1.将棋部の鈴木と桜良
2017年4月11日、春。
照らす陽射しと、それを反射する華やかな桜の花が舞う中。
ここ、S.F.N高校では無事入学式が行われている様だ。
【様だ】というのはつまりどういうことかと説明をすると、そんな煌びやかでおめでたい行事が行われている真横の校舎で、どういう訳か普通に授業がフルタイムで行われているのである。
家にいるよりは幾分かマシだが、窓から見える新入生の楽しそうで幸せそうな顔を見ると、真面目に授業を受けるのが馬鹿らしくなってしまう。
「おい鈴木! 今の質問に対する答えを聞こうかな?」
そんな怒れる声が俺の右耳に届き、左耳に抜けそうになるのを左手で押し込んで脳で理解すると、顔を上げて少し右を向いて教卓に立つ偉そうなおっs……教師の顔を見る。
「どうした、答えられないか? そうだろうな! 授業を聞いていない証拠だ!! 廊下に立ってろ!!」
言われ、俺は素直に立ち上がり目を細めたまま廊下へと出る。
その際、クラスメイトから「ドンマイ」と半笑いで煽られ、「でた、鈴木 悠のお得意芸だぜ」と笑われた。
そんな奴らは無視をして、俺は廊下に出ると、制服を正してピシッと背を伸ばし、足を曲げて壁に寄りかかる。
これが教室からはバレないサボり芸である。
俺は授業を遠目に聴きながら、口角を上げてニヤニヤ笑う。
お真面目に授業なんか受けてプププと心で笑っているのだ。
そんな時、ふと視線を感じて顔を右に向けると、そこには明らかに日本育ちでは無いこの学校には不釣り合いのお嬢様が、顔を引き攣らせて俺の方を見てきていたのである。
その日の放課後。
あれからというもの、あのお嬢様が気になって授業が見に入ってこなかった。
が、放課後を迎えた俺にとってはそんなこともはやどうでも良かった。
新入生との関わりなんて今までの学校生活で無かったしな。
それに……あれは完全に別世界の人物だった。
普通を生きてきた俺の人生に関わってくるような人間では、まず無いだろう。
俺はそんなお嬢様のことを考えながら歩き、目的の教室へと到着する。
顔を上げ、その教室の室名札の文字をしっかりと確認する。
1度間違えて勢いよく教室に入り、大恥をかいた経験がそうさせるのである。
そこにはしっかりと目的の文字【将棋部】とそう書かれてあった。
俺はしっかりと3回ノックをし、中から「はーい」と声が聞こえてきてから教室の扉を開ける。
すると、いつも受けるった1つの視線。
なんだお前かと言わんばかりの冷たい視線が俺の胸を貫いた。
「おつかれさん」
しかしその唯一の人物は、冷たい視線を送りながらも、一応と言った感じでそう声をかけてくれる。
「お、お疲れ様、です」
しかし、俺がそう返した時には既に、手元の紙に目線を移してしまっている。
これも、日常である。
俺は改めて教室を見渡す。
奥に押しやられ乱雑に置かれた机と椅子のせいで奥の扉は使えなくなっている。
扉から入ってすぐの右側には本棚が置かれていて、漫画等が真面目そうな本の後ろに隠されている。
そして将棋部大本命の将棋盤は、扉を入ってすぐの正面に畳が敷かれ、その上の中央に丁寧に置かれているが、当分使っていないので埃を被ってしまっている。
俺はそれを横目に、教室中央部にある畳2枚が敷かれ、その上にちゃぶ台が乗っけられたスペースに、靴を脱いで上がる。
先の冷徹人間が紙にカキカキしていたのもそこである。
俺は冷徹人間の正面に座り、鞄から漫画を取り出して読み進める。
家では決して読むことの出来ない漫画。
そしてゲームができる場所がこの将棋部なのである。
俺はそこが楽しくてしょうがないのだ。
因みに、3年生の部長と副部長が居るのだが、俺が入部して以来来ていない。
