始まりの日々(7)
レンの声は淀みなく続けた。
「あなたはアンドレアに『良家との結婚』を望んでいる。確かにそれは、アンドレアとご自身、そして伯爵家の将来を思ってのことでしょう。ですが、その裏に別の思いも潜んでいるのではないですか?」
その言葉にエレノアは息を呑み、表情を強張らせた。
彼女の気持ちを確かめるように、レンはゆっくりと言った。
「あなたは、スペンサー家の人々の多くを憎んでいるでしょう」
エレノアはしばらく黙っていたが、動揺を見せてしまったことを恥じている様子だった。
彼女は気を取り直したようにスッと背筋を伸ばし、伯爵夫人らしい澄ました表情を再び顔にはりつけた。
ただ、これまでと違うのは、隠していた思いを口にできると彼女がホッとしていることだった。
エレノアはレンを見つめ、静かな口調で言った。
「あなたは……わかっていらっしゃるのね。……ええ、仰る通りです」
エレノアは私に視線を向けると、わずかに震える声で話し始めた。
「結婚してからの数年はまだ耐えられたわ……。お義母さまは……いいえ、お義母さまだけではないわね。スペンサー家の大勢の者が、わたくしではジェームズに釣り合わないと不満そうだったけれど、それほど激しい態度は見せなかった……。わたくしの実家はそれなりに裕福で、持参金もあったわ。でも彼らは、爵位のない家の娘ではとても満足できなかったのでしょう」
エレノアは当時を思い出すように身震いをした。
「ただ、娘が生まれてからのことは、決して許せない! アンドレア、お前が男ではなかったことで、わたくしがどんな扱いを受けたか……知っているはずもないわね。ようやく子供を授かったのに、それが女の子だと知ると、お義母さまはわたくしに酷い言葉を浴びせたわ。あの人は、ジェームズの子供として跡継ぎになる男の子を何よりも望んでいたの。何ヶ月も……お義母さまは定期的にこの屋敷を訪ねてこられたのよ。わざわざ、わたくしを非難するためだけにね。いつもジェームズが留守の時を狙っていらっしゃるから、わたくしを助けてくれる人は誰もいなかった……」
私は思わずギュッと拳を握りしめた。
予想もしなかったが、エレノアに駆け寄って慰めてあげたい気持ちになったのだ。
子供が女だったから何だっていうの? そのお義母さまとやらの考えが馬鹿げているのであって、ここでエレノアが責められる理由なんて全くないわ!
エレノアの辛そうな表情は、今度は怒りの表情へと変わった。
「義弟とその妻は、わたくしの状況を知ってさぞ喜んだでしょうね。お義母さまに負けず劣らず、卑しい人たちですもの。あちらには既に一人息子がいて、彼が自慢で仕方がなかったのよ。彼らは会う度に、自分たちの息子とアンドレアを比較しては、わたくしの前で娘を貶したわ。まだ幼い娘を貶すなんて、どういう神経をしているのかしら!」
エジャートン夫人が、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。エレノアの話に、かなりの衝撃を受けたようだ。
夫人は、エレノアの結婚生活がどんなものだったのか、ほとんど知らないのだろう。彼女のなかのエレノアは、『伯爵の心を射止め、結婚によって地位と豊かさを得た成功者』だ。夫人の認識は、そこで完了している。
彼女は、エレノアの生活に悩みや苦しみがあったなどとは思いもしなかった。夫人には、この『良い結婚』は自分のおかげだという自負心があるだけだったのだ。
エレノアは、エジャートン夫人がいることも構わずに、堰を切ったように話し続けた。
「スペンサー伯爵の妻として、わたくしは何においても不相応だと、お義母さまからも周囲からも散々悪く言われたのです! 子供が女であっても心から喜んでくれたのは、夫だけだったわ。……レンさま、わたくしがジェームズの地位や財産に惹かれたのは事実です。彼が裕福な伯爵だから近づいたのも、エジャートン夫人から教わった方法で彼に取り入ったのも否定しません。ですが、ジェームズの高潔さを尊敬していますし、彼の優しさに感謝しているのも事実です……!」
そこでエレノアは一旦口を閉じ、鼻をすすった。
「……美しく成長したアンドレアを見て、お義母さまも周りも手のひらを返したように、わたくしたちを褒めそやすようになった……。急に愛想が良くなり、親しげに振る舞ってきたのよ。けれど……アンドレア、この頃のことはお前も覚えているでしょう。なかなかお前の結婚が決まらないと、あの人たちはあからさまに嫌味を言うようになった。わたくしのことも、お前のことも、いつも馬鹿にして……本当になんて人たち……」
彼女の目はいまや憎しみに満ち、私にギラギラとした視線を向けた。
「お前の結婚相手は、スペンサー家の財産を狙うような、身分も財力も劣る男では絶対に駄目なのです。あの愚かしい者たちが何も言えない程、立派な方でなくては……。そう……お前が公爵家のローレンスさまと結婚すれば、あの人たちは思い知ることになるでしょう。わたくしたちがどんな風に馬鹿にされてきたのか、お義母さまたちの目の前でローレンスさまにお話しするつもりです。その時の彼女たちの反応が見ものだわ! もう二度とわたくしを馬鹿になどできないでしょう! むしろ、常にわたくしの顔色をうかがい、媚びへつらうしかなくなるのよ……」
そこで、エレノアはふと記憶を辿るように私から視線を逸らし、不思議でたまらないという目をした……。




