7、従者の焦り(ジオン視点)
仕事仲間のジオン視点です
自分の肩書はロベール国の第二王子ルイス様の従者兼、護衛というものだった。一時は失業の危機に陥りもしたが、人間諦めなければどうにかなるらしい。たとえ働く場所が変わろうと、自分にとっては仕えるべき人が同じであるのなら、それでいいことだ。
しかしこの焦りは失業騒動の比じゃあない。それというのも年下の仕事仲間であるサリアが原因だ。
サリアは窮地を救われて以来、ルイス様にお仕えすることを生き甲斐としている。なにしろ自分も同じ境遇にあたるわけで、離れたくないという気持ちも理解は出来る。
理解出来ると、そう思っていた時期が自分にもあった。あの時までは確かに、そのはずだったのに……
何をどうしたら料理人になりたいなんて発想になるんだよ! あいつに限ってあり得ねーだろ! 理解出来ねーよ!
声を大にして叫びたい。仮に閃いたとしても自分が元凶だとは口が裂けても言わないでほしかった。
「それで。これは一体どういうことかな?」
硬い声に問い詰められ、のどまで出かけていた言葉を飲み込む。生憎それどころではなかったことを、きつめの呼びかけによって強制的に思い出さされた。
前述の経緯から、自分は主であるルイス様から厳しく問い詰められているところだ。笑顔で聞かれているはずが、ほとんど尋問に近い。ルイス様から感じる静かな苛立ちに冷や汗を流しながら答える羽目になった。
「それが、自分にもさっぱりでして……」
情けないことに言葉尻がしぼんでいくい。それでも従者兼護衛かよ!
肩書こそは従者となっているが、自分は持ち前の戦闘能力を生かして護衛も兼ねている。体格や実力で言えば無論、ルイス様より自分の方が強いだろう。腕力でならねじ伏せるのは簡単だ。
ただし腕力で言えば、である。それ以前にルイス様には逆らえないようなオーラがあった。これが上に立つ人間の力というやつだろう。
だが、まあ、その……自分としても多少、反省してはいる。
サリアは確かに自分との会話の後、あの結論に達したわけで。自分が何らかの引き金を引いてしっまったことは事実だろう。それ故のぬぐえない申し訳なさがこみ上げている。
自分は生きてこの部屋を出ることが出来るのか……
もう一度、ごくりと唾を飲みこんだ。
「確かに俺はサリアのことを気に掛けてほしいと頼んだけれど、おかしいな。俺は料理人になるようけしかけろと頼んだ覚えはないよ」
「い、いや、それはですね」
「俺は何か間違ったことを言った?」
「おっしゃる通りです……」
いや諦めるなよ、俺! それでも泣く子はさらに泣き出す顔面凶器と恐れられた男かよ!
頭が上がらないのはいつものことだが、今日は顔も上げられない始末だ。目が合おうものならやばい。石にでもされそうだ。
ルイス様は見せつけるように大きなため息を吐いた。
「いや、わかってはいるんだ。ジオンばかりを責めることは出来ないと。兄上との食事で口を滑らせてしまったのは俺だからね。まさかサリアに聞かれているとは思わなかったよ。本当に、あの子は優秀な密偵に育ってくれたな」
事情を聞けばルイス様にも責任の一端はあるという。もちろんルイス様にとってもあのような展開は予想外だったろう。同情するような心地で頷いていた。
まったくもってその通りだ。サリアは優秀な密偵すぎてしまった。壁越しには耳を澄まし、窓辺から室内を観察することは日常だ。
それなのに、それなのに!
