内緒の……
レンはそっとルーベンを抱きしめると、彼の耳元で何かを囁いた。ルーベンは驚いた素振りもなく、安心したように大人しくレンに体を預け、静かに耳を傾けている。
労るように、元気づけるように、レンは囁き続け、そうしているうちにルーベンから徐々に物憂げな雰囲気が消えていくのがわかった。
屈強なルーベンが、レンの前では子供のように見える。もちろん“子供っぽい”という意味ではなく、それだけ“ありのままの純粋な気持ち”を感じるという意味合いでだ。
ルーベンがどれだけ心を開き、どれだけレンを深く信頼しているのかが表れている。
強靭な肉体や精神を持とうとも、辛いものは辛い。
そんな事実を、レンは包み込むような優しさで受け入れていた。
やがてレンはルーベンの背中を優しく叩き、“もう大丈夫だね”というように彼を放した。
先ほどは努力して笑顔を保とうとしていたルーベンだが、今や自然な笑顔が浮かんでいる。すっきりとした様子で、彼はケヴィンに視線を向けた。
「わかった、ケヴィン。君の望み通り、間に合うように帰ることにするよ。確かに……あえて文句を言われる状況を作る必要はない。それに今、『耐えられない時は、口実を作ってジェームズのところに来ればいい』ってレンが言ってくれたんだ。おかげで気が楽になったよ」
そう言ってルーベンがウインクすると、ケヴィンがすぐさま反応した。
「スペンサー伯爵のお屋敷にですか!? そ……それは大変ありがたいことですが、よろしいのでしょうか……。また旦那さまが言いがかりをつけるのでは……? スペンサー伯爵がお困りになるような事態は、できる限り避けなければなりません……」
「ケヴィン。伯父の屋敷には、しばらくレンが滞在するんだよ。その間なら問題ないだろう?」
ルーベンが冷静に付け加えると、悩ましげだったケヴィンの顔が途端に輝いた。
「なんと……それは朗報です! レンさまがいらっしゃるのであれば、旦那さまにとっても充分な抑止力となることでしょう。それならば問題ございません。もちろんそうですとも、ルーベンさま。そうであれば、私も喜んでお供いたします! そうです……スペンサー伯爵の……スペンサー伯爵に……」
ケヴィンは言いながら、急に『心ここに有らず』といった様子で宙を見つめた。そして、慌てて懐中時計を取り出すと、時間と格闘するかのようにそれを睨みつけた。
「ケヴィン、どうした?」
「いえ……ルーベンさま。それでは帰るご準備を……。アンドレアさまとアネットさんにご挨拶をなさって、先に馬車へ向かわれてください。すぐに追いかけますから……! 私は少々、レンさまにお話がありますので……」
そこまで言うと、ケヴィンはそそくさとレンに近寄った。今の彼には、訝しげなルーベンを気にする余裕もないようだ。
「レンさま……よろしいでしょうか……」
そう言いながら、ケヴィンは私たちから少し離れたところまでレンを連れて行ってしまった。少しとはいえ、話が聞こえない程には距離がある。
二人ともこちらに背を向けた状態で、まるで内緒話をするかのようだ。
(なに? 何の話? 『スペンサー伯爵……』って呟いて様子が変になったんだから、伯爵に関係があるのよね……?)
貴族間の駆け引き、企み、トラブル……正確な話題はわからないが、レンに話したいというのなら重要な話に違いない。
私は落ち着かない気分だった。
ルーベンを見ると、あからさまに『納得がいかない』という表情を浮かべている。“朗らかな青年”は隠れてしまい、今の彼は“貴族”としての顔だ。目は険しく、“警戒”の色も見える。
父親に代わって土地の管理を担い、立派に務めを果たしてきた彼のことだ。まず蚊帳の外を嫌うだろう。
責任感の強い彼が『伯父に関わることなら自分も知るべきだ』と考えているのも容易に想像がついた。
ルーベンは黙ったまま、素早くレンたちの方へと向かった。
アネットが反射的に彼を引き留めようとしたが、ルーベンの顔つきが変わったのに気づいて動きを止める。私は心配そうな彼女に「ここは私が……」と声をかけて、急いでルーベンの後を追った。
私はルーベンのように素早くとはいかなかった。なにしろ長いスカートが小走りさえ阻むのだ。急ぐ気持ちと進むスピードが噛み合わない。
無事にルーベンのそばまで行けたのはいいが、気が急いていたあまり私はヨロヨロとバランスを崩してしまった。すかさずルーベンが腕を伸ばして、私を支えてくれる。
ルーベンはレンたちのすぐ後ろにいて、彼らの話に耳を澄ましていた。気配を感じ取られそうなものだが、会話に集中している2人は振り返ることもない。
ルーベンは話を聞き終わるまで、その場から動く気がないようだった。
……ケヴィンの声が聞こえてくる。




