待ちわびた人(1)
アメリアがレンにそっと何かを告げている。
彼は話を聞きながらゆっくり頷いて、「ありがとう」とお礼を言った。その眼差しがとても優しくて、私は自分に向けられているわけでもないのに、ついつい見入ってしまった。
レンが来ただけで、部屋の空気が変わったみたいだ……。
彼の佇まいを見ながら、私は妙に納得した。
(そうよね、エレノアであるはずがなかったわ。彼女なら、もっと乱暴にドアを叩くもの。あんなに優しくノックはしない……)
レンがこちらに向かって歩き始めると、気を利かせたようにアメリアが部屋を出て行く。
私はレンの姿を見つめながら、胸の高鳴りを落ち着かせようと一生懸命だった。
(よかった! 会いに来てくれた!)
全身が安心感で満たされ、胸は歓びでいっぱいだった。
これが何を意味するのかは、自分でもよくわかっている。
この世界で、彼の存在は私の拠り所なのだ。
こうしてレンとまた会えるまでに、私の中では婚約という問題が明るい兆しを見せるようになっていた。
私のローレンスに対する見方が、確実に変わったからだ。
アメリアがローレンスの話をしてくれたおかげで、彼が“まとも”そうな人だとわかり、気持ちが楽になった。
もう「公爵令息に取り入る」なんて、する必要はない!
だってローレンスは、そんなことを望む人物だとは思えなかった。むしろ、エレノアの指示通りに動けば、彼に「嫌ってください」と言うようなものだとさえ思う。
アメリアが言ったように、彼に「女性を見る目もあった」のなら、アンドレアの内面を見抜いたからこそ、彼女に惹かれたはず……。そんな人を魅了しようと頑張ったところで、上手くいくわけがない。
アンドレアは、スペンサー伯爵が愛し、レンが大切に想い、アメリアが慕う女性だ。この事実だけでも、彼女が美しい心の持ち主であると推測するには充分だった。
それなら、一番良い方法はとてもシンプルだ。
“媚なんて売らずに、ただ、ありのままのアンドレアでいれば良い”
つまり、レンに「アンドレア」のことを教えてもらい、ひたすら忠実に彼女に扮するのだ。
それも簡単なことではないとわかっているが、エレノアの要求と比べれば、ハードルはかなり下がる。
これなら、アンドレアを踏み躙ることにはならないだろうし、私自身も受け入れられる範囲だ。
あぁ……政略結婚だと知ったあの時、スペンサー伯爵に「婚約は嫌です!」なんて迂闊にも声に出さなくて本当に良かったと思う。
もし軽はずみにそんな発言をしていれば、私はローレンスからアンドレアの愛を奪うことになったかもしれない。
この二人の結婚は、政略結婚という形を取っていながらも、そう単純なものではない。もしかしたら、本当に運命の相手なのかもしれないし、真実の愛が生まれる可能性だって充分にある。
アメリアが信じているのも、まさしくその可能性だ。
感情に突き動かされずに、ちゃんとアンドレアの決断を尊重しておいてよかった。
あの時の自分を褒めてあげたいくらいだった。
こうしてアンドレアの婚約に希望を見出し始めた今、私は再びレンに会えた。
徐々に物事が良い方向へと流れを変えたようで、私は楽観的な気分になっていた。
レンは私に近づきながら、微笑みを浮かべた。
「アメリアにいったい何があったんだい? まるで重荷が取り除かれたように、すっきりとしているね」
(す、鋭い……! さすがね! さっきアメリアが話してくれたことを教えてあげたら、レンもきっと安心するだろうな)
そう思って顔を輝かせた私は、ローレンスのことを説明しようとしたが、開きかけていた口を慌てて閉じた。
(そうだ……口外してはいけないんだ……)
アメリアは、レンになら話しても良いと絶対に言ってくれるだろう。
でも、今はまだ駄目だ。
きちんとアメリアに聞いて、許可をもらうまでは……。
私の葛藤を見抜いて、レンは笑った。
「無理に話さなくていい。私も詮索する気はないからね。……だが、君のことはそうもいかないな」
今や目の前まで来ていたレンは、右手を私の頬に優しく添えると、少しだけ顔を上に向けさせた。
まっすぐに私を見つめる、驚くほど深い青色の瞳と目が合った。




