アンドレアとイヴォンヌ
さすがとも言うべきか、レンが気にしていた“アンドレアの異変”をルーベンは忘れていなかった。
アンドレアのことにも関わらず、ルーベンは目の前にいる私に話を振らない。まるで、意図して私に聞くのを避けているように見える。
きっと、しつこいくらいにイヴォンヌの件を聞き出したことを、まだ気にしているのだろう。私には直接聞かず、レンに説明を求めるあたりに、『アンドレアを動揺させたくない』という想いが強く表れている。
そんなに気にしなくても……と思いながらも、私には彼の気遣いが愛しく感じられた。
それに、私に尋ねなかったのは賢い選択とも言える。
アンドレアに何があったのか、“私”にはわかりようがない。
たとえば……マーゴという友人ができたものの、身分の差に絡むような深刻な喧嘩が発生した? とか。領地経営を学ぶうちに、やはり貴族として「良家との結婚」は必須なのだと思い知らされてしまった? とか。
私が想像できるものなんて、高が知れている。
表情がこわばる私とは対照的に、レンはまさに冷静沈着といった様子だ。動揺など一切見せず、“問題ないよ”と言うようにルーベンへ頷いて見せる。
するとルーベンは、詳細を確かめるように言った。
「原因は……もしかして例のイヴォンヌ……」
私はその名前を聞いた途端、「違う!」と叫びたい衝動に襲われた。
イヴォンヌから言われた言葉に、アンドレアがショックを受けたのは間違いない。そして、私にはそれを軽んじる気もない。
だが、意地悪な令嬢“ごとき”のせいで、レンとのやり取りにまで支障が出るというのは受け入れがたかった。ようするに、「アンドレアの生活に影を落とすほどの影響力」がイヴォンヌにあるとは思いたくなかったのだ。
(いやいやいや、イヴォンヌの発言はただの意地悪でしょ。事実を述べてなんかいないし、気にする必要は微塵もないわ! ……でもなぁ……私はどうなんだろう……。嫉妬だったり、八つ当たりだったり、そうしたことで言われたとわかっていても、酷い言葉には落ち込むし。“気にする必要はない”と頭ではわかっていても、言われて傷ついた言葉を何度も反芻してしまうこともあるし……。もしアンドレアも同じ状態に陥っていたら?)
レンは今朝、『アンドレアになろうと無理に意識はせず、流れに身を任せながら、君自身でいてくれればいい』と言ってくれたが、それも実際にはなかなか難しい。
自分自身として考えても、はっきり「違う! イヴォンヌ嬢なんて関係ないわ!」と言い切るだけの自信はなかった。その躊躇いが、私の口を閉ざしてしまう。
しかし、そこを躊躇なく答えたのはレンだった。
「いや、そうではないよ」
彼の答えは簡潔で、声に迷いもない。
レンの目を見れば、彼に確信があることはすぐにわかった。アンドレアが何に悩んでいるにせよ、少なくともイヴォンヌとは関係がない。
そのことが、彼には“わかって”いるのだ。
レンの確かさに自信をもらい、私は彼の言葉に同意するように何度も頷いた。レンはそんな私に視線を向け、ルーベンを納得させるようにして先を続ける。
「ほら、アンドレアもそう言っている。……どうやら会わない間、彼女は一人で気を張り詰めすぎたようなんだ。日々、向き合わなければならないことは山ほどあるからね。何を考え、何を悩んでいたのか……彼女から聞いてはいないし、根掘り葉掘り聞き出すつもりもないよ。ただ、必要に応じて謎は解き明かされていくと思っている。これから私たちには、一緒に過ごせる時間がたくさんあるからね。ルーベン、心配しなくていい。彼女は大丈夫だ」
レンの力強い声がそう言うのを聞いて、ルーベンはようやく安心した表情を浮かべた。
モヤモヤと残っていた気がかりが消え、心からホッとしたように見える。「謎は解き明かされる」なんていう独特な表現さえ、気にもならないようだ。
たとえ具体的なことは聞けなくても、“レンが言うのなら大丈夫だ”。それほどまでに、ルーベンのレンに対する信頼は絶大だった。
それにしても、レンの言い方は上手だ。
アンドレア自身には尋ねられない今だからこそ、彼は「話を聞いた」とも「これから聞く」とも言わなかった。
この場で言うには不思議な表現だったが、事実として「謎が解き明かされていく」は相応わしいものだったのだ。
「……そもそも、イヴォンヌ嬢の件は解決済みだろう?」
レンが静かに言うと、ルーベンは意表を突かれたような顔をした。
「あぁ……まぁ……イヴォンヌの件は、さっきアンドレアに報告したところなんだ。僕から彼女に話すまで待ってくれて、ありがとう」
「いや、礼には及ばないよ。君から話すのが一番だ。いきなり私やジェームズからこの話に触れられては、アンドレアも居心地が悪かっただろう。さっき『その通りだ』と言ったのは本心だ。君のおかげで、私たちは意思疎通ができ、ようやくアンドレアが安心できる状態に落ち着いた。私もジェームズも、君に心から感謝しているんだよ」
そう言ってレンが穏やかな微笑みを見せると、ルーベンは照れたように視線を逸らした。
「それにしても、心配をかけてしまったね……。イヴォンヌ嬢の話が君の耳に入るとは予想していなかった。これなら、先に私の方から君に共有しておくべきだったな……」
申し訳なさそうに話すレンに、ルーベンは朗らかな笑顔を見せた。
「そんなことを気にする必要はないよ! イヴォンヌの話は、ケヴィンが教えてくれたんだ。彼のことだから当然、きちんと真偽は確かめていたよ。色々な話が広まっていたけれど、事実もあれば、虚偽もあった。どれが事実なのかを確認するのはかなり大変だったみたいだ。まぁ、どちらなのかわからない話は保留状態だね。もちろん僕が受け入れたのは、裏が取れた話だけだ。ただの噂を本気にしないように注意しているし、ケヴィンは偽りの情報を僕に与えないよう目を光らせている。なにしろ『嘘か実か……』が彼の口癖だし」
「彼はとても優秀だ。長い付き合いだが、今でも彼の情報収集の力には驚かされるよ」
レンはケヴィンの能力を認めるようにしっかりと頷いたが、ルーベンは悩ましげに眉をひそめた。
「でも、そんなケヴィンにもわからないことがあるんだ……」




