『……密かに……ただ着実に……』だという。コソコソしている上に、確実に噂を広めてやろうという意図を感じるのが、またなんとも苛立たしい。


 婚約破棄の予定を棚上げにし、「ローレンスが婚約したのはアンドレアだ」と訂正してまわりたい気持ちに駆られる……が、冷静に考えてそれは無理だともわかっている。


 様子を窺ってルーベンに「帰る準備を……」と言うつもりでいたが、私自身がこの場から動きたくなくなってしまった。

 私の深い溜息を、ケヴィンの声が掻き消す。


「そんな伯爵のご様子が気になり、私は調べてみたのです。確かに今回のことは奇妙です……。これまでにもローレンスさまのご婚約については様々な噂がございました。お相手は大富豪の娘だの、隣国の王女だのと……。時にはご一緒に歩いていらした従姉妹さまが恋人と勘違いされたり、村の娘さんとお話をされただけで『身分を越えた愛』と噂が流れたり……。まったく困ったものです。人々は好き勝手に“作り話”をこしらえますからね。ただ、せめてもの救いは、それは“作り話”だと誰もがきちんとわかっていたことです。結局のところ、彼らはそれを盛り上がる話題として利用していただけに過ぎません。当然、噂を本気にすることもありませんでした」

「だが、今回は違うと……」

「そうなのです……! イヴォンヌ嬢との婚約話は……これまでのものとは違います。誰も公然と話さないのに、裏ではたった1ヶ月で『知らぬ者はいない』ほどに広まってしまっている。しかも、どこにも確証を得られるものはないというのに、なぜか『事実』として人々に認識されているのです。いったい、誰が言い出したというのでしょう? 尋ねてまわると、みな口々に『確かな筋から聞いた』のだと言います。ですが、その確かな筋は何なのかを問うと微妙な顔をするのです。あれは、明らかに『よくわからない』という表情でした。中には『私は公爵家の人間から直接聞いたんだ』と豪語する者たちもいましたが、ではそれは誰なのかと尋ねると答えに窮するのです。彼らは『言えない』のではなく『知らない』のです! 相手の素性もわからないのに、言われるまま公爵家の者だと思い込んでいたのですよ! ……あり得ないことです。まったく気味が悪いものですよ」


 ケヴィンはそこまで一気に話すと、気持ちを落ち着けるように深く呼吸をした。レンの声は聞こえてこないが、彼の後ろ姿からは、じっと話に耳を傾け、真剣に受け止めている雰囲気が伝わってくる。

 ケヴィンは再び話し始めた。彼の声は、歯がゆさを感じているようだった。


「……残念ながら、私の力では噂の出どころにはたどり着けませんでした。まるで(もや)に包まれているように、はっきりとしたものが掴めないのです。こんな曖昧な状態では、スペンサー伯爵にご報告できる確たるものもございません。ですが、やはり単なる噂話とは片づけられない……。ずっと悩んでおりました……。しかし、此処でレンさまにお会いできた……! しかもスペンサー伯爵の屋敷に滞在されると……これも何かのお導きです。どうぞスペンサー伯爵に『この件にはご注意を』とお伝えください。貴方がいてくださるなら、不確かな状況の中でも最善の策を見い出せるでしょう」

「……わかった。ジェームズに伝えておこう。それほど噂が広まっているとは知らなかった。君が色々と調べてくれて助かったよ、ありがとう」


 レンの声は穏やかだが、ケヴィンの話を深刻に捉えているようだった。

 それもそのはず……。噂の中身はローレンスの婚約だ。背後にどんな意図があるかは謎だが、彼の本当の婚約相手がアンドレアである以上、この件はスペンサー家にも関わってくる。

 ローレンスがアンドレアに結婚の申し出をする前から、この“噂”自体に不審を抱いていたスペンサー伯爵はさすがだと思った。


 ケヴィンは感謝を示すようにお辞儀をしてから、すぐに言った。


「レンさまが状況をご存じないのは、仕方がないことです。噂話が出るような場にいらっしゃる機会がほとんどないのですから……。スペンサー伯爵も、レンさまに対してこんな“噂”への懸念を口にするのは、はばかられたのでしょう。……次にお会いできた際には、ぜひレンさまの見解もお聞かせ頂きたく思います」


 ルーベンが後ろから口を挟んだ。


「まぁ、それは大丈夫そうだね。近いうちに会えそうだから」

「ええ、そうです、そうです。近いうちに……」


 ケヴィンはそこまで言ったところでパッと振り返り、身を寄せ合うように佇んでいる私たちを驚きの眼差しで見つめた。

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