5話:観劇に屋台に
美術館から帰宅し、夕食を食べ終え、明日の観劇のために、その日は休むことにした。
翌日も、朝寝坊をしたカレナ。
遅いとカラムがやってきて、また二人で部屋で遅い朝食をとった。
食べ終えてから、午後の部の観劇に向かう。食べ終えたばかりの二人はお腹がいっぱいで、その日の昼食は抜きにした。
その代わり、観劇が終わった後に、居酒屋に行くか、屋台で食べようと約束する。酒は控えるようにと、カラムはカレナに忠告した。
大衆笑劇は子どもから大人まで楽しむことができる劇だ。同じく観客を笑わすための喜劇より、内容は他愛無く、どんな演目も子どもから見ることができる。そのため、平日の昼過ぎだと、子ども連れの観客が半数を占めていた。
子どもが笑うポイントで、カレナも笑った。その声は子どもの笑い声に紛れてしまう。いつも仏頂面のカラムも、口元を押えることしばしばだった。
「楽しかったね」
劇場を出たカレナが腕を空に向かて伸ばし、笑った。腕を降ろしながら、くるりと回り、カラムの前に立つなり、彼を覗き込む。
「ねえ、カラムも笑ってたでしょ。私、気づいていたんだからね」
「さあね」
「口を押えて、ちょっとうつむき気味に喉を鳴らしていたの、見ていたんだからね」
カラムはカレナを一瞥し、押しのける。
「これから、なにか食べるか? それとも帰るか」
「食べたい。やっぱり、お腹が空いてきているもの。迎えの馬車だって、食べてから帰る予定時刻に迎えに来るよう頼んでるの知っているんだからね」
カラムが歩き出し、カレナは追いかける。
「少し先に、屋台が並ぶ道があるそうだ。そこに行ってみよう。そろそろ早い店が開き始める」
「もう、四時ですものね」
「なにか食べたいものはある?」
「そうねえ。何があるのかもよく知らないのよね。カラムは行ったことあるの?」
「いや、ない」
「へえ、教室では行ったっていう男子いるのにね」
「俺やケビンはむりだよ」
「それはそうねえ。私もこういう機会でもないと足を運ばないわ」
「まずは、行ってみてからだな。屋台の道は狭いらしい、迷子にならないように気をつけろよ」
「子どもじゃないのよ」
「子どもと一緒に笑っていたカレナが言うか」
「なによ、子どものお父さんやお母さんも笑っていたじゃない」
「はいはい」
「そんなに心配なら、手でもつなごうよ」
「はっ!」
急に飛び退いたカラムに、カレナは目を丸くする。
「どうしたの。昔はよくつないだじゃない」
「むっ、昔は昔だろ」
「たいして変わらないわよ」
「変わるだろ、周りがどう見ると思うんだ」
「兄妹」
「バカ」
「バカって言う方がバカなのよ」
「子どもかよ」
そう言うと、カレナはカラムの腕を掴んだ。むりやり片腕を絡めて、手を握る。
カラムは口元を反り返し、眉を潜めた。
カレナはそんな嫌そうな顔を楽しそうに見上げる。
「これで迷子にならないわよ」
「嫌がらせかよ」
「なによ、迷子になったら、死ぬほど心配する癖に」
「……しないよ」
「嘘つき」
「……」
カラムは負けた。
カレナの言う通り、彼女が見えなくなれば、死ぬほど心配することになるのは目に見えていた。
カラムはカレナの手を握り返す。二人は手を繋いで歩き続けた。
屋台では、クレープや、イカをその姿のまま焼いた串や、太い香辛料がきいたソーセージ、飴細工など、色々な食べ物を売っていた。
お腹が空いていたカレナは目についたクレープを真っ先に買い、歩きながら食べる。
カラムはただカレナとはぐれないようにだけ気をつけた。
屋台の形態もさまざまで、小さな小スペースに立ち飲みができる店もあれば、ただ品を売っている店もある。
出す食べ物も、国内の料理から、異国の料理、食事からおやつまで様々だった。
とはいっても、時間が早いから、まだ三分の一の店は準備中だ。
カレナがくいくいっとカラムの手を引いた。
「なに」
「カラムは食べないの」
「べつにいい。戻ってから夕食もあるから」
