公爵家の人間
「結婚相手に……『公爵家の人間はだめ』だと言ったんですね……」
そう言いながら、私は初めてレンに会った時のことを思い出していた。
今朝アンドレアの部屋に入って来た時、レンに笑顔はなかった。それどころか、親しみの情も見つけられなかった。ただただ威厳を漂わせて、その眼差しは強く……。
大切に想っている女性と会うには、随分と不可解な様子を見せていた。
でも、今ならわかる。
彼は感情を表に出さないようにしていただけで、本当は怒っていたし、大いに戸惑っていたんだ。
だって、彼が禁じた『公爵家の者との結婚』を、アンドレアが受け入れてしまったのだから……。
なぜ婚約を承諾したのか。
きっとレンは、そう問いただしたかったに違いない。
でも、部屋にいたのはアンドレアではなく、『私』だった……。
彼は一番聞きたかった答えを、まだ得られていない。
代わりに得たのは、私の答えだ。
その答えに、レンはゆっくりと頷いた。
「そうだ。私は『公爵家の人間だけは、絶対にだめだ』と、彼女に言い聞かせていた」
彼は憂いを帯びた眼差しで遠くを見つめながら、落ち着いた声で話し続けた。
「公爵家での生活は、アンドレアが耐えられるものではない。彼女は他の令嬢からの辛辣な態度で、すぐに傷ついてしまう。だが公爵家の人間は、令嬢たちなどよりも、ずっと手強いよ。表面上は愛想が良いが、その胸には悪意が潜んでいる。意地が悪く、狡猾で、浅はかさに満ち、常に何かを狙っているんだ。そんな者たちと渡り合うのは、アンドレアには無理だ。彼らにアンドレアの優しさは通じない」
私もそんな人たちと過ごすのは嫌だわ……。
レンの話を聞きながら、私は胃のあたりがズッシリと重たくなるのを感じた。
これでは、たとえ結婚が決まっても悩み事が尽きないだろう……。マリッジブルーなんて言葉では、到底言い表せない。
「あの公爵家の中で、ローレンスはよく持ち堪えていると思う。……類稀な青年だな……」
レンはそう言うと、私に視線を向けた。
「もしもローレンスと出会ったなら、アンドレアは彼を愛するだろう。そして、重責を担う彼を、全力で支えようとするだろう。たとえ、公爵家の内情を知っていてもだ」
彼は強い口調で先を続けた。
「それがわかっていたから、私はあらかじめ彼女に禁じたんだ。社交の場で二人が顔を合わせることのないよう、目を光らせもした。幸いにもローレンスは、そのようなところにあまり顔を出さない。ごくたまに姿を見せることがあっても、私がアンドレアをエスコートし、さりげなく彼とは引き離したんだ。だが、ローレンスの目からはアンドレアを隠しきれなかったようだな。こうして彼女に求婚してきたのだから……」
レンは溜息をつき、苦渋に満ちた表情を浮かべた。
「ローレンス自身は、アスター家の争いに身を投じる気はない。だが、たとえ望まなくとも、彼は既にその渦中にいる。私は、そこにアンドレアを巻き込ませる気はないんだよ。彼の幸せのために、アンドレアを犠牲にはさせない」
私は何を言えば良いのかわからず、さっきから黙ったままだった。
だって、何が言える?
確かに、ローレンスには幸せになってほしい。
でも、公爵家の者ではいけない理由を知れば、私にはレンが二人の結婚に反対する気持ちがよくわかった。
「君はさっき、『なぜローレンスのことを教えてあげないのか』と聞いたね。それは、もしローレンスがどのような人間かを知れば、ジェームズが積極的にこの結婚を進める気になってしまうからだ。『愛する娘の結婚相手として、彼ほど相応しい男はいない』とね。ジェームズは私の『本質を見抜く力』を信頼している。私がローレンスのことを善い人間だと言えば、もはやジェームズは心配する必要はない。エレノア以上に、二人の結婚を大歓迎するだろう。ジェームズは家柄で人を見ない。それは良いことだが、同時にそれは『公爵家だからだめ』だという理由も通じないということだ。公爵家の問題点をいくら説明しようとも、彼はローレンスを受け入れるだろう。彼は融通が利かないのでね」
「だから……伯爵に、あまり話さなかったんですね」
「……私は嘘は言いたくない。二人の結婚を阻止するために、ローレンスを悪く言うことは避けたかった。私の一番の目的は、アンドレアを守ることだ。だから、ローレンスとの結婚は認めないが、私はこの青年に敬意を抱いているよ。アスター家の中で高潔さを保ち続けることが、いかに大変なことか……。……彼が公爵家の人間でなければ良かったのに……」
そう言ったレンは、ひどく悲しそうだった。
なぜか私は、その悲しみを自分自身が感じているような状態に陥り、目から一筋の涙が零れ落ちた。




