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姿を見せ始めた人たち(4)

 しかし、私が驚いたのは彼女の言葉だけではない。

 彼女の雰囲気……それが最初に声をかけてきた時とは全く違うものになっていたのだ。


 彼女の口調は改まり、自分のことを「わたし」ではなく「わたくし」と呼んだ。そして、声は温かみを残しながらも、非常に冷静なものになっている。

 顔つきまで変わり、その印象は「人がいい朗らかな女性」から「穏やかな貴婦人」へと変化を遂げていた。

 レンに群がる人々に苛立ちを見せ、彼らに対してカッカしていた人物とはまるで別人だった。


 彼女は優しく労わるように私を見ながら、ゆっくりと話を続けた。そのわずかに低くなった声からアンドレアに対する敬意と共感が感じられ、それに安心した私の心は落ち着きを取り戻していた。


「お嬢さまにとって、貴族社会はさぞ生きづらい世界でしょうね。わたくしもアンドレアさまが置かれている環境のことはよく存じております。どんなに気苦労の多いことか……お察しいたしますわ。悩み事も尽きませんわよね……」


 その時、気がついた。


(そうか! 彼女が「色々聞いている」と言ったのは、“貴族”の話だったんだ……! てっきりマーゴのことかと早とちりしちゃった……)


 だが、勘違いをしたのは私だけではない。この女性もある勘違いをしていた。

 考え事に没頭するあまり目を伏せた私のことを、彼女は「貴族社会を憂いている」のだと思い込んでいた。


 アンドレアが目を伏せた姿は、実に様になる。

 繊細で、儚く、時に“か弱い”とさえ見えるだろう。

 たとえその気がなくとも、それは人の目に“物思いに耽るお嬢さま”として映ってしまう。

 そうした「憂いの雰囲気」と「貴族社会」というものが、この女性の中でピーンと一直線に繋がったのだ……。

 そう推測できた私は、彼女の思い込みが突飛なものだとは感じなかった。アンドレアが悩むとしたら、貴族関連の事柄に違いない。私だって、まずはそう考える。


 マーゴの情報は得られないと残念に思ったものの、私は貴族の話に興味津々だった。


 ついに貴族の話が聞ける!


 だが、そう喜んだ私に、彼女は我に返った様子で謝った。


「も、申し訳ございません! これまでアンドレアさまとは軽くお話をするくらいでしたのに、急に出過ぎたことを申し上げました……。普段と違うご様子でしたので、つい心配になり……」

「い、いいえ! そんな……どうか謝らないで……。お気遣い頂いて、むしろ感謝しているんです……」


 このまま話を聞けずじまいになるのが嫌だった私は、はやる気持ちを抑えながらも即座に尋ねる。

 

「あ、あの……あなたは……貴族……についてお詳しいようですね」


 彼女は一瞬口ごもったが、その後「えぇ……」と頷き、握っていた私の手を優しく離した。

 そして、少し躊躇いがちに口を開く。


「詳しいというよりは、実際に知っているのです。わたくしも一時期は、貴族社会に身を置いておりましたから……。実は……かつて、わたくしは……男爵夫人だったのです」

「っ……!? まぁ……そうだったのですね……。……なんだか不躾な質問をしてしまって……すみません……」


 こんなプライベートに踏み込んでしまうとは思っていなかった私は狼狽えた。

 これほど逞しい姿で木箱を運ぶ女性が、まさか貴族のご夫人だったとは……。ただ「一時期」ということは、今は男爵夫人ではないということで……それには何か理由があるはずで……。


(言われてみればそうよね。ほら、見てみなさいよ。今の彼女は、いかにも上流社会の人間って感じがするもの。最初とは雰囲気が変わったことに、私はちゃんと気づいていたのに……)


 焦るばかりの私に対して、彼女はあっけらかんとした様子で笑った。


「そんな……それこそ謝る必要なんてございませんわ! アンドレアさま、どうぞお気になさらないでくださいね」


 彼女の名前を知りたかった私は、この好機を逃さずに尋ねた。


「あの……何とお呼びしたら良いでしょうか? 今は貴族社会には属していないとしても……もし男爵夫人として相応しい呼び名がよろしければ、今後はそちらでお呼びします」

「いえいえ! どうぞこれまでのように『アネット』とお呼びください。その方が嬉しいですわ。男爵夫人であることに、わたくしは未練なんてありませんもの」

「……」

「本当ですのよ。確かに……男爵に求婚された時は嬉しかったですし、良い方に巡り逢えたと思いましたけど……。7つ年上の彼はシュッとしたハンサムな方で、真面目そうに見えましたし、わたくしは一目で恋に落ちましたの。そして、父に言われるまま、喜んで彼と結婚してしまったのです……」


 アネットの目に後悔が浮かんだ。

 そして溜息をつくと、彼女は気持ちを吐き出すように一気に捲し立てた。


「……わたくしは貴族に夢を抱きすぎていたのです。なぜって……それもこれも、あの話を鵜呑みにしてしまったからですわ……!」

「……あの話……?」

「あ……いえ……。わたくしったらこんなこと……。アンドレアさまにお聞かせするようなものではありませんわね」


 え! ここで話をやめちゃうの!?


 もし本当にアネットが嫌だというなら、私は彼女の気持ちを尊重するつもりだった。だが、どうにもアネット自身は話したがっているように見える。

 そこで、私は少しだけ食い下がってみることにした。


 無理強いしないようにと気をつけながら、私は真剣な表情で言った。


「いいえ、そんなことはありません……! 私は大丈夫ですし、『あの話』というのがとても気になりますわ。もしお嫌でなければ……ぜひお聞かせください」


 それを聞いたアネットは、優しい瞳で私をじっと見た後、小さく微笑んで頷いた。

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