姿を見せ始めた人たち(3)
「どうかなさいましたか?」
そう言いながら、一人の女性が近づいてきた。
明るい茶色の髪をお団子にまとめ、優しい瞳はキラキラと輝いている。両手でいくつもの木箱を抱えているが、重さなど全く感じていないように平然としていた。腕まくりをしている彼女の腕がとても逞しい。
その女性はたった今、この場に到着したばかりの様子だった。急いで来たのか軽く汗をかいている。
彼女の温かみのある声に、私はホッとした。
「まぁ……」
私が何か言う前に、人だかりに気づいた女性はそう呟いた。彼女は眉間に皺を寄せ、硬い表情で、確かめるような視線を私に向ける。
「レンさま……ですね?」
「ええ……」
私が頷くと、彼女は溜息をついてから持っていた木箱をドサっと地面に置いた。
木箱の中には、何種類ものフルーツが詰まっている。
彼女は苛立ちを隠さずに、腰に手を当てて言った。
「レンさまのご迷惑にならないよう、『絶対に群がってはいけない』と皆にあれほど注意したのに……! いざレンさまがいらっしゃるとこれですよ! 私の言うことを誰も真剣に聞いちゃいないんだわ! 『次にいらした時はもう大丈夫です』とレンさまにお伝えしていた私の身にもなってほしいですわ……。アンドレアさまにも、なんてご無礼を……。皆のせいで、レンさまから引き離されてしまったのですね……」
「ぃいえっ! 私が……自分から離れたんです……」
そう答える私の声はつい弱々しくなる。レンのそばを離れたことへの後悔を、ひしひしと感じていたからだ。
レンの力に守られた安全な森。
それにすっかり安心した私は、ここなら自分が一人でいても特に問題はないと思った。
……実際はといえば、問題は大アリだ。
マーゴと出会ったことで、私は自分の考えが甘かったと気づかされていた。
忘れてはいけないが——もちろん本当のところ忘れてなんかいない。ただ他の事に気を取られ、意識から抜けていただけだ……——私はアンドレアとして此処にいるものの、アンドレアではない。
私は、アンドレアのことをほぼ知らないという不利な条件を背負っている。つまり、彼女に「秘密の友人」がいたとしても、“私”にはわからないのだ。
マーゴの反応からして、間違いなく彼女はアンドレアの知り合いだ。しかも、あの愛情を感じる眼差しやウインクから、2人が親しい間柄にあるとわかる。
マーゴが金髪の女性にそれを悟られないようにしたのは、身分違いの友情が周囲から認められないからだろうか?
この森に来ている人が、マーゴに意地悪をするとは考えづらいが、なんらかの嫉妬を招く可能性はあるかもしれない……。
そして、もっと大きな謎はマーゴの不可解な反応だ。
私と目が合った瞬間に見せた、恐怖さえ滲んだあの表情は何だったのだろう?
あれは親しみとは相容れない奇妙な反応だった。
アンドレアに対するマーゴの表情は、「恐れているもの」も、「愛情に溢れているもの」も、どちらも偽りのないものだった。
だから不思議でならない。
なぜ、そんな風になるのか……。
その理由は、アンドレアにならわかるはずだ。そう……“アンドレア”になら……。
私にとってレンは、確実に全能の存在だ。だが、その彼にも知らないことがあると認めなければならない。
彼はマーゴのことを知らない……。なぜって、もしレンがアンドレアとマーゴの関係を知っているなら、この森に来る前に、きちんと私に教えてくれたはずだからだ。
レン自身が「心は読めない」と言ったように、彼も“全て”は知らないのだ。
それに、そもそもレンがアンドレアのプライベートを何もかも知っているとは思えなかった。会ったばかりの私でもわかるが、彼は誰かの私生活を監視したり、詮索したりする人ではない。
アンドレアに秘密があったとしても、彼ならその秘密を無理矢理、暴くような真似はしない。アンドレアが困っているようであれば、彼女を助けるためにレンは話すことを求めるかもしれないが、その際も強要はしないだろう。
レンの力は絶大だ。だが同時に、彼の集中力や自制心の強さも驚異的だった。彼が力を使う時に見せる“決して力を誤用しない”という意志は、私に凄みさえ感じさせる。
だから、たとえ「力を使えば可能」だったとしても、レンはアンドレアの意思を無視して彼女の交友関係を根掘り葉掘り探ったりはしない。
(う〜ん……アンドレアも、私みたいに自分の友達付き合いをペラペラ話すタイプではない気がするのよね。友達がどうのこうのなんて……わざわざレンに話したりはしないよね……。レンは探らず、アンドレアも語らず……これじゃぁ、私にはますます不利だわ!)
私とアンドレアの人生が元に戻るまで、マーゴと会うのを避け続けられるだろうか?
この2人の間に何があるのかわからない以上、私にはマーゴにどう対応すればいいのか判断がつかない……。
思考が深みにはまってしまい、考えに没頭した私はいつのまにか目を伏せていた。
その様子を見ていたあの女性が、先ほど地面に置いた木箱を足で脇に押しやった。そして、恭しく私の前に進み出て、そっと私の手を取る。
「あぁ、お嬢さま……。お気持ちはよくわかります。わたくしも、色々とお話は聞いておりますから……」
「えっ……?」
予想もしていなかった彼女の言葉に、私は驚いて目を見開いた。




