9、転生の真実
聞こえてきた賑やかな声に周囲を警戒するけれど、誰の姿もないことが更なる焦りを呼ぶ。仕事柄人の気配には人一倍
敏感だ。何かあれとっくに気づいているはずなのに……
「さーちゃんてば! ここ、ここよ」
何度周囲を見回しても人の気配はない。念のため木の裏手に回ってみたが、やはり誰もいなかった。そんな私の行動は声の主にとって検討違いだったらしい。
「ここよ! 上、上」
頭上からはまるで存在を主張するかのように羽音が聞こえる。
もしかして……
「鳥さん、とか?」
「正解!」
見つめ合えば、その瞳に喜びが宿る。
「う、うそ……鳥が、しゃべってる!?」
「そう、あたしよあたし! やーっと気づいてくれたのね。久しぶり」
とても親し気に、まるで顔見知りにように話しかけられている。
「どれほどこの時を待ちわびたことでしょう。ついに前世を思い出してくれたのね」
信じられないことではあるが、白い鳥はとても嬉しそうに喋っている。
「さーちゃんて、私のことをそう呼んでいた人は一人だけだった」
しゃべる鳥は前世と言った。私の前世、山崎沙里亜を「さーちゃん」と呼んでいた人物を、私は一人しか知らない。
あり得ない期待に胸が躍る。ここは異世界だ。こんな場所にいるはずがない。もう会えるはずがないのに、それでもと期待してしまう。
とても信じられることではないけれど、自分だってこうして生まれ変わっているのなら!
「あなたはまさか!」
私の言いたいことに気付いた鳥は期待の眼差しを寄せていた。
そう、この鳥はきっと――
「私のおばあちゃん!?」
そう言った瞬間、鳥は木の枝から足を滑らせた。この反応は多分、盛大に答えを間違えたのだ。
「ちっがーう!」
鳥はめげずに体勢を立て直し、一段低い枝にとまる。ちょうど私と視線が合う高さで、見上げなくてすむのは有り難い。
「あたしは弥生さんじゃなくてモモ!」
「あ、おばあちゃんの名前……ってモモ!? え、モモって、白くてモフモフで、ポメラニアン……犬のモモ!?」
「はーい、そのモモさんです」
鳥はびしっと羽を上げる。犬と鳥は違う存在なのに、それはモモが上手にボールをとってこられた時の表情と重なった。
突然鳥がしゃべり出して、実は前世で飼っていた犬のモモで……
「嘘でしょう!?」
「ふふっ、驚くのも無理ないわね。でも本当のことなのよ。すぐには信じられないかもしれないけど、あたしはずっとさーちゃんのことを見守っていたの。もちろん前世からね」
「前世からって……」
「声は届かなかったけれど、あたしはさーちゃんのことが大好きだった。さーちゃんが散歩に連れて行ってくれる日はしっぽがとれそうなほど喜んだものよ」
確かに小さなシッポを振りながら見上げるつぶらな瞳は覚えているけど……。
「よく二人で近所の公園まで行ったわね。途中の自販機でさーちゃんはいつもリンゴジュースを買っていたわ。向かいのコンビニのお兄さんが素敵だって、いつも見とれていたでしょう?」
「なっ!?」
「散歩から帰った後は膝の上にのせてブラッシングしてくれたわね。さーちゃんの手つき、とっても気持ちよかったわ。それからさーちゃんは乙女ゲームが大好きで、特にあの学園ものの、爽やか王子のキャラが大好きだって、発売日には徹夜でプレイして。翌日は見事に寝坊」
「あああっ! モモ、また会えて嬉しい!」
「さーちゃん……あたしがモモだって、信じてくれるの?」
「あなたはモモです。間違いないわ」
早口でまくしたて、言葉に合わせて何度も頷く。
「嬉しい! 信じてくれるのね」
だって全部、モモしか知らない情報なんだもの……。
異世界転生についてはそういうものかと諦め半分。理解するよりもそういうものだと思うしかないようだ。人間が転生するのなら犬バージョンもあるに違いない。するとモモはさらにとんでもないことを言い出した。
「突然こんなことになって、さーちゃんも混乱していると思うけど、あたしさーちゃんに話さなければいけないことがたくさんあるの。実は私、女神なのよ」
突然の、それも想像を軽く超える告白に、私は混乱していた。
「私はかつて運命を管理する立場にある女神だった」
放っておけば始まりそうな回想に、慌てて待ったをかける。
「えっと、なんて?」
「もう何年も昔の話よ。あたしは調査のため、地上の生物に転生することにしたの。そうして選んだ転生先が、さーちゃん家のモモだったわけ」
「そう、なんだ……」
他に何が言えただろう。
「それでね。あたしさーちゃんに謝らないといけないことがあるの。さーちゃんが死んだのは手違いなのよ。すべては愚かな妹の過ち!」
「どういうこと?」
「あたしが地上に降りている間、運命を守っていたのは妹の女神。運命っていうのはね、些細なことで狂い始めるの。それは次第に大きな歪みとなっていく。あたしたちは歪みを正さなければならない、でもあの妹は最後までさーちゃんの歪みに気付かなかった」
モモの話では普通は途中で気付くものらしい。
