10話:結末
「カラムからきいたんだね。驚いたろう」
こくりとカレナは頷く。
「色々、事情があってね。明かさずにきて、すまなかった。私はカレナにとって育ての父でしかないが、これからも父と思ってくれると嬉しいよ」
カレナは上下に頭を振る。
こういう父だとよく分かっていた。
年を経て柔和になったものの公爵は本来、厳格な雰囲気を醸す人物だ。その割に、視野も広く、判断も的確。冷酷な人のように見えて、人に対する情にも厚い。
「今まで、育ててくださってありがとうございます」
他意はないと理解しても、まるで嫁入り直前の言葉を投げられ、公爵の表情は複雑な色を見せる。
「カレナは、いつまでも、どこまでも、私の娘だよ。まるでどこかに嫁ぐような言葉は早いだろう。せっかく、婚約も解消されて、私の元に戻ってきたというのに、寂しいことを言わないでおくれ」
公爵の視界には、感涙に瞳を濡らすカレナの背後に、頬杖から顎を滑らせ、なにを言うんだこの公爵はという目を向けるカラムが映る。
公爵の台詞は半分、カラムの気持ちを代弁していた。
そんなカラムと公爵の無言のやり取りに気づきもせず、カレナは会話を続ける。
「ありがとうございます、お父様」
「私たちに遠慮して、出ていくなどと思わないでほしい。カレナの本当の家族は、カレナの叔母である私の妹の侯爵夫人だとしても」
「そんな、私は……」
「いいかい、カレナ。人は経験とともに考えも変わるものだ。
妹を嫁す時、カレナを置いていくよう条件をつけた侯爵も、人の子の父となり、カレナの置かれた状況を憐れむようになった。
それは幼子が成長する様を目の当たりにし、親を失って子が育つことの難しさを侯爵なりに理解したからだろう。
ある時期を境に、彼は私にこう言うようになった。
『なにかあれば、カレナを娘として、いつでも受け入れよう』と……」
「お父様、それはどういうことでしょうか」
「カレナ。カラムが話したことは、出生の秘密だけだったかい、それとも他になにかなかったのか」
カレナは優しい公爵を見つめているので、背後の様子はわからなかった。
しかし、公爵からは、カラムの様子は丸見えである。
カラムは爛々と目を見開き、公爵とカレナの会話に耳を傾けていた。彼の耳には、侯爵がカレナを娘として受け入れるという意味が強く印象付けられる。
それは、カラムにも、カレナを婚約者としてもらい受けるチャンスがあるということを示す。
公爵はそ知らぬふりをして、遠回しにカラムに道を示したのだ。
ただ婚約解消し、こんな道があると提示しても、簡単に自身の気持ちを認めない堅物なカラム。
婚約破棄の茶番も、この長期の休暇もすべて、彼のために用意した舞台の伏線に過ぎないのだ。
公爵は分かっていた。
もし、カラムがカレナに出生の秘密を打ち明けているのなら、それは、自身の気持ちを一緒にほのめかしていることぐらい。
あとは、そう。
カレナの心次第だった。
カレナの背後で、カラムは断罪を待つ哀れな罪人のような表情を父に向ける。
「それでは……、もしかして……。
私とカラムは、婚約することもできるのかしら」
「もちろん、できるよ」
優し気に公爵は即答する。
カラムは目を見張る。そして、みるみる表情は崩れてゆき、眉も目元も今にも泣きだしそうに歪ませてゆく。何か言いたげな唇は声なく震えるばかりだった。
公爵にとって、愛する妻の忘れ形見であるカラムも、妹が一人寂しく産み残したカレナも、等しく愛する家族であった。
静かになった室内の扉が開かれる。
ケビンとキエラが入ってきた。
カレナとカラムが顔をあげる。二人は少し気まずそうな顔をした。
片や、ケビンとキエラの表情は明るい。二人には後ろめたいことは何もなかった。
「カラム、カレナ久しぶり」
能天気なケビンの声掛けに、カラムの目が座る。
うわっと恐れを感じたケビンは仰け反るように足を止める。その横でキエラも足を止めた。
鷹に狙われた鼠のようにケビンは怯える。
泳ぐ視線は、伯父である公爵に向けられる。
「伯父上、まだカラムに、本当の話をされていないのですか」
「本当の話だと?」
そう言って、立ち上がったのはカラムだった。つかつかと歩き、ケビンの目の前に迫る。
キエラはそっと横にずれて、気配を殺し、迂回しながら円卓に向かう。
「なにか秘密があるのなら、話せ」
どんとカラムはケビンの目の前に立ちふさがる。
ひっと喉奥を鳴らしたケビンだが、正義我にありと居直り、腕を組んだ。怖くて、心臓がばくばくと鳴る。
「秘密もなにも、婚約破棄は嘘だ」
「はっ? 婚約を破棄しないつもりなのか?」
カレナと結婚が可能になる道が示された矢先だけに、仄暗い表情に変わったカラムの声はどすがきいていた。
「ちっ、違う。そうじゃない。婚約は解消する、それは変わらない」
