理由
「彼が公爵家の人間だからだ」
そう言ったレンの声は、瞳に宿る昂りとは対照的に非常に落ち着いていた。そして、あまりにも断定的な口調だった。
まるで、毎日必ず朝がやってくるのと同じくらい、彼が述べた理由も、疑問を挟む余地のない確実なものだという口ぶりだ。
「「……」」
私とレンの間に再び沈黙が訪れた。
彼は言うべきことは言ったとばかりに口を閉ざしてしまい、私は彼の言葉の意味がわからず何も言えない。
だって、公爵家に何か問題でもあるの?
裕福で……権力があって……見下されたり軽んじられることもなく、絶対に踏み躙られない。まさに将来安泰だわ。
公爵家を嫌がる理由が思いつかず、一瞬「まさか、この世界の公爵家は地位が低いの?」と意味不明な考えが浮かんだが、これまでの会話やエレノアの反応からして、それはありえないことは充分わかっていた。
そもそも、レンが身分を理由に婚約を許さないなんて……。そんなことは、まず考えられない。
だが、彼はハッキリと言ったのだ。「公爵家の人間だから」と……。
「「……」」
お互い口を開かず、私の耳には時計の音だけが聞こえる。
ついに、長い沈黙を破ったのは私の方だった。
「……公爵家がだめなんですか?」
私の問いに、レンは静かに頷いた。
「そうだ」
私は彼の様子を探りながら、慎重に言葉を選んで先を続けた。
「……ローレンスさん自身に、問題があるわけではないんですね……? 優しさや思いやりに欠けているとか、実は裏の顔があるとか、男尊女卑の塊だとか……そういうことではないんですよね……?」
レンはわずかに表情を和らげて、もう一度頷いた。
「そうだね。私自身、公爵家とは関わらないようにしてきたから、ローレンスとも会話を交わしたことはない。だが、ジェームズに言ったように、何度か姿を目にしたことはあるよ。その範囲でわかることになってしまうが、彼は聡明だし、優しさや思いやりも持っている。そして、これも極めて重要なことだが……悪意や暴力的な面といったものは感じられなかった。……彼が公爵家の人間でなければ、私は今回の婚約を喜んだだろうね。彼は善い青年だから」
そういえば……、アメリアの伯母さまも公爵家と関わるつもりはなかったって聞いたわ。
エレノアは『公爵家』に浮かれていたけれど、良識のある人はむしろ距離を置きたがっているよう……。
私の心はざわつき始め、今回の婚約は自分が思ったよりも、さらに複雑なものだと受け入れざるを得なかった。
レンは目を逸らすのをやめて、再び私を見つめた。彼の目は冷静さを取り戻し、穏やかな眼差しをしていた。
「君が不思議に思うのはわかっているよ。普通であれば、あのローレンスとの結婚など、歓喜する以外にないだろう。多くの者たちが、アスター家の財産や地位に目が眩んでいるからね。だが、私にはそんなものよりも目を引くものがある。……アスター家に渦巻く、欲望と争いだ」
彼が言い終わった途端、窓の外からけたたましい鳥の鳴き声が聞こえて、私は体をビクッと震わせた。
鳥が鳴いたのは偶然だろうが、まるでレンの言葉に反応したようだった。
レンは私を安心させるように優しく微笑むと、静かにこう言った。
「私はアンドレアの意思を尊重してきたが、結婚について、彼女にひとつだけ禁止したことがある。……それが何かわかるかな?」
私には答えがわかっていた。
ただ、それはローレンスにとっては辛いものだ。
それに、アンドレアについては新たな謎が生まれる。
私は目を伏せ、答えを言おうと口を開いた……。




