それぞれの想い
小さな勘違いが、大問題に発展してしまうことはある。
単なるアメリアの懸念であっても、いずれ伯爵やエレノア、そして公爵家に何らかの影響を与えてしまうかもしれない。
それは避けないと……!
(……なにより、レンとアンドレアが誤解されるのは、私が嫌だ!)
この二人の間に深い愛があることは、疑いようがない。
ただ、それは恋愛とは違う。
肌で感じると言えばいいのか、ただ「わかる」と言えばいいのか……。
レンがアンドレアについて話す時、彼の目や声には彼女に対する愛情が現れる。それは言葉で語るよりも雄弁に、その愛の質と深さを私に伝えていた。
そして、その彼の愛はローレンスにも向けられている。
私はそれを大変好ましく思った。
だって、レンは「アンドレアさえ良ければ、ローレンスはどうでもいい」という考え方をしていないのだ。
もちろん、ローレンスの望みを叶えてあげることはできない。それでも、レンが彼に向ける思いやりは本物だった。ローレンスの幸せを願う私にとって、その事実はとても大きな意味を持つ。
アンドレアがレンに対して抱く愛は、きっとレンの愛に相応するものだろう。
アメリアが感じていたように、また、アンドレア自身も言ったように、レンを本当の兄のように慕っている。
深い愛と信頼、尊敬の念に満ちたその想い。
それを「恋心」と勘違いされてしまうことは、私にとって大いに不本意だった。
まぁ……勘違いされた原因は私だけど……。
(……それなら誤解を解く責任は私にある。アメリアには二人の想いをきちんとわかっていてほしいもの……!)
そう思ったところで、なぜか私はフッと微笑んだ。
一日中パソコンとばかり向き合っていた自分が、今は人の愛情や想いを巡って懸命に頭を働かせている。
今の私が向き合っているのは数字ではなく「心」だ。そして、私の目標は会社から求められる利益ではなく、「純粋な想いを誤解から守る」ことだった。
これまでに味わったことのない、新鮮な感覚だ。
「アメリア……」
私はそう言って、アメリアの手を握った。
そして、彼女の目をじっと見つめる。
「私はレンを愛しているわ。心の底から……」
アメリアが何かを言う前に、私はすぐに先を続けた。
「でも、恋とは違うのよ。……あなたが言ったように、今日の私は確かにいつもと違ったと思うわ。ローレンスさん……さまとの婚約は思ったよりも大きな出来事で、私はまだかなり動揺しているの。怒涛のように色々なことが押し寄せるなかでは、いつも以上にレンに頼らざるを得ないのよ。お父さまも少し動揺されているわ。それに、お母さまにいたっては、あんな状態だし……」
アメリアはエレノアのことを言われて、納得したように頷いた。
「そうですね……。そのことは、私も気にかかっておりました……。先ほどは随分と長い時間を、お嬢さまとご一緒に過ごされましたね。エレノアさまから『昼食はこちらで用意するから構わないように』と言われておりましたが、お嬢さまはきちんとお召し上がりになられたのでしょうか……?」
「え? えっと昼食……は用意してくれていたのだけど、実は全く喉を通らなくて……」
私はその時の様子を思い出して苦笑した。
ちょうど、ローレンスを魅了することの重要性をエレノアが力説している時に、昼食が運ばれて来たのだった。
(あんなに熱弁をふるうエレノアの前では、呑気にサンドウィッチなんて食べていられないよ……)
私の返事を聞いたアメリアは、眉をキッと上げた。
「まぁ! ですから『お嬢さまとのお話は、まず昼食を済ませてからにされては……』と、罰を受ける覚悟でエレノアさまに食い下がったのです。もちろん聞き入れてはくださいませんでしたが……。そんな……お食事さえままならないなんて……!」
「あら、大丈夫よ。こうして、あなたが山盛りのクッキーを用意してくれたし……」
「これではお食事の代わりにはなりませんわ! 本日は早めに夕食をご用意いたします! 少々お待ちくださいませっ……!」
そう言って駆け出そうとしたアメリアの腕を掴み、私は懸命に彼女を押しとどめた。
……これこそ「縋って」いるんじゃない?
「ア、アメリア! アメリア、待ってちょうだい! 大事な話なの……! このことは知っておいてほしいの! きっと……これからも私は、いつもと違う様子を見せると思うわ。でも、それは全てこの状況を乗り切ろうとしてのことなのよ。だって、初めての状況ですもの。不安になったり、心細くなったり、悩んだりして、いつもはしない表情だってするし、普段はしないような振る舞いを見せてしまうかもしれない。でも、そういう時は、どうか変に思わず、ただそのままを受け止めてほしいの。勘繰ったり、深刻にならずに、ただ見守ってほしいのよ……」
私の真剣な表情の中に焦りが見えて、アメリアは驚いたようだが、すぐに頷いて私の手を握りしめた。
「もちろんですわ、お嬢さま……! 妙なことを言い出してしまい、申し訳ございませんでした。かえってお嬢さまにご負担を……。お嬢さまとローレンスさまとのご婚約に浮かれるばかりで、私にはお嬢さまの本当のお気持ちが見えていなかったのではないかと心配になってしまったのです……」
「優しいのね……。ありがとう……。本当に今日は、朝からみんな大変だったわよね……」
私がそう言って困ったように微笑むと、アメリアは温かな微笑みを返した。そして、お辞儀をしてから、急いで夕食の用意をするために部屋を出て行った。
静かな部屋に一人になってしまったが、怖くはない。
レンのおかげだ。
さっきレンの手が重ねられた左手が、あの温もりを感じさせるように再び熱を帯びていた。
この温もりが私を包み込み、まるで一種の盾になって守ってくれているように感じられる。
心地良さと眠気の再来だ。
私はギュッと目をつむり、自分にこう言い聞かせた。
(だめよ。まず明日に向けて、色々と作戦を練らなきゃいけないんだから。レンが戻ってくるまで、待っていないと……。私の任務は、婚約式までに充分に準備を整えて、無事に婚約を破棄すること! 準備期間は三ヶ月なのよ。悠長になんかしていられないわ……)
それでもこの温かさは、「寝ないと心身がもたないよ!」とでも言うように、しつこく眠りに誘ってくる。
押し寄せる眠気に抵抗できなくなった私は、仕方なくベッドに横たわった。
そして、私をこの世界に引きずり込んだ力に向かって、心の中で思い切り叫んだ。
(あんたなんかより、こっちの力の方がずっと強いわよ! ……どうして私を選んだの? ……狙いが何なのかなんて……さっぱりわからないけど……あんたの思い……通りには……させ……ないわ……!)
そう言い終わる頃、私の意識は遠のいていった……。
この時の私は考えもしていなかった。
婚約式までの三ヶ月。
それが、単なる「準備期間」とはいかないことを——。




