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バゼル、カールセン、サリーを連れたエレナは、本邸まで帰ってきた。別邸から本邸までの間で襲われることはなかった。
エレナは自室まで歩きながら、本邸の侍従長であるエドガー・フスにサウスブルク港や別邸で起きたことの情報を共有した。
「では、チャールズ様からのお手紙を読んでみなければなりませんね」
エドガーは落ち着いた態度で事態を把握し、彼の深い洞察力と卓越した経験を活かして対応策を練り始めた。彼は本邸の警備を強化するために指示を出し、素早く行動を開始した。
自室に入ったエレナは、バゼル、カールセン、サリーを部屋の椅子に座らせて言った。
「ここで待っていてね。今から手紙を開けて読んでみるわ。普段のやりとりの延長、っていう可能性もあるけど……」
チャールズの愛情を信じていたエレナは、いつもどおりの手紙であるはずだと自分に言い聞かせようとした。しかし、本邸に戻る道中でも、本邸へ近づけば近づくほど自信がなくなっていくのを感じた。舞踏会の日に剣を合わせ、チャールズの人柄をわかった気でいたが、それが錯覚だとしたら……。政治の世界のことをあまり教わらずにきた自分も、剣を通してであれば人を理解できると信じていたのに、その唯一の自信も失ってしまうような気がした。
バゼルは姿勢を正した。
「普段どおりなら、それはそれでかまいません。ベガ王国も預かり知らぬことだという可能性も生まれます。もし差し支えないようでしたら、読み上げていただけると幸いです」
エレナはうなずき、手紙を出した。三人の前に立って読み上げる。
「拝啓。舞踏会の日に見た星々の行方を探すこの頃。エレナ・ヴァレンタイン様におかれましては、お健やかにお過ごしのことと存じます。
さて日頃から何かといたらぬ私ですが、本日は心苦しくも申し上げるべきことがございます。
ベガ王国第二王子たる私チャールズ・ベガは、バナーム王国第一王女と結婚することに相成りました。つきましては、エレナ・ヴァレンタイン様との婚約を破棄させていただきたく存じます。
ささやかではございますが、最後の贈り物もお送りいたします。到着まで今しばらくお待ちくださいませ。
それでは、再びどこかでお会いできることを楽しみにしております。
末筆ながらウィステリア王国のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。
ベガ王国第二王子チャールズ・ベガ」
エレナが手紙を読み終えると、部屋は重苦しい空気で満ちた。エレナの手紙を持つ手がぷるぷると震えている。エレナは何度も読み返したり、封筒や手紙の裏を見たりするなど、手紙の内容をとても信じられないでいた。その場にいる三人も、どのようにエレナに声をかけていいかわからず、ただ彼女の様子を見守っている。
バゼルはひたすらエレナの気持ちを心配する一方で、カールセンは戦争を予感した。ウィステリア全体がエレナの婚約を祝福していたのに、それを破棄するというのは、宣戦布告に近いと感じた。ベガはウィステリアを切り捨て、バナームを選んだのではないか。
――エレナは、婚約を破棄された。
バゼルはエレナが傷ついている姿を見るのが辛かった。ウィステリアで随一の剣士であるエレナも、心の傷には無力だった。いくら剣の腕が立つとしても、痛みや悲しみから心を守ることはできない。
しかしバゼルにはエレナを案じる気持ちとは別に、ほっとする気持ちもあった。婚約が破棄されれば、エレナはウィステリアに残り続ける。いずれまた結婚の話が持ち上がるかもしれないが、エレナが遠くに行かないという決定に、胸の内で喜びを感じてしまっていた。
この手紙をきっかけにベガとの戦争が始まるかもしれない。そこで自分が活躍し、もし貴族の地位を得られれば、エレナ様と結婚できる立場になるかもしれない。これはチャンスだ! そう考えるくらい、バゼルには野心があり、エレナへの一途な気持ちがあった。
バゼルはエレナに話しかけた。
「非常にショッキングなお手紙でした。心痛、お察しします。ですが不自然なのは、婚約の解消などという重要な手紙が、まだウィステリアの中央へ届けられていないのではないかということです。たとえば国王様のところや宰相様のところへ届いているなら、辺境伯様へ知らされるべき事柄です」
心ここにあらずの状態になっていたエレナは、ぼうっと数秒バゼルの顔を眺めたあと、我に戻った。
「そうね……そうよね。こんな重要な手紙が私の手元にだけきて、国王様のところに行かないはずはないわ。国どうしの婚姻契約を一方的な理由で破棄する代償は、計り知れないもの」
「戦争になりかねない事態となってしまいます。それにチャールズ様の結婚相手がバナームの第一王女であれば、もっと前から結婚の話があがっていたはず。そのような状況下でエレナ様とお手紙のやりとりをしてらっしゃったのでしょうか」
「チャールズ!!!!」
エレナはバゼルの言葉を聞いて、チャールズの名前を怒りに満ちた声で叫んだ。その声は、まるで雷鳴のような迫力があり、もしもこの部屋に虫がいたとしたら、圧倒されて潰れてしまいそうなほどのプレッシャーである。あんなにラブラブな手紙を送っておきながら陰でバナームの王女との縁談を進めていたするなら、絶対に許せない。
エレナは自分の気持ちを強く誓った。「戦争が起ころうとも構わない。私が先頭に立ってベガ王国を滅ぼしてまる」彼女の瞳には炎のような闘志がきらめいていた。
エレナの怒りは明らかに限界を超えていたため、冷静沈着なカールセンでさえもそわそわし始めた。カールセンはエレナをなだめなければならないと判断した。
「エレナ様、落ち着いてください。まずわたしが中央へ確認してきます。エレナ様に届いた手紙だけでは、あまりにも内容が薄いです。ベガ王国はウィステリアの中央とのやりとりをずっとしていたかもしれませんし、ひとまず調べてきますので……」
「はあ? 内容が薄いですって? 婚約破棄のどこが内容が薄いっていうのよ。あんた斬り殺されたいわけ?」
「いえ、決してそのような意味ではなく……」
エレナが剣に手をかけると、カールセンは椅子から飛び降り、床に頭を下げて謝罪した。彼は実は優しい性格なのだが、その不器用さや無口さゆえに、知らず知らずのうちに人の感情を逆撫でしてしまうという欠点があった。そのため、彼が言ってしまった言葉も、現実的ではあるものの、エレナの今の複雑な気持ちを意図せず逆撫でしてしまった。
バゼルはカールセンをかばうようにして「エレナ様、ご容赦を! ご容赦を!」と懇願した。
エレナの怒りが最高潮に達したとき、彼女は立ちくらみを感じた。サリーがすぐに立ち上がり、エレナを支えた。
「エレナ様、大丈夫ですか。お気をたしかにお持ちください!」
エレナはついに意識を失ってしまった。