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3話:やけ酒か祝杯か

 父を見送ったカレナは食堂へ向かう。

 食堂に入ると、侍女が朝食の準備をし、細長いテーブルの端に座るカラムは新聞を読んでいた。

 真向かいにカレナが座ると、気づいたカラムが顔をあげた。


「おはよう、カラム」

「おはよう、カレナ」


 カラムが新聞を畳み、テーブルの端に置く。


「あなたも休むのですって。お父様から聞いたわ」

「ああ。仮にも王太子殿下を殴ろうとしてしまったからね、反省を込めて自主的に謹慎することにした」


 憮然と言い切るカラムに、カレナは笑ってしまう。

 二人は子どもの頃からの付き合いで、喧嘩ばかりしていた仲だ。今さら謹慎なんて言い出し、蒸し返したら、一年は外出不可となってしまうだろう。そもそも、カラムに反省の色なんて微塵もない。


 目の前に朝食を並べ終えた侍女に、カレナは軽く礼を告げてから、胸で手を組み、恵みに祈りをささげた。カラムも、カレナと同じく胸で手を組み、黙ってカレナの祈りに耳を傾ける。

 聖なる文言の一節を唱え終えてから、二人は食べ始めた。

 食事中は黙々と食べる。

 それがマナーだと分かってはいても、今のカレナはそんな規則を破りたくて仕方なかった。


 今までの縛りから解放されたことで、心が浮足立っていた。


 スープを飲み終え、肉料理にフォークをさして口に運び、もくもくと食む。カラムはいつも通り無表情で食べている。

 食べ物を飲み込んでから、カレナは呼び掛けた。


「ねえ、カラム」

「食事中だよ」

「今日は無礼講じゃだめ。私もカラムも、ダメな子なんだから」

「なんだよそれ」

「私、ずっと、未来の王太子妃として肩肘張っていたのよ。だから、今日からしばらくは無礼講にしたいの。今だけ、見逃してよ」

「……いいけど」


 パンをちぎり頬張りながら、話しを続ける。


「私、街へ行きたいの。ふらふらっと色んな場所を歩きたいわ。動物園に、博物館に、美術館。ふらっと入った店で食事もしたい。

 身分なんて関係なくて、平民が行く店でも美味しい店があるのでしょう。屋台の品を、路上で食べるのも憧れるわ。

 教室で話を聞くたびに羨ましかった。立場があるから、行っちゃいけないと自制して、我慢していたのよ。

 格式ばった歌劇じゃなくて、大衆笑劇もこっそり見に行きたい。大衆酒場も行ってみたいわ。

 失恋したり、ふられたら、やけ酒を飲むものなのでしょう。

 今の私にぴったりだと思わない」

「博物館などや食事は良いにしても、大衆笑劇や大衆酒場はどうかと思うよ」

「そりゃあ、私一人では、行きにくいわよ。でも、カラムと一緒なら、行けそうじゃない」

「俺だって、行ったことないんだぞ」

「なら、一緒に社会見学しましょうよ。何日も、時間があるのよ。一緒に、色んな場所に行ってみましょうよ。

 せっかく、私に付き合って謹慎してくれたんだから、いいじゃない」

「謹慎なんだけど……」

「自主謹慎でしょ。誰も屋敷にいなさいなんて言ってないのだから、律儀に引きこもっている必要はないわよ、ねっ」


 にこにこと笑みを絶やさないカレナ。

 カラムは、仕方ないなとばかりに大仰にため息を吐いてみせた。


「その予定、一日で全部いけないよね。まずは、予定を立ててからだな」

「カラムらしいわね。頼りになるわ、お兄様」

「お兄様って言うなよ」

 

 不機嫌なカラムが怒っていないことは、カレナはよく分かっていた。






 動物園は一日がかりになる。

 大衆笑劇は事前にチケットを買う必要がある。

 博物館や美術館は半日で回れるけど、数か所あるので、日をわけて能率的に動けるルートを確認した。

 食事はつど、目についた店に入ればいいという結論に至る。うまいもまずいもすべて思い出だ。


 行きたい場所をピックアップし、地図を見ながら、数日間の予定を立てるだけで、昼になった。

 

 用意された昼食を食べ終えて後、二人は外出した。


 大衆笑劇の劇場の傍まで馬車で送ってもらう。帰りは夜、同じ場所で馬車に乗って帰ることになった。帰宅時間も約束した。


 大衆酒場が多い繁華街の中心部にある劇場。その窓口に行き、不慣れな受け答えをしながら、二日後の昼過ぎに開演するチケットを手に入れた。


 酒場が開くまではもう少し時間があり、二人でふらりと人通りの少ない繁華街を歩く。

 カフェがいくつか開いており、店に入った。通りを眺める席に座り、紅茶と珈琲を注文した。しばし人通りを二人で観察しながら、くつろぐ。

 