誠に不思議である。
しばらく冷徹人間が紙にカキカキする音と紙をめくる音だけが教室中を響き渡る。
そうしていつものように時間が経過していく。
と、そう思われた瞬間。
教室の机が山積みになっている方の扉が勢いよくガラガラっと開いた。
「失礼致しますわ!」
しかし、それと同時に机はバランスを崩し、扉を開けた人物に方向へと倒れて行ってしまう。
「グオォァ! なんですのぉぉ!?」
と叫びながら、扉を開いた人物は机の山に飲まれ廊下に飛び出して行った。
俺と冷徹は初めて目を合わし、互いにパチクリさせる。
が、それは次第に睨みへと変わり、「面倒くさいから、アンタが助けてこいと」でも言いたげだった。
俺は諦めて漫画を閉じ、立ち上がって靴を履くと、廊下に出て1つずつ机を並べていく。
すると、6個目を動かした辺りで手が見えたので、ギョッとしつつもその手を掴んで引っ張ると、ガタガタと音を立てながら、お嬢様が飛び出してきた。
どうやら目を回しているようで、真っ直ぐ立つことすら出来ていない。
俺は机を踏み倒しつつ、お嬢様の手を離さないように移動し、何とか教室に入ると、将棋盤を避けてお嬢様を横に寝かせた。
するとどういう訳か、直後に冷徹が目をキラキラ輝かせて近づいて来た。
冷徹はお嬢様を見ながら手を上にあげ、とても卑猥な動きをして見せる。
そしてそれを見る俺を見上げ、一言。
「机、片しといて」
「はい、わかりました」
俺は涙ながらに言うことを聞くしかないのだった。
そうして数時間が経ち、ようやく片付けが終わった俺が改めてお嬢様の方を向くと、冷徹が鼻息荒くお嬢様を触ったりしながら紙にカキカキしていた。
「ちょ、辞めといた方が……」
キリッと睨まれ尻すぼみで声が途切れる。
俺は目の前で行われている性犯罪行為を止めることすら出来ないと、四つん這いで自分を責め立てる。
そんな時。
バッと音が聞こえ、顔を上げると、お嬢様が腕で上半身を隠しながら顔を真っ赤にしていた。
どうやら状況が呑み込めず叫び声も出ない様子だ。
そんなお嬢様に上から覆い被さるように冷徹は鼻息をさらに荒くして目をギラギラに輝かせている。
俺も冷徹が男であれば必死で止めるのだが、残念ながら冷徹は女の子なのだ。
怖くて怖くて。
しかし、状況を見るにさすがにヤバそうだ。
俺は立ち上がり、冷徹に駆け寄ると、後ろから横腹に手を当ててコチョコチョする。
すると、あの冷徹が「キャハハ」と笑いながら横に倒れる。
しかし俺は追撃をやめない。
「そこのお嬢様! 反撃の時間ですよ!」
そう惑星ベジータを破壊しそうな声で言うと、温厚そうな顔だったお嬢様も怒りの表情を浮かべて立ち上がると、冷徹にまたがってコチョコチョを始めた。
数分後。
俺は冷徹が吃逆を始めた段階で満足し、続けようとするお嬢様を止めた。
そして改めて2人をちゃぶ台の前に座らせると、そこで初めて顔を見合うことが出来た。
冷徹は特に言うことの無い黒髪のミディアムヘアで顔は童顔よく見ると可愛い。
一方お嬢様の方は、金髪をウェーブさせていて、丸顔のおかげか凄く幼い印象を覚えるが、瞳がエメラルドグリーンで、何故か魅入ってしまう、不思議な魅力があった。
「え、え~っと……改めまして。私の名前は桜良咲って言います……え~っと、よろしくお願いします」
俺は驚愕の顔を隠せない。
「は、初めてちゃんと話し声を聞いた気がする……」
俺はわざと小さく言ったのに聞こえていたのか、キッと睨んできた。
桜良はまた鼻息荒く手をお嬢様に向けて出しているが、一方のお嬢様は頬を膨らましてムスッとしている。
そこで、俺は横から自己紹介をすることにした。
