視線
視線の持ち主を探すように周りを見回すと、慌ただしく隣の部屋に入って行く使用人たちや、その様子を見つめる伯爵夫婦の姿が目に入る。
そして、スペンサー伯爵から少し離れたところで、心配そうな表情を浮かべて立っているアメリアを見つけた。
彼女は伯爵夫婦の騒ぎを耳にし、私のことを気にかけて大急ぎで駆けつけてくれたようだ。まだ息を切らしているが、その目はしっかりと私の方を見つめている。
(アメリアだったのね……!)
そう安心したのも束の間、彼女の目がレンのローブの袖を掴む私の手にじっと向けられているのを知って、私は居心地の悪さを感じた。
(もしかして変に思っている? そ、袖から手を離すべきかな……。でも、焦ってそんなことをしたら、かえって怪しく思われるかも……)
迷っているうちに、宿泊部屋の準備を急ぐ使用人たちの間をすり抜けるようにして、アメリアが私たちの元へと走り寄ってきた。
彼女が許可を求めるようにレンを見つめると、彼は微笑みながら頷いた。それを確認したアメリアはお辞儀をし、それから私に話しかけてきた。
「お嬢さま、大丈夫ですか? こんなに騒がしくては、疲れも取れませんわね……。次から次へと本当に……。さぁ、どうぞお部屋へ……」
そう言ってアメリアが、喧騒から守るように私を部屋へ連れて戻ろうとする。それと同時に、伯爵の声が「レン」と呼ぶのが耳に入った。
伯爵を見ると、彼は目でレンに何かを訴えるようにして佇んでいた。
そんな彼のすぐそばを、エレノアが足早に通り過ぎて去って行く。彼女の様子は逃げるようでもあり、また、何かを競って急いでいるようにも見えた。
「アメリア……アンドレアを頼む。私は伯爵と話をしてくる……」
レンがこう言うのを聞いて、私に動揺が走った。
レンには、まだそばにいて欲しかった。
伯爵が言っていた「何かあった時、娘を守れるのはレンだけだ」は、まさしく真実だと私も思っていた。
(……ああ言っていたくせに、自分がレンを連れて行ってしまうのね)
私が抗議の気持ちを込めて伯爵に視線を送ると、彼は困った表情で愛する娘を見つめ返した。
「アンドレア、今後に向けてレンと相談しなければならないことがあるのだよ。理解しなさい」
スペンサー伯爵は、アンドレアと私の身に起きた不思議な出来事も、それを引き起こした力のことも知らないのだから、今の私がどれだけ不安を感じているのかなんて、わからないだろう。それは仕方のないことだ。
でも、そう思ったところで、私の不安が軽くなるわけでもない。
不意に、レンのローブの袖を掴んでいた私の手が温かさに包まれた。
レンがその手の上に、彼の大きな手を重ねたのだ。あの「桜の花びら」に触れた時のように、私は気力が回復するのを感じた。
レンを見上げると、彼の瞳が「大丈夫だよ」と私に告げていた。
私がそれに応えるように小さく頷くと、彼はゆっくりと手を離す。そして、私の背中に優しく触れてから、伯爵の方へと歩き出した。
「さぁ、お嬢さま……こちらへ」
アメリアがそう言って、私を部屋の中へと連れて行く。
彼女が扉を閉めると、すぐに静寂さが訪れた。
私はまっすぐベッドに向かい、そのまま力が抜けたように座り込んだ。
この世界に来てからの数時間は、少なくとも三日間分ほどの疲労を私にもたらしていた。
得られた情報を理解し、起こる出来事に対処し、そして正しい判断をしようと努めて、常に緊張状態だった。
それに対して、さっき重ねられたレンの手の温もりは、私の張り詰めていた心を落ち着かせ、いまや全身がリラックスしている。
(これも彼の力かしら……)
柔らかな毛布に優しく包まれているような感覚だった。その心地良さに、私はあっという間に眠気を感じた。
(だめよ。まだ寝てはだめ……)
そう思いながら、私はアメリアをぼんやりと眺めていた。
何かを考え込んでいる様子だった彼女は、やがて意を決したように私の前に跪いた。
「……どう……したの?」
眠ってしまいそうになる自分と格闘しながら、私は尋ねた。