「その結果、さーちゃんは事故に遭ってしまったの。あの日は何かおかしいとは思わなかった?」
「やけについてないな、とは思ったけど」
「それよそれ」
息巻いていたモモは肩を落とす。
「あたしたちも起こってしまった運命を変えることは出来ない。けど誠意をみせることは出来るってものでしょ!? それなのにっ! 誤って命を落としたさーちゃんを、なんの助けもなくこの世界に転生させたですってあの愚妹!」
私にはいまひとつ実感がわかないけれど、モモにとっては信じられないことらしい。
「あの愚妹ときたらっ! あたしたちの仕事は狂った運命の後始末なのに、それなのに!」
モモは小さいからだでぷりぷりと怒っている。きっと私のために怒ってくれているのだ。
「あたしがさーちゃんの死を知ったのは、何時間も経ってから。その頃にはさーちゃんがとっくに転生させられていたの。普通はね、運命の間違いで死んでしまった人間には手厚い待遇があるのよ。あたしは慌ててさーちゃんの魂を確認しに行ったけど、手遅れだった。すでに転生して、生まれてしまった個体にはチートを授けられないのよ!」
「チート?」
「せめて生きるに困らないように魔力値無限大とかにしてあげたかったのに」
モモはそう言うけれど、この世界には魔法は存在していないような……
「でもそれは出来なかった……だってこの世界は魔法が存在しないから! だからせめてもって、人間が生まれながらに持っている力を最大限に引き出せるようにしたわ。後付けだから、あんまり華やかな特典にならなくてごめんねえ!」
モモには申し訳ないけれど、さすがに理解の限界を超えている。そんな私のために、モモは言葉を選んで端的に伝えてくれた。
「さーちゃんは望めばなんにだってなれるのよ」
その言葉は私を新たな職場へと送り出してくれた主様のものと重なっていた。
「よーく思い出してみて? 随分と記憶力がいいと思ったことはない?」
一度目にすればたいていのことは覚えられる。
「女の子にしては身体能力も高いでしょう?」
よくジオンにも褒められていた。
「さーちゃんはずばり、ハイスペックな人間なのよ!」
「それって……凄いの?」
思い返してみれば、密偵の修業期間にも優秀だと褒められたことは多い。もしかすると密偵になれたのは、モモの言う特典のおかげ、なのだろうか。
「私が密偵になれたのはモモのおかげなの?」
しかしモモは首を振る。
「それは違うわ。さーちゃんが密偵になれたのは、さーちゃんが頑張ったからよ。ずっと見守っていたって言ったでしょう? あたしはさーちゃんが修行に励む姿を見てた。確かにさーちゃんは無自覚ならがも自身のハイスペックを発揮していたわ。でもね、全部さーちゃん自身の頑張りなのよ。だってそうでしょう? 力を持っていても上手く使えるかは本人次第なんだから」
「モモ……。ありがとう」
モモは嬉しそうに飛び上がる。けど私にはまだ疑問が残っていた。
「でもあの、今の話が本当だとして、モモはどうしてここにいるの? モモも転生したの?」
「あたしはさーちゃんを追いかけてこの世界に転生したのよ。特典は付けさせたけど、それだけじゃ心配だもの。あたし、さーちゃんのこと大好きだし」
「モモ……!」
「言葉が届くって、嬉しいものね。女神だった頃には当たり前のように意思疎通が出来ていたけど、しゃべれないのは歯がゆかったわ。犬としての生活も悪いものじゃなかったけど、さーちゃんとお話し出来ないのは寂しいじゃない?」
「なら、どうして今は話せているの?」
「あたしの声はさーちゃんにしか届かないわよ。さーちゃんが前世を思い出してくれたおかげで心が通じ合ったみたい。前世からの縁もあるしね」
「そっか……。ねえ、モモ。私、やっぱり私が密偵になれたのはモモのおかげだと思う。だからやっぱりモモにお礼を言いたい。それに、この世界でも見守っていてくれてありがとう」
「さーちゃんっ! 昔からおばあちゃん子の良い子だなって思ってたけど、本当にさーちゃんは素直で良い子に育って! 弥生さんの教育のたまものね」
「褒めても何も出ないよ?」
「いいのよ。あたしは心からそう思っているんだから。ね、さーちゃん。これからはまた一緒ね。今までは影から見守ることしか出来なかったけど、これからは堂々と、友達として話せるわ。嫌って言っても、勝手にさーちゃん家の前に巣を作ってやりますからね」
「え? 家の中に入っていいよ!?」
「何かあった時に外の方がさーちゃんの役に立てるでしょ。今までもそうしてきたしね」
いつも危険が近づいていると教えてくれたのは、偶然でも気のせいでもなかったらしい。
「あたしはさーちゃんの役に立ちたいの。さーちゃんがあの王子様に抱いている気持ちと一緒よ。さあさあ、これからはモモねえさんをたよりなさい!」
私は自分を孤独だと思っていたけれど、一人じゃやなかったと知ること出来た。気付くまでに時間はかかったけれど、こんなにも頼もしい友人がそばにいてくれた。やっと気付けた優しさに、私はもう一度感謝を告げていた。