「なんであいつは密偵としては優秀なくせに自分のことになると疎いんだよ!」
この一言にはさすがにルイス様も苦笑していた。
サリアとの出会いは、かつてルイス様と自分が旅先からの帰り道に助けたことが始まりだ。窮地を救ってやったところ、少女は何を思ったのかルイス様の役に立ちたいと言い出しやがった。
さすがのルイス様は困り果てていたが、少女の熱意に押された自分は、使える人間か審査だけでもしてみてはと進言してしまった。無力を知れば幼い少女も諦めるだろう。そう思ってのはずが、幼いサリアは年頃の娘らしからぬ実力を発揮してしまった。
最初は使えそうならば城のメイドにでも雇ってやる程度の気持ちだった。けどあいつはメイドに収まるような器じゃない。もっと他に、その力を発揮出来る場所があると思わせるんだ。何より、幼いながらにルイス様への忠誠は本物だった。
どんなことがあっても絶対に裏切る事はない。その信頼こそが敵の多いルイス様にとっては何よりも必要なものだと自分は思っている。
少女の有能さと覚悟を見せつけられた自分たちは、サリアを密偵として採用することを決めた。
始めは押しかけるようにして現れた部下の存在にルイス様もどう接すべきか困っていたようだが、次第に二人は打ち解けていった。自分がサリアを歳の離れた妹のように扱うように、ルイス様にとっても部下以上の存在になっていたはずだ。
だからこそ自分はルイス様以上にやるせない思いを抱えている。そばで見ていれば嫌でもわかるだろう。まったく、今のルイス様の顔をあいつに見せてやりたいぜ……
なんでこんな時に限って忍んでないんだよ!
こんなにもサリアのことが大切で仕方ないと顔に書いてあるのに。
そもそも、不要になった密偵を野放しにしておく主がどこの世界にいる。多くの機密情報を握った存在は危険分子でしかないだろう。だがルイス様は絶対にサリアが自分を裏切らないと信じている。
長年そばにいればわかるが、どう見ても二人は相思相愛だ。もしも自分が余計なことを言わなければ、サリアはルイス様のそばにいたいともう一度言えただろうか。ルイス様も頷いたのだろうか。
それは誰にもわからないと、頼むからそう思いたい。出会ってからお互いに年を重ねはしたが、サリアという存在に手を焼かされるのことは変わらないようだ。
という具合の話は別として。ルイス様はまだことの重大さを理解していない。よりにもよって、サリアが言い出した転職先が問題だ。
「けど、これはいい機会かもしれないね。サリアが自分で将来を決めたというのなら、俺はそれを応援したいと思うよ。サリアには、普通の人生を歩んでほしかったからね」
「恐れながら、ルイス様はサリアの料理スキルを楽観視しているようですね」
「どういうことかな」
鬼気迫る自分の気配を察してルイス様の表情も険しさを帯びる。
「ルイス様はご存じないでしょうがあいつは、サリアの奴は食に対する関心がとんでもなく低いんですよ」
「関心が低い? つまり、料理は苦手ということかな?」
「そんな可愛いもんじゃありません。あいつは、魚と肉は火であぶればなんとかなる。野菜は生でも食べられるからと平気で丸かじりして――あ、やべ……これ言ってよかったのか?」
本人に聞かれていたら殴られそうだなと後悔する。「壁に耳あり窓辺にサリアあり」というのは自分たちの間では常識だ。
ともあれルイス様の言いつけを守らないサリアではないだろう。そう推測してジオンは洗いざらい告白することにした。
「あれは王都にあるサリアの隠れ家に立ち寄った時のことです。まずあいつの家には料理道具なんて呼べるものは存在しなかった。わかりますか? 鍋の一つもないんです。指摘してやったらパンを買えば問題ないと言われました」
「……それで?」
心なしかルイス様の口元は引きつっている。まさかサリアがそのような食生活を送っているとは考えもしなかったのだろう。自分たちの給金は十分すぎるほどだ。
「放っておけばあいつはパンをかじってばかり! 保存もきくし、らくでいいと本人は言いやがりますが、妹分の健康状態が不安になった自分は言ってやりましたよ。少しは肉と野菜も食べろってね」
「ああ、良い判断だ」
「そもそも料理は出来るのか聞いたんですよ。そうしたらあいつ、なんて言ったと思います? 肉くらい焼けると胸を張って返されましたね。ちなみに方法を聞けば火であぶればいいんでしょうと真っ直ぐな眼差しで言うんです。とりあえず火を通せば食べられるからって」
確かに間違いじゃあないわな。けどよお!
「あいつの作った丸焼きには調味料なんて上品な味付けは存在しない。俺は野菜もちゃんと食えよと言うのが精一杯でしたが、どうせ野菜も丸かじりでしょう。その時俺は心に決めたんですよ。こいつのことはしっかり見ててやらないといけないってね。それからは月に一度、飯を奢ってはいるんですが」
「その話は初めて聞いたな」
途端に部屋の温度が低くなった気がした。
失言か? これは失言なのか!?
