姿を見せ始めた人たち(10)
ルーベンの言葉と雰囲気から察したように、アネットがハッとした表情で私を見つめた。
「まさか……イヴォンヌ嬢はアンドレアさまに何か……」
アネットがそう言うと、ルーベンは私に意味ありげな視線を送ってきた。『話しても大丈夫か?』と問いかけているようだ。
もちろん“私”としては、話してもらった方が良い。そのイヴォンヌとやらがアンドレアに何かしたのか、ルーベンがスペンサー伯爵に何を話したのか、“私”も知りたかったし、知っておくべきだと思った。
私が承諾するように頷くと、ルーベンは私の肩を抱いたままアネットに向かって話し始めた。
「そのまさかだ。……イヴォンヌはアンドレアに随分と悪質な言葉を吐いたんだ。『誰にも相手にされない可哀想な女』だの『愛嬌も振りまけなくて惨め』だの……そして、アンドレアがいかに他の令嬢たちから笑いものになっているかを長々と話し続けたそうだ。アンドレアの容姿をけなし、着ているドレスさえも馬鹿にしてね。挙げ句の果てに『あなたみたいな娘では、スペンサー伯爵が気の毒だ』などと、とんでもないことまで口にした。まったく……よくもそんなことが言えるなと……本当に驚いたよ」
ルーベンは声を荒らげてはならないと自分を律しているように見えたが、彼の瞳には紛れもなく憤りが滲んでいる。
私はといえば、イヴォンヌの『暴言』にただ唖然とし、目を見開いたままルーベンの顔を何度も見上げた。
ここで私が驚いてはいけないと頭ではわかっていたが、気持ちが追いつかない。ルーベンを疑ってなどいないのに『本当なの?』と確かめたくなり、嘘だとも思っていないのに『嘘でしょう!?』と口走りそうになる。
この世界に意地悪な令嬢がいたって不思議ではない。その認識はあっても、実際に吐かれた悪意ある言葉を知ると、生々しくてショックは大きかった。
アネットも私と同様にショックを受けていたが、すぐにそれを怒りが上回ったようだ。彼女の顔はみるみるうちに真っ赤になり、今すぐイヴォンヌを罵ってやりたいとばかりに口元がピクピク動いている。
今度はアネットの口から『暴言』を聞くことになるのではと、私は不安を感じて身構えた。言いたくなる気持ちは理解できるものの、たとえイヴォンヌに対してのものであっても、罵詈雑言は聞きたくなかった。
「その様子では、イヴォンヌのこうした顔は知らなかったようだね」
ルーベンが言うと、アネットは自分を落ち着かせるためか胸へ手を当て、何度か深呼吸を繰り返した。
その甲斐あって、アネットはある程度の冷静さを取り戻したようだ。彼女は口を開いたが、怒りに任せて話したりはしなかった。
「……ええ。わたくしが聞いていたのは、全て男性にまつわる話ばかりでしたから……。女性に対してそんな仕打ちをしているとは知りませんでしたわ。イヴォンヌ嬢の“標的”になるのは男性だけだと思い込んでいましたが、それは間違いですね。男性はたぶらかすわ、女性には悪質な言動をするわ……。思った以上に性悪です……。まさかアンドレアさまに、そんな振る舞いをするなんて……」
先程は咎めた“性悪”という言葉を自らも使ったが、アネット自身はそのことに気がついていない。今の彼女は気が回らない状態になっていた。
気分が沈んでしまったせいか、思案しているせいか、アネットは厳しい顔つきで視線を下に落とした。
「私は大丈夫よ」
思わずそう言って、私はアネットの腕に優しく触れた。
アンドレアの気持ちも知らずに「大丈夫」と言うのは無責任な気がしたが、とにかくアネットを安心させたかった。
それに、きっとアンドレアなら同じことをする。
実はそんな直感もあった。
アネットは驚いた様子で私を見たが、ゆっくりとその表情は和らいでいき、やがて小さな微笑みを浮かべた。顔からは覇気も感じられ、彼女の中で気持ちの変化が起こったのは明らかだった。
アネットは何か朗報が聞きたいと願うように、私からルーベンへと視線を移した。
「それで……スペンサー伯爵はどう対処されるおつもりなのですか? ルーベンさまは、伯爵とそのことをお話されたんですよね? アンドレアさまが、また同じ目に遭うなんてことはありませんよね?」
ルーベンは私とアネットを交互に見た。その眼差しはとても力強い。
これまで溌剌とした雰囲気に気を取られて気づかなかったが、彼の瞳にはスペンサー伯爵と同じような威厳と深みがある。
いったいそれ以上の何を感じ取ったのか……私は、この青年が既にスペンサー伯爵と同等の責任を背負っているような気がした。
「……もちろん伯父とはしっかり話をしたよ」
ルーベンはそう言って頷く。
そして、何かを待つように私を見つめた。




