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エレナとサリーはベガ王国の西南に位置するトリア国境検問所に向かった。
ベガ王国とウィステリア王国は通商の同盟を結んでおり、資格証があれば日夜問わず行き来できる。資格証は両国の国民から成り立つ検問委員会が発行しており、街道や山道も互いに整備しているため、両国の往来は活発だった。エレナの場合、辺境伯に与えられている紋章を見せれば特別に通ることができる。
検問所は石造りの小さな建物で、二人の視界ではすでにその照明がぼんやりと夜の闇に浮かんでいた。周りには高い塀が連なっており、国境を保護している様子が伺える。
サリーは首筋に刻まれたベガ王国奴隷の焼印を隠すため、首元にマフラーを巻いていた。時折、彼女はそれに触れ、焼印が確かに隠れているかを確認した。だが皮肉にも手指の汗が滲むたびに、止めどない不安がマフラーの隙間から霧のように立ちのぼってくるのであった。
道中でサリーは、平静を装いながらエレナに訊いた。
「もうすぐ検問所ですね。着いたら、どのように説明して通過しましょうか?」
一方のエレナは、馬上でのんびりパンを食べつつ、あえて気楽そうに答えた。
「いつもどおり通るのよ。問題ある?」
検問所へと続く道は石畳で舗装されており、馬の蹄の音が響き渡っていた。遠くには森が広がり、静かな夜の空気が二人を取り巻いていた。
サリーは革のフードを取り出して目深にかぶり、心の中で臨戦態勢に入った。
「私は……その……正式に通過したことがないもので……。すっかり夜になっておりますし、このような時間に検問所に来るエレナ様は、少し不自然ではないでしょうか……。もちろん紋章をお持ちなので、通れるのは確実ですが」
エレナは、冗談めかした表情で提案した。
「チャールズ王子に会いに来た、ではだめかしら」
サリーは顔をしかめた。
「こんな時間に? となります」
エレナは自信に満ちた目でサリーを見つめ、安心させようとした。
「そうね。でも言うしかないんじゃないの? 事実だから。どうしても会いたくて、がまんできなくなっちゃった! って楽しそうに答えるわ。大丈夫よ、役人たちとは顔なじみだし」
サリーは少し考えたあと、なんとか笑顔を作り出して返事をした。
「明るく伝えるほうが説得力もありますし、いいかもしれませんね!」
かつてサリーが命をかけて通ったトリア国境検問所。サリーは従者としての職務上、エレナの越境を心配したが、実際のところは彼女自身の心配が先立っていた。サリーにとっては、むしろエレナが付き添ってくれているような感じを受けた。
検問所がいざ近づくにつれて、サリーは奴隷身分だった過去を思い出し、怯えの残る首筋がうずいた。焼印を見られた場合、エレナの立場が危うくなる可能性すらある。エレナと通過するのは心強かったが、同時に、エレナを守るために自分の「過去」をいかに覆い隠すか、神経を尖らせていた。
検問所の門まで着くと、役人たちは宴会ムードのようだった。賑やかな声に溢れていた。一日中運営されているとはいえ、夜はほとんど通行人がいない。そのような状況なので、たまに不法入国事件が起きるのだが、不法入国は両国で死罪となっている。資格証を発行し、行き来の自由を大幅に認めているがゆえに、ルールを守れなかった者には厳罰が課されるのだ。
「うわ! エレナ様じゃないですか! どうしたんですかこんな夜更けに! わしに会いに来たんですか?」
検問所の所長シモン・ロベールがほろ酔い気分でいそいそと挨拶に来た。エレナが馬から降りたので、サリーも馬から降りて会釈した。
検問所は酒の匂いが充満しており、下品な笑い声や聞くにたえない悪口が飛び交っていた。役人たちが一椅子取り囲んで賭け事に興じていたり、壁際で酒盛りを楽しんでいた。その中には商人たちの姿もあり、彼らもまた役人たちと交流を深めていた。
エレナは慣れた口調で、シモンに向けて返事をした。
「シモン、久しぶり! 前に通ったときはいなかったわね。あなたに会いに来た、って言ったらどうするの?」
「わしの全財産をエレナ様に差し上げます」
「あなたのちっぽけな財産なんて興味ないわ。恋の話にお金を匂わすなんて、つまらない男ね」
「いやはや! さすがエレナ様! 今日はいつにもまして美しくお強い!」
シモンがエレナと会話を楽しんでいる間、周囲の役人たちも興味津々で見守っていた。彼らはエレナの美しさと気丈さに感嘆し、ひそひそ囁き合っていた。
「また今度ゆっくり話しましょう。はい、紋章ね。通らせてもらうわよ」
エレナがこう言うと、シモンはエレナの紋章をちらっと目で追った。その後、フードとマフラーを身につけたサリーに視線を向け、声をかけた。
「そこの従者の方も、顔をしっかり見せてもらえませんかね?」
(やっぱり言われるよね……)
エレナは、サリーを守るために事前に用意していた返答をした。
「私の連れなのよ。問題ないに決まってるでしょ。それに、彼女はちょっと風邪をひいているの。こんな寒い夜にフードを取らせるのは心配だわ。わかってくれるでしょう、シモン?」
シモンは「困ったなあ」と言いながら頭を掻いた。
「従者の方といえども、顔は見なければならないので……すみませんねえ」
エレナはサリーの顔を覗き込んで様子を確認した。サリーの瞳には、不安と恐怖がはっきり映っている。
サリーは動揺を隠しきれなくなっていて、それがエレナにも伝わっていた。あえてサリーの緊張に触れないようにしてきたエレナだったが、裏目に出てしまったかと、後悔し始めた。さすがに所長のシモンを無視するわけにはいかない。
シモンは申し訳なさそうな表情を見せていたが、その目つきには微かに疑いの色が潜んでいた。
居心地の悪い空気が三人の間に生まれようとしたそのとき、サリーはくちびるを震わせながら、消え入るような声で言った。
「嫌です」