 こんな風に出歩くことがなかったカレナは、店に入り注文しただけでなにか大きな冒険をしたような感覚になる。

 カラムは相変わらず不愛想なままだ。


 面倒くさげな気だるさを隠しもしないカラムの顔をちらりとカレナは見つめる。


(いつから、こんな風に愛想がなくなったかしらね)


 十歳を超えた頃からか、もう少し大きくなってからか。

 それまでは、他愛無いことで笑い合える関係だったのに、ある時から、今のような態度に変わったのだ。双子の妹と仲良くするのもはばかられる年になり、距離をとり始めたのだろうと単純に当時は考えていた。


「なに?」

「んっ、なんでもないわ」

「そっ」


 愛想も素っ気もないくせに、嫌な顔はしない。根底においては親切なのだ。





 日が暮れてくると、ぽつりぽつりと店に明かりが灯りはじめる。

 群青の空と建物の合間が赤く染まり、人がわらわらと集まってきた。

 あっという間に、暗さを増し明かりが灯れば、道は様変わりする。


「昼間の静けさから一転するのね。あそこもここもみんな酒場」

「どこに行く? なにか食べたいものでもあるか」

「そうねえ」


 カレナは通りを見回し、大きな貝の絵が描かれた看板を壁に貼り付けている店を見つけた。


「あそこなんてどうかしら」

「いいだろう。人も吸い込まれるように入っている。きっと有名店だ。そういう店は早めに行かないと待たされると聞くぞ」


 善は急げとばかりに、カフェを飛び出し、貝類専門店に飛び込んだ。

 お酒を飲める年齢を超えているため、入店を拒否されることなく二人掛けの席に案内された。すでに席の七割は埋まっている。

 

 メニューから、いくつかの料理を注文し、ワインとエールも頼んだ。


 カラムにはワイン、カレナにはエールがなみなみとがれたジョッキが運ばれてくる。


「こういうので、ざばっと飲むのが夢だったのよね~。カラムはいいの、赤ワインで、いつものままじゃない」

「いいよ。そんなに飲む気ないし」

「付き合い悪いわね」

「どうせ、付き合いだろ」

「乾杯しよっか」


 カレナは背を丸めて、口元に手を添えて、ひそっとカラムにささやきかける。


「婚約破棄万歳、ってどう」

「……」


 カラムは眉を潜め、渋い顔を見せた。

 カレナがにっと笑っても、その渋面は崩れない。


 背を伸ばしたカレナが、カラムに向けてそのジョッキを突き出した。


「乾杯!」


 不貞腐れたままカラムもワインのグラスを持ち上げ、ジョッキの端にちょんとつけた。ガラスが鳴った音は誰の耳にも届かないほど小さかった。

 

 お酒が入ると、陽気になったカレナがおしゃべりし、カラムは牡蠣のオイル付けや蒸したあさりをつつきながら、相槌を打う。


 子どもの頃の思い出話や、学園のことなど、話題はつまらない日常事ばかりだった。


 カラムはちびちびとワインを数杯開けるなか、カレナはここぞとばかりに、テーブルいっぱいに空いたジョッキが並ぶほど、飲み干していた。


 店内の時計が、迎えの馬車が来る時刻になる。


 席で会計を済ましたカラムは、呂律も回らず、千鳥足になってしまっているカレナを抱えるように店を出た。


「カレナ、馬車の待ち合わせまで歩くよ」

「もぉ、むりぃ……」


 真っ赤な顔をして、ぐったりするカレナに、なにを言っても無駄だと悟ったカラムは引きずりながら連れ歩き、待ち合わせの馬車に乗りこんだ。


 ほとんど寝ているカレナは、カラムにもたれかかる。まともに座ってもいられない状態と体は分かっているかのように、カレナはカラムの腕をぎゅっと抱いた。


「ごめんねぇ、カラムぅ……」


 力なく呟くと、とたんに車内が酒臭くなる。

 

「いいから、寝てろ」

「んっ……」


 腕を掴んだまま、カレナは寝息をたてはじめる。その掴む力も徐々に弱くなり、カレナの身体はずるり落ちかける。

 狭い車内で、カラムはカレナの頭部を膝に乗せる。壁に肘をつけ、片手は彼女の背に載せる。


「俺の気も知らないで」


 カラムの呟きは、寝ているカレナの耳には届かない。




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