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侍女アメリア

「……私の伯母は昔、ある男爵家で家庭教師をしておりました。彼女は教養があるだけではなく、子供に対する愛情をも併せ持つ人でしたから、その教え子の成長には目を見張るものがあったそうです」


 アメリアはフッと微笑んだ。


「私も幼い頃から、伯母のことが大好きでした! 物知りで、優しくて……それに、とても豪快な笑い方をするのです。その笑い声を聞くといつも、私もつられて笑い出してしまいましたわ。もちろん、たまにしか会えませんでしたが……」


 そこで咳払いをすると、アメリアは話を戻した。


「男爵家での務めが終わる頃には、評判が評判を呼び……さらに男爵さまのお墨付きもあったので、伯母には他のお屋敷から続々と家庭教師の依頼が舞い込んできたそうです。ある伯爵家からは、給料の他に別荘まで与えるという申し出もあったとか……。とにかく……その後もずっと、家庭教師の働き口に困ることは決してありませんでした」


 淡々とした口調だったが、アメリアの表情にわずかな変化があった。

 少しだけ眉をひそめ、当時の困惑を再び感じているように見える。


「ですが、ある時……」


 その時のことを思い出すように、アメリアの目は遠くを見つめていた。


「……伯母が突然、遠方のお屋敷で働くことになったとだけ言い残し、村を去ってしまったのです。親戚の中には、学のある伯母を疎ましく思う者もいましたから、私の母は『遠くにいた方が、姉はもっと自由に活躍できる!』と喜んでいましたわ。でも私にとっては、それから長い間、一度も彼女に会えなかったのは辛いものでした。10年後に伯母はまた村に戻ってきましたが、遠い地にいた間のことはあまり教えてくれませんでした。ただ『これまでと同じように家庭教師をしていたのよ』と笑うだけで、質問をしても、いつもはぐらかされてしまうのです。働いていたお屋敷のことをペラペラ話さないとは承知していますが、あまりにも秘密主義を貫かれましたわ……」


 私は静かに耳を傾けていた。


 アメリアのことをよく知らないが、彼女がアンドレアを慕っていることは疑いようがないほど肌で感じている。

 今も、相手がアンドレアだからこそ、アメリアはこの話を打ち明けているのだと私にはわかっていた。


「伯母は戻ってきて早々に結婚し、もう家庭教師をすることはありませんでした。まるで貴族との関わりを避けるように辺境の小さな村に移り住み、今はご主人と一緒にパン屋を営んでいます。私もお暇を頂いた際には、お二人に会いに行くのですが……」


 ここからが本題だと言いたげに、アメリアはゴクリと唾を飲み込んだ。

 緊張している様子だが、その目に迷いはない。


「ある日の夕食時、ご主人は公爵家の領地に暮らす従兄弟の話題を持ち出したのです。彼は続けて、まだ若いローレンスさまが、その地に暮らす者たちにどれだけ心を配ってくださるかを雄弁に語りました。多少酔っていらっしゃいましたから、身振り手振りも大きく、かなり饒舌でしたわ。すると、その話を聞いていた伯母がいきなり、『愛しの坊や……』と呟いて涙を流したのです」


 アメリアは「あんな風に涙する伯母を見たのは、初めてで……」と囁くように言いながら、自分の胸に手を当てた。


「上機嫌で歌まで歌い始めたご主人は全く気づいていませんでしたが、伯母の様子を見た私はハッとしました。彼女の目には、我が子のように接してきた教え子に対する慈しみが浮かんでいました。遠い地にいたあの10年間、伯母が関わっていたのはローレンスさまだった……伯母は公爵家で家庭教師をしていたのです。私の表情から、気づかれたと悟ったのでしょう。翌日、伯母は私を自室に呼んで、堰を切ったように話し始めました」


 人づてに公爵夫人からの手紙を渡されたこと。

 そこには、家庭教師として公爵家に来てほしいという願いが切々と書かれていたこと。

 伯母自身は公爵家に関わるつもりはなかったけれども、幼い息子の将来を案ずる母親の想いに心打たれたこと。

 そして、悩んだ末、ついにローレンスの家庭教師を引き受けると決めたこと……。


「長いこと貴族のお屋敷で家庭教師をしていれば、当然そこに集まる方々の会話も耳に入りますから、伯母は公爵家という存在の大きさをよくわかっていました。伯母にとっては、それが恐ろしく思えたようです。多くの貴族たちが、まだ幼いご令息にも既に大きな関心を寄せていたそうですよ。……ローレンスさまを手に入れることは……公爵家を手に入れることですから……」


 アメリアは私の手に両手を乗せ、覚悟を決めたように口を開いた。


「公爵家のご令息に、何がなんでも近づこうとする……そのような輩はいくらでもいます。それは当時も今も変わりません」


 アメリアは「輩」という言葉を使うことに、相当の勇気が必要だったようだ。彼女の表情は硬く、手にぎゅっと力が入っている。

 私がアメリアの言葉に共感の意を表すように頷いて見せると、彼女はホッとした様子で少しだけ肩の力を抜いた。


「彼らにとって……情報は武器なのです。自分たちには知り得ない公爵家の内情やご令息の情報を、彼らは求めていました。伯母はそれを絶対に渡さないために、ローレンスさまの家庭教師をすることさえ誰にも教えなかったのです。知られなければ、情報を求めて近づいてくる者もなく、圧力をかけられて話しをせざるをえないという状況も避けられます……伯母はかなり警戒していたのです」


 アメリアの話を聞きながら、私の中でローレンスの印象が変わっていくのを感じていた。


 アメリアの話はまだ終わってはいない。

 彼女の話を聞き終わる頃、私のローレンスに対する見方はどれほど変わっているだろう……?


「念には念を……と、ローレンスさまのことを伯母は身内にも秘密にしてきましたが、本当は公爵家での日々を誰かに話したかったようです。図らずも私が事実を知ってからは、多くのことを語ってくれて、私たちはありとあらゆる話をしました。その際、私と伯母はあえてローレンスさまの名前を出さず、かわりに『愛しの坊や』と呼んだのです。それは万が一、話を聞かれてしまった時の安全策でした。『愛しの坊や』と聞いて、いったい誰がローレンスさまのことだと思うでしょう」


 アメリアは悪戯っぽく微笑んだが、すぐに真剣な眼差しで私をまっすぐ見つめた。


「……お嬢さまに、お願いしたいことがあるのです」

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