「あ、いや、別に内緒にしていたわけでは……と、とにかくです。何が食べたいと聞いてもまず好物がない。ならばと上等な肉を食わせてやっても肉は肉。焼けば食べられるだの、ソースはいらないときたもんです。そんな奴があろうことか料理人になりたいと言いだしたんですよ」
ここまで言えばルイス様にも事の重大さは伝わっただろう。本当に料理人になれるのか。それはいったいどれほどの時間がかかるのかということに。
「差し出がましいことを口にするようですが、黙って俺についてこいとおっしゃるべきだったのでは? あいつなら喜んでついてきたと思いますけどね」
「ジオンには敵わないな。俺の気持ちは最初からばれていたようだね」
「それくらいわかりますよ」
「本当に伝わってほしい相手には少しも伝わっていないのに?」
項垂れるルイス様があまりにも哀れで視線を逸らしてしまった。
「選択肢をね、あげようと思ったんだ」
ルイス様は昔を懐かしむように語り始めた。その眼差しにはサリアとの日々が浮かんでいるはずだ。
「サリアはあの状況で、仕方なく密偵を選ぶしかなかった。もちろん彼女の心を疑ったことはないよ。そうでなければ大切な仕事を任せることは出来なかった。でも、だからこそかな。俺から自由になる機会をあげないといけないだろ?」
そういうものだろうか。恋愛とは縁遠い環境で育った自分には難しい問いかけだ。下手に口をはさんで睨まれてもいけないしな。
ただ一つ、気になったことがある。
「もしもあいつが泣きついて、どうしても着いて行くと言ったらどうするつもりだったんですか?」
「その時は、逃がしてあげなかっただろうね」
「こじれてんなー……」
「何か言ったかな?」
「いえ何も!」
懸命な自分が二度と率直な感想を口にすることはないだろう。
サリア、本当にお前はどうして気付かないんだよ……
お役御免になった密偵の末路は決まっている。それが望む道に進ませてやるって、ここまで言ってくれてるんだぜ。
自分も相手がサリアでなければ考え直せと行っていただろう。知りすぎた人間を野に放つなんて危険すぎる。結局のところ、自分もこの主もサリアには甘いのだ。
いつしか脳裏には負けん気の強い小さな少女の姿が浮かんでいた。サリアは昔から自分にだけは反発し、妙な言いがかりをつけてきたものだ。
「ジオン、さん!」
「なんだい? お嬢ちゃん」
ルイス様のことは主様主様とうるさいくらいに慕うくせに、同じ現場に居合わせた自分のことはもう呼び捨てかと思う。だが小さな少女に目くじらを立てるのも大人げないと考えを改めた。大人の余裕を見せてやろうじゃないかってね。
「私、ジオンになんか負けませんから」
いつの間にか、普通にさん付けを忘れられていた。
「主様はいつもジオン、ジオンって……何かあるといつもジオンの名前ばかり! これからは私が一番に頼られるようになってみせますから!」
それを聴いた自分はおかしくなって吹き出し、またもサリアの反感を買うことになったわけだが。懐かしいな……。
あいつは昔から負けず嫌いで、意地っ張りだった。強面の自分相手に臆することなくそんなことを言える人間は少ないので将来大物になるだろうと予想してはいたが……
意地っ張りな妹分のことだ。放っておいたら意地をはり続けたまま、だろうな。
だとしたら可愛い妹分が笑顔になれるように一肌脱ぐとするかね。放っておいたらこの主といい、あの密偵といい、拗れてすれ違ったまま別れてしまう。
本来ならば密偵と王族。決して結ばれることのなかった二人だが、ルイス様が追放されることで皮肉にも添い遂げられる可能性が見え始めてしまった。
ルイス様、申し訳ありません。不謹慎かもしれませんが、どうやら自分はこの結末も気に入っているみたいです。自分にとってはルイス様もサリアも、大切な家族なんですよ。二人には、幸せになってほしいんです。
とまあ、そんな気遣いもサリアの密偵思考のせいで全て無駄になるわけだが……