「俺は鈴木悠だよ、よろしく」
俺が手を出すと、何故かお嬢様は勢いよく抱きついてきた。
無い胸が当たって少し痛い。
「あ、あの人、怖いです……」
「俺もだ……」
また聞こえていたのか桜良に睨まれ、俺は心も凄く痛かった。
「まぁ、とりあえず一旦、離れて……」
俺はあまりにも痛いので、逆の手でお嬢様の肩をポンポン叩いて離れてくれと意思表示する。
「あ、すみません。日本のスキンシップムツカシイね」
すると、気がついたのかわざとらしくカタコトに喋って離れてくれた。
「ごめんなさい、自己紹介ですよね、私はしゃいじゃって」
キャッと顔を両手で隠してそう言うお嬢様に、俺は分からねぇと苦笑いを浮かべることしか出来ない。
というのに、桜良は何とその表情を見て写真を撮り始めていた。
「とりあえず、名前だけで良いから、教えて貰っても良いですか?」
俺がそう聞くと、またしても「私ったら」と言ってキャッと言い顔を隠したが、今度はそのまま答えてくれた。
「私はソフィアという名前のどこにでも居るお嬢様です、わ」
わの後付け感が丸出しだが、名前も本当なのだろうか。
顔や容姿は海外の人っぽいが。
「日本語、上手ですね」
「私、昔から日本が大好きで……沢山お勉強をして参りましたので、このように流暢に話せます、の」
語尾にわやのをつけなければならない制約でもあるのだろうか。
「そ、そうか……日本を好きになってくれて、ありがとう」
俺は疑問符が多すぎてそんな意味のわからないことを言ってしまった。
「いえ、じゃぱにーずかるちゃーは最高ですから!!」
両手1杯に広げ、嬉々として言うソフィアだが、俺は英語は下手なんだ、と言いたくて仕方がなかった。
「で、ソフィアちゃん……何でこんな所へ? もっとお花畑とか噴水とか、ソフィアちゃんにお似合いの場所に行かなくちゃ」
「お花畑も噴水もこの辺りには無いだろ」
桜良のとんでもロマン発言についツッコミを入れると、キリッと睨まれ萎縮する。
「あ、そうです。私、将棋部に入部したんですの」
「「は?」」
「いえ、ですから。将棋部に」
「い、一体何で!?」
「私将棋が大好きでして、よくおうちのパソコンでやってましたの。ですから、実際に打ってみたくって……そういえば、将棋、やってる様子がありませんわね」
痛いところを突かれ、2人して口笛を吹いて変な方を向く。
「それに部員はお2人しか居ないんですの?」
俺達は答えようとしない。
だって、凄く健気な目で見てくるんだもん。
漫画読んで絵描いてるなんて言えないよ!!
そうして答えを渋っていると、ソフィアの頬がだんだんプクッと膨れてきた。
白い肌に赤みがかった頬が目立つ。
「じゃぁ、もう将棋はいいです、ゲームで出来ますしね」
その言葉に2人で胸を撫で下ろす。
「でもそれじゃわざわざ1人で日本に残った意味が無いんです!」
「え、日本でひとり暮らしなの?」
「そ、そんな……」
俺達が各々で反応すると、ソフィアは少し涙ぐんでキレ気味に続けた。
「それは今度説明します! でも、とりあえずこれからは私に日本のかるちゃーを教えるための部活として、この将棋部を使ってくださいね!!! じゃぁ、今日は帰ります!!」
プンプンと口で言いながら、本当に帰って行ってしまった。
しばらく沈黙が続いたが、このままいても仕方が無い。
「か、帰るか」
「うん……片付けしてから鍵閉めるから……じゃぁ、また」
「お、おう。また」
こうして桜良と別れの挨拶をするのも初めてだ。
果たして明日からどうなるのだろうか。
ソフィアのせいで、俺の生活も何かが変わろうとしているのかもしれない。
そう1人で何故かワクワクしながら、スキップ気味に帰るのだった。