カレナが立ち止まった。
「ねえ、一口食べてみない」
「はっ? 一人で食べればいいだろ」
「いらないの」
「いらないよ」
「そう」
素っ気なくカレナが引っ込む。
カラムは、口元をみみずのようにゆがめた。
「……一口」
「食べるの?」
カラムはカレナの手を引くと、道の端に寄った。屋台と屋台の間に立つ。手にしたクレープをカレナはカラムの口元に寄せると、カラムは大きな口で一口食べた。
クレープを自身に寄せて、カレナは微笑む。
カラムは眉間にしわを寄せる。まずいと言いたげな表情だが、本心は聞いてみないと分からない。
「美味しい?」
「……うん」
嬉しそうなカレナの顔が、クレープを見た瞬間に歪んだ。
「カラムぅ。一口が、大きすぎだよ。ひどいよ、こんな大きな穴をあけるなんて、食べすぎ。駄目よ、こんなに食べちゃ。一口って言ったじゃない」
「はっ? 自分で食べろって言っておいて、苦情かよ」
半泣きのカレナを、カラムは呆れ顔で見下ろした。
その後も、イカの姿焼きや、飴細工を二人で食べ合いながら歩き、その度に、食べすぎとカレナは怒ったが、カラムはその怒りを気にすることはなかった。
お腹も満ちてきて、二人は待ち合わせ場所で馬車に乗り、帰宅した。
翌日は、動物園に出かけた。
他国からやってきた動物から、国内の主要な動物まで、さまざまな生き物が展示されている。
公園を歩くように、動物を見ながら、一日がかりで散策した。
翌日は、美術館や博物館を中心に出歩いた。それなりに行ったこともあったが、平日の昼間はさすがに空いており、二人はいつもよりそれぞれの施設に長く滞在し、展示物の隅々まで見て歩いた。
一週間ほどの休息期間のうち、五日が過ぎた。
候補に挙げた行きたい場所はほぼ行きつくし、明日からはゆっくりできるなとカラムは考えていたところ、カレナの食事中に零した一言に、カトラリーを落してしまった。
「カラム、私、温泉に行きたいわ」
「はっ!?」
侍女が落としたカトラリーを拾い、引っ込んだ。
「そろそろ気持ちも切り替えて、学園に行かなくてはいけないと思うの。最後のリフレッシュに温泉に行きたいわ」
「急に、なにを。誰とどうやって行くんだ」
「馬車に乗って、カラムと、に、決まっているじゃない」
「なんで、俺が!」
「私はリフレッシュ、カラムは頭を冷やすため、なんてどう」
「俺がなんで頭を冷やさなくちゃいけないんだ」
「殿下を殴りかけたのよ。不敬な自分に頭を冷やすの」
「ふざけるな、あれは!」
カレナは、腕を突き出し、人差し指を立ててみせた。
「カラムが断るなら、私、一人で行くわ。傷心の一人旅よ」
にっとカレナが笑い、カラムは嫌そうに眉を潜めた。そして大仰にため息を漏らす。
「わかった、行くよ、行く」
「善は急げ、明日出発ね」
「日帰りだよ」
渋い顔をして、カラムは食事を続ける。
カレナは両目をぱちぱちさせてから、呟いた。
「心の湯治ですもの、もちろん泊まるわよ」
その瞬間、カラムは吹き出す。
いつも平静なカラムの驚きようにカレナは目を丸くした。
「なっ、なにを言っているんだ」
「一緒に温泉行って、泊ってこようよ」
ばんとカラムは机を叩いた。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ」
「ええぇ……」
「父上だって、ダメだと言うに決まっている」
「まあ、そうよね。子ども二人で行くなんて、許してくれないかもしれないわね。じゃあ、お父様の了承を得られたら、行く、でいいじゃない」
にこにこして提案するカレナに、カラムは冷静さを取り戻す。彼は、父が了承するわけがないと考えていた。
「わかった、父上の了解を得られたらな」
この時、カラムは父は了承しないと確信していた。
ところが、夜遅く帰宅した父に尋ねると……。
「いいんじゃないか、二人で泊っておいで」
大喜びのカレナの隣で、カラムはずーんっと落ち込んだのだった。