姿を見せ始めた人たち(2)
「……行きたくないって何よ? 前から『会いたい』って言っていたのはあなたの方じゃないの! この機会を逃したら、また半年くらいはチャンスがなくなるのよ?」
それは金髪の女性の声だった。
彼女は綺麗に整えた眉毛を吊り上げて、グズグズするな! とかなり苛立った様子を見せている。
それに対して、今度は眼鏡の女性が切羽詰まった口調で反論した。声は抑え気味で、冷静さを保とうともしているが、こちらもやはり物分かりの悪い人間に対する苛立ちを滲ませている。
「だから……さっきから何度も言ってるじゃない! 今は駄目なんだって……! こっちだって事情ってもんがあるのよ。そんなにレンさまに会いたいなら、あなたが1人で行ってくれば良いでしょう!」
それを聞いた金髪の女性は、鼻息も荒く言い放った。
「マーゴ! あのね……最近のあなた、ちょっと変よ? いつだって妙にソワソワして……。浮かれた様子でいたかと思えば、急に大人しくなったり……。一時期は別人みたいに自信に溢れていたけど、ここ最近は私と遊びに行くのも嫌がって外にあまり出ないじゃないの」
「……そんなこと! だ、誰にだってそういう時はあるでしょう」
「そうかしらね」
金髪の女性は探るような目つきでマーゴを見ると、やや冷たい声で続けた。
「それでなに? 今は、ずっと会いたいと言っていた人に、会いたくないって言うわけ?」
「……ぅの」
「え? なんて?」
「だから……今までとは事情が違うって言ったのよ! あなたは行きたいなら行ってくれば良いじゃない……。一緒に行く必要なんてないでしょう? 私が会うべき時は今じゃないのよ。私……私は……今すぐ仕事に戻りたいの……!」
そう言い切った眼鏡の女性マーゴは、ついに金髪の女性との小競り合いに勝利することになった。
マーゴは自分の腕を掴んでいた手を振り払い、わずかによろけながらも体勢を立て直す。
その瞬間、近くまで来ていた私と目が合った。
途端に、安堵しかけていたマーゴの顔つきが一変した。
彼女の目は見開かれ、驚愕と不安に満ちた表情を浮かべている。ほぼ一瞬で掻き消えたものの、そこに恐怖にも似た感情が見えていたことに私はショックを受けた。
自分を見て、こんな表情をされた経験はなかった。
マーゴはアンドレアの姿を見た瞬間に、何かが起こるのをひどく恐れる様子を見せたが、これは明らかに普通の反応ではない。
私がどんなリアクションを期待していたか?
少なくとも、こんな風に恐れられるとは全く想像もしていなかった。しかも、声をかけるまでもなく、ただ目が合っただけで……。
マーゴと金髪の女性は、その服装や仕草から2人とも貴族ではないだろう。それに対して、アンドレアはれっきとした伯爵令嬢だ。
もし私が声をかけても、この貴族という立場の助けがあれば、彼女たちは礼儀正しく耳を傾けてくれる——アンドレアがマーゴたちと顔見知りでも、そうでないとしても——と踏んでいた。もしかしたら声をかけただけで揉めるのをやめてくれるかも、とさえ期待した。
だが、実際の展開は随分と予想から外れている。
いったいアンドレアの何を恐れるの?
彼女は人を怯えさせるような人間ではないはずだ。横暴でもなければ、次々と人を見下しにかかる貴族でもない。
アンドレアは優しくて思いやりのある伯爵令嬢で、そのことはこの森にいる人たちなら充分に知っているだろう。
彼女なら『目の前で揉め事を起こすなんて無礼だ』と叱責したり、罵倒したりはしない。これがエレノアの義母あたりなら、ネチネチと嫌味や文句を言ったかもしれないが……。
(この人は、アンドレアのことを何か誤解しているんじゃないかしら……。マーゴは……過去にどこかの貴族からひどい扱いを受けて、同じ目に合うのを怖がっているのかも……)
それならアンドレアに代わって、私が誤解を解かなければ……! マーゴに、怖がることはないと安心してもらうのよ。
そんな使命感に駆られ、私は出来る限り優しい声を出そうと努めた。
「あの……」
しかし、私がその先を言う前に、マーゴはさらに予想外の行動を取った。
彼女は金髪の女性に見られないようにしながら、なんと口元に微笑みを浮かべて私にウインクをしたのだ。
その変わりようを見て、私は呆気に取られた。
今、私の前にいるマーゴ。
そこにあるのは、強張った表情を取り繕おうとして無理矢理つくった微笑みではない。恐怖の表情を見せてしまったのを誤魔化そうとして出たウインクでもない。マーゴの笑顔もウインクも、素直に本心から出たものだった。
ほんの少し前に見せた、あの凍りついた表情はなんだったのか……。今のマーゴは、先ほどとは打って変わって、親しみと愛情のこもった目で私を見ている。
「……」
私が言葉もなく立ち尽くしている間に、マーゴは軽くお辞儀をして、風のような速さで森の奥に続く道を駆けていった。
その場に取り残された金髪の女性は「もうっ! なんでよ!?」と文句を言ったものの、これ以上は構っていられないとばかりにレンがいる方へ向かおうとする。
しかし、その前に「お見苦しいところをお見せして、本当に申し訳ございません」と私に謝り、深々とお辞儀をするのを忘れなかった。
結局、状況が飲み込めない私は、そのまま彼女が走っていく姿を見送ることしか出来ない。
しばらくして私は向きを変え、森の奥へと続く道をじっと見つめた。
謎という余韻を残して、あのマーゴの姿はとっくに見えなくなっていた。




