始まりの日々(1)
目が覚めた瞬間、私の視界に飛び込んできたのは見慣れない天井だった。
自分のいる場所を認識するまで、そして、これまでに何があったのかを思い出すまで、少し時間がかかった。
部屋には、朝の静けさが満ちている。
(しまった……)
そう心の中で呟いてすぐに、昨晩「あんたの思い通りにはさせない!」と勇ましく啖呵を切った割には、随分と期待外れな言葉だと思った。
だが、レンを待つことも出来ず、夕食も取らず、そのまま寝入ってしまったことがショックだったのだ。この世界で何をすべきなのかがわかった以上、準備を怠らないことが重要なのに……。
時計の針は、七時を少し過ぎた位置を指している。
寝入った正確な時間はわからないが、明らかに寝過ぎだと思った。こういう場合は、逆に体がだるくなり、時にはひどい頭痛さえも引き起こす。
しかし、今回に限っては、ぐっすりと深く眠ったことで疲労がすっかり取れていた。体が軽く感じられ、起き上がるのも楽だ。
私はベッドから降り、急いで鏡を見に行った。
鏡に映ったのは赤銅色の髪に、緑色の瞳を持つ美しい女性。
間違いなくアンドレアだ。
彼女が身につけているのは、白いネグリジェだった。分厚くしっかりとした生地で、エレガントというよりも「体が冷える心配なし!」と主張しているような寝間着だ。
おそらくアメリアが着替えさせてくれたのだろう。
(よかった……。アンドレアのままで……)
私は心の底から、安堵の溜息をついた。
元の世界に戻っていることも、また別の世界に放り込まれてしまうこと——あり得ない話ではない——も、どちらも私にとっては恐ろしいものだった。
私はまだ「アンドレアでいたい」のだ、絶対に。
扉をノックする音が聞こえ、アメリアが静かに部屋に入ってきた。私が起きるのを耳を澄まして待っていたのではないかと思うくらいのタイミングだ。
「お嬢さま、おはようございます。ゆっくりお休みになられましたか?」
アメリアは鏡の前に立つ私に近づきながら、恐縮した様子で話し始めた。
「昨日夕食をお持ちしましたところ、お嬢さまは眠っておられまして……。お声がけしたのですが、お目覚めになられませんでした。無理に起きていただくのは申し訳なくて……」
「そうよね、ごめんなさい……! 私がいけないのよ。ちょっと待ってね。すぐに着替えるから……」
そう言ってクローゼットに向かおうとするのを、アメリアが遮った。
「いいえ、お嬢さま! 私がいたしますので、どうかそのままで……。昨日はお食事を二回も抜いていらっしゃるのですよ。お嬢さまが身の回りのことをご自身でしたいと思われることは尊重いたしますが、今日はなりません。それに、朝食をきちんと召し上がるまでは、レンさまに会うのもお控えくださいませ」
「あ、レンは今……?」
「既に朝食を済ませ、今は部屋でお仕事をなさっていらっしゃいます。お嬢さまにお会いしたいと仰っていましたので、後ほどお呼びいたしますね」
アメリアはそう言いながらドレスを用意し、私は恥ずかしいと思う間もなく、彼女にネグリジェを脱がされていた。
気まずくて視線をさまよわせる私とは対照的に、アメリアはとても慣れた様子で肌着やドレスを着せてくれる。
昨日私が選んだ青いドレスは硬い印象を与えたが、アメリアが用意してくれた淡いエメラルドグリーンのドレスは、アンドレアの可憐な魅力を存分に引き出していた。
「昨日はごめんなさい。せっかくの夕食が……」
「まぁ、そんな……! どうぞお気になさらずに。それに、お料理は無駄にはならなかったのですよ。ちょうどお部屋に戻られたレンさまに、代わりにお召し上がりいただいたのです」
アメリアは私を椅子に座らせると、その姿勢に合わせてドレスを整えながら話を続けた。
「レンさまのご宿泊は予定外のことでしたから、実は夕食の食材調達が間に合わなくて……。レンさまなら、どんな料理でも構わないと言ってくださるとはわかっていますが、料理人たちの方がそれを嫌がったのです。みな、レンさまに素晴らしい料理をお出ししたいと望んでいましたから。特にビルはこの機会に大喜びで、今日も朝から張り切っていますわ。なんでも以前、息子さんのことで助けていただいたそうで……」
そこにメイドが二人がかりで料理を運んできたので、アメリアは話を打ち切った。
アメリアの指示のもと、彼女たちは丁寧な手つきで、私の前に次から次へと料理を並べていく。
どう見ても、昨日の朝食より三割ほど量が多い。
アメリアはテーブルの上を満足気に見渡して、にっこりと私に笑顔を見せた。
「さぁ、お嬢さま! さぞお腹を空かせていらっしゃることでしょう。こちらが本日の朝食でございます。まずは、しっかりとお食事を取られてくださいませ。お食事が済むまでは、どなたもこの部屋にはお通しいたしません!」
本気だ。
アメリアは笑顔だが、目には心配そうな気配が宿っている。まるで、食事をしなければ私が倒れてしまうとでも思っているようだった。
私はアメリアを安心させようと、まず彼女に微笑みかけてから、一口スープを飲んだ。
温かくて美味しいし、実際に空腹だ。
ただ、この量を食べ切るまでに、いったいどれだけ時間がかかるだろう……。
アメリアに監視されるような状態の中、私の微笑みはわずかにひきつった。
結局、私がレンに会えたのは、それから一時間半後のことだった。