「では何なんだ」
こほんと落ち着くために、ケビンが咳ばらいをする。
「晩夏の園遊会で、周囲にいた同級生は全員、さくらだ」
「はっ?」
「参加者全員、つまりカレナとカラム以外、あれがカラムを陥れるための茶番だと知っている」
「……」
カラムの勢いがしぼむと、いよいよケビンの勢いが増す。
ふふんと得意げに鼻を鳴らし、ケビンはカラムに悪戯一杯の顔を向けた。
「お前がいつまでも自分に嘘をついて、真実の愛から目を背けるから、大事になるんだよ」
「どういうことだ」
答えるカラムの声がかすれる。
無表情で睨まれ、怯えを押し殺しながら、ケビンはカラムに言い放つ。
「あれはお前を陥れるために開いた茶番なんだよ~。
驚いただろ。
あそこにいる全員、驚かせる対象が、カラムだと知ってたんだ。
事前に話した時も、カラムを陥れると知ったみんなは、これは面白いと、満場一致で誰一人も秘密を漏らさず、協力してくれたんだ。すごいだろ。
お前の仏頂面が崩れた、あの怒り顔! あれがあの見世物のメインだったんだぜ!!」
「ケ~ビ~ン~……」
ふんぞり返るケビンに、拳を握ったカラムが、どす黒い声と雰囲気を発する。
「うっ、うるせえ。
こうでもしないと、お前、いつまでもカレナの兄で収まろうとして、一歩も外に出ないじゃないか。あんだけ、あからさまで、誰も気づかないと思っているのか。
バレバレなんだよ、バレバレ。
婚約者がいる子を好きになるだけでも愚かなのに、それが妹なんて哀れすぎるだろう」
「……うるせえ」
「しかも、堅物で、ちょっとやちょっとでは自分の気持ちを認めないだろ。あれぐらいの衝撃与えてやらないと動きもしないくせに。
意気地なしのお前に咎められる筋合いねえわ。
俺は、ちゃんとカレナに気持ちが向けられないと分かった時に、伯父上に謝りに出向いているんだぞ。
俺の方が、万倍素直。正直、誠実。
どだ! こればかりは、お前の負けだ!!」
「……」
震える拳をカラムは降ろさざるを得なかった。
まくし立てたケビンは肩で呼吸を繰り返す。
勢いを失ったカラムに、ケビンは一度で良いから言ってやりたかった一言を投げた。
「ざまあみろ! 恩にきれ! お前、一生、俺の子分、なっ!!」
ケビンの宣言に、それは関係ないだろうと、どすの効いた睨みを向けるカラム。
ケビンはその突き刺さる眼光に、ひっと怯えて半歩後ろに後退した。
キエラはすでに円卓で、公爵に挨拶すると、カレナの隣に座っていた。
二人の茶番を、カレナと一緒に見物する。
何事にも動じず、ただ微笑み、一言呟く。
「まるで、子どものけんか。お前の母ちゃんでべそ、レベルね」
二人の言い争いが一段落すると、王が入ってきた。
文官を束ねる侯爵も文書をもって入ってくると、四人に今後の手続きについて説明を始めた。
ケビンとカレナの婚約は穏便に解消される。
キエラを男爵令嬢のまま、ケビンの婚約者にすることは難しいため、一旦バチェラー公爵の養女としてから、婚約者とすることになった。男爵家とも、内々には話が通されている。
カレナは、公爵家から生母が嫁した侯爵家に養女に入り、落ち着いて後、カラムの婚約者となる。
手続きは順調に進み、カレナは叔母を初めて母と呼び、二人は垣根を越えて、母娘としての再会を果たした。
寮住まいのキエラが時々、公爵家に顔を出す。
カレナは時々、母が暮す侯爵家の屋敷に泊るようになった。
少しだけ、関係は変わったが、生活の拠点はあまり変わらない。
残された最後の手続きである、カラムとカレナの婚約が成立し、すべてが落ち着いた。
ある日、カラムを背後から覗き込むようにカレナが話しかけた。
「ねえ、婚約者が一つ屋根の下にいるってどんな感じ」
カラムはそっぽを向く。
背後から反対側に回り込んで、もう一度、覗き込む。
すでに彼は耳や首元まで朱に染めている。
「どんな感じなの、カラム」
口元に拳を寄せたカラムが、視線だけカレナに向ける。眉は苦し気にゆがめられていたが、けっして苦しんでいるわけではないとカレナは確信する。
か細い声でカラムは呟く。
「嬉しい……」
その一言に、カレナは心から満足した。
最後までお読みいただきありがとうございます。
今日の16時から新連載が始まります。
『一の姫の婚礼 ~「君を愛することはない」という嘘つき王子様が愛妻家になるまで~』
https://ncode.syosetu.com/n9887hx/
『二の姫の輿入れ ~生涯結婚しないと思っていた隻腕の姫が嫁入りした大国の王太子殿下を幸せにするまで~』の二の姫ラーナの姉、一の姫シーラサイドの物語です。
https://ncode.syosetu.com/n9753hr/
ブクマやポイントで応援いただけましたら、次作の励みになります。
どうぞよろしくお願いします。