新たな謎
それは、今までに経験したことのない感覚だった。
共感とは違う。まるで私の心がレンの心に触れているように、彼が抱いている想いを直に感じた。
そこにあったのは、「ローレンスが公爵家の者」だということへの、やるせなさや悲しみだけではない。その背後に深い愛情を感じた。ローレンスに対する愛情だ。
レンは本気で彼のことを想っている……。
驚くべきことだと思った。
私もローレンスの幸せを願ってはいるが、ここまでの感情は抱けない。彼を素敵な人だと思うし、かなりの好印象だ。それでも私にとって、ローレンスはまだ「他人」の域にいる。隔たりがあり、親愛の情を抱くほどにはなれない。
しかし、レンはローレンスと話したことさえないのに、彼に対して非常に深い思いやりを持っている。
確かに、レンにはローレンスのことがよく「見えて」いるだろう。だが、それだけで、こんなにも慈しみ深くあれるのだろうか?
(私には一生かかっても、レンの奥深さを理解することはできないんだろうな……)
心が繋がったような不思議な感覚の中で、私はそう思った。
不意に、レンの手が私の頬に触れた。
彼は涙の跡を消すように私の頬を優しく撫でながら、こう言った。
「私の悲しみが君に伝わってしまったんだね、すまない。そうだね、私がこんなことを言っていてはいけないな。ローレンスが公爵家の者であることは、変えられない事実なのだから……」
それを聞いて思わず、私の口から言葉がこぼれた。
「……変えられる……かもしれません」
私の頭に、ある選択肢が浮かんだのだ。
「もし、ローレンスさんが公爵家を出たら……」
それは一縷の望みだった。
もしも、ローレンスがアンドレアのために公爵家を出てくれたら……?
そうすれば、多くの不安要素がなくなる。
ローレンスは何の障害もなくアンドレアと結ばれ、彼女が苦しい環境に身を置く必要もない。
たとえローレンスが公爵家を出たとしても、アメリアも彼女の伯母さまも、そんなことは気にしないと思えた。それよりも『愛しの坊や』の幸せを喜んでくれるだろう。
そして、レンも二人の結婚を心置きなく祝福できるようになる。
全てが丸く収まるじゃない!
だが、レンは私を思いやるように見つめながらも、やんわりと口を挟んだ。
「ローレンスがアンドレアのことだけを想うのなら、彼は迷わずそうするだろう……」
「……他に何かあるんですか?」
「そうだね……。ローレンスには気にかけている人々がいる。……公爵家の領地に暮らす人たちのことだ」
「……?」
「公爵家は、広大な領地を分担して管理している。なかには、自分に利益がもたらされるような仕組みを好き勝手に作り、その土地に暮らす人々から搾取している者もいるんだ。彼らのやりそうなことだと言えばその通りだが、それを変えようとしているのがローレンスだ」
思わぬ方向に話が進み、私は言葉もなくレンを見つめた。
「私の耳にも色々な話が入ってきているが、彼は少しずつ、不当な立場に置かれた人々の生活を改善しようと動いている。もちろん簡単なことではない。その土地を治めている身内に、口を出さなければいけないのだからね。いくら公爵の息子であっても、反発は大きいだろう。もしもローレンスが公爵家を出れば、苦しい境遇にある人々を助けられる者はいなくなる。部外者になってしまった彼には力がなく、もはや公爵家に口を出すことも出来なくなってしまうのだから……」
「……ローレンスさんは、その人たちのために、公爵家を出ることができない……ということですね……」
私は心の中で溜息をついた。
そう簡単に「めでたしめでたし」とはいかないか……。
(話を聞けば聞くほど、ローレンスに幸せになってほしいという気持ちが強くなる……。もしかして、アンドレアはこのことを知っていたから、禁じられていたのにローレンスとの結婚を受け入れようと思ったの? でも……どうにも納得できないのよね)
アンドレアについての新たな謎だ……。
なぜ、アンドレアは禁じられていたにも関わらず、公爵家の人間からの求婚を受け入れたのか?
もともと、どうして会ったこともないのに婚約を承諾したのだろうと不思議ではあった。
ただ、これについては、なんとなく推測できることだ。
スペンサー伯爵が言っていたように、アンドレアは「伯爵家のことを考えた」のかもしれない。
あるいは、ローレンスの噂を聞いていて、アンドレアも彼のことが気になっていたのかもしれない。なにしろ、とてつもなく素敵な人だし……。
だが、公爵家の者との結婚が「禁じられていた」となると話は違ってくる。
しかも、それはレンが禁止したことなのだ。
彼がそうするのには然るべき理由があると、アンドレア
は他の誰よりもわかっていたはず……。彼女は必ずや真剣に、重く受け止めていたはずなのだ。
それならば、伯爵家のことを考えるまでもない。彼女はすぐに「公爵家の人だから結婚はできない」と判断して、申し出を断ったはずだ。
もしローレンスの高潔さに抗えないほど惹かれたとしても、少なくともレンにはきちんと相談したはず……。
……こうしたはず……ああしたはず……はず……はず……。
そればっかり……!
……。
でも確実なことが、ひとつだけある。
レンに何の相談もなく婚約を承諾してしまうなんて、よほどの理由がなければできないのだ。
どうしてアンドレアは婚約を承諾したの?
彼女はいったい……何を隠しているの?




