21、そして再就職へ
穏やかな日差しの見守る街道をひたすらに歩く。
大きなトランクを抱え、つばの広い帽子を被る私は、一見どこかの令嬢のように見えなくもないけれど、私は料理人だ。そう胸を張って言えるまでに成長した。
どこまでも続く道は憂鬱だけれど、その先に待ち人がいると思えば苦でもありません。一歩、また一歩と主様へと近付いているのですから。
そもそも馬車を断り徒歩を選んだのは私です。途中までは気も急いていたので我慢したのですが、幼い頃に連れ去られた体験を思い出すのでどうも苦手で。成長したはずが、情けない理由に自分でも恥ずかしい。
そ、それに、せっかくなら主様の暮らす土地を見て回りたいですからね!
新たな理由を重ね、憂鬱を消し去る。
私が向かっているのは主様が暮らすという領主の館だ。モモは一足先に館の様子を見て来ると言い残し、飛び去ってしまった。
実は主様には今日訪ねることをまだ伝えていません。この一年、実は手紙を送ったことさえありませんでした。せっかくなら驚かせようという計画です。
歩き続けていると、林ばかりだった景色は畑へと変わる。
広がりる平野は緑に染まり、リエタナは噂通りの農業地らしい。
ちょうど目の前に広がるのはトマト畑だ。麦わら帽子を被った男性が成長具合を確かめている。遠くから見ても真っ赤に染まるトマトは美しかった。
その奥では別の男性が畑を耕している。遠くからでも判別出来るほど、屈強な体付きだ。
ぱちん――
鋏が鳴り、目の前でトマトが収穫される。手に乗るトマトは赤く食べ頃だ。
見るもの全てが新鮮で、長く見つめてしまう。そのため私に気付いた男性は帽子の下で顔を上げていた。
無言で顔を背けては印象が悪いと、私は自ら話しかけることにする。
「邪魔をしてすみません。お尋ねしたいのですが、領主様のお屋敷はこの先で間違いないでしょうか?」
「サリア?」
息をのむ気配。それにこの声は……
忘れたことはない。私はこの方にお会いするため、遠くリエタナまでやってきたのだから。
でもここは畑。領主様のお屋敷ではなくて……
「あ、主様!? どうして畑から主様の声が!?」
答えは簡単、目の前にいる男性こそが主様本人でいらっしゃるからだ。
「やあ、サリア。久しぶり」
のんきに挨拶をしている場合ではないと、珍しくも主様を前に反論したくなった。
危うく卒倒するところですよ! もう白目は御免なので気合いで踏み留まりましたけど……ってそうじゃない!
私は混乱していた。
主様は元が付けど立派な王子殿下。およそ土いじりなどされたことがない身分の方が畑にいて、今まさにトマトを収穫されていた。その事実を頭が受け入れてくれない。
主様は綺麗な動作で立たれると、畑から上がり私の方へと歩み寄って下さる。
場所は変わっても洗練された立ち居振舞いは以前の主様と変わらず、見惚れるほどに美しかった。ご本人であることをこれでもかと見せつけられている。
主様の格好は麦わら帽子に薄いシャツを羽織った軽装だ。かつて城で着ていた高貴な衣装も似合っていたけれど、軽装すらも着こなしてしまうことを私は知る。
さすが主様。何を着てもお美しい……
「てそうじゃない! 主様に畑仕事をさせるなんて、ジオンは一体何をしているの!?」
怒り任せに同行したはずの従者を探す。
そんな私に主様はのんびりと教えて下さいました。
「ジオン? ジオンなら、ほら。あそこで畑を耕しているよ」
「ジオンも!?」
主様の美しい指先を追う。少し距離はあるが、その人は今まさに鍬で畑を耕していた。硬く筋肉のついた二の腕が太陽に眩しい。
「まさか、あのやけに屈強な人って……」
そう言われると見覚えがあるような……?
ジオンは主様の付近が騒がしいと気付いたのか、手を止めこちらへと向かう。ジオンは揃いの麦わら帽子に、首にはタオルという姿が主様以上にさまになっていた。
帽子を軽く上げたジオンは私の姿を見るなり大袈裟に驚いてみせる。
「お前、サリアか!? いや、懐かしいな!」
ジオンは喜び、額の汗を拭う。一年のうちにすっかり日焼けしたようだ。
主様の肌は白いままですが、かつての陶器のような白さよりも健康的になった気がします。
「元気にしてたか?」
のんきに口を開くジオンには無性に腹が立つ。懐かしんでくれていることは嬉しいですよ。でもですね!? 誰か私の心を代弁してほしい。
「私は見ての通りです! それより、主様になにをさせているんですか!」
「サリア、これは俺がやりたいと言い出したことなんだ」
隣から、まさかの申告がありました。
「言ったろ。君のために野菜を育てるって」
「覚えていて下さったのですか!?」
思わずそう答えてしまいましたが、てっきりあれは私を勇気付けるための冗談かと……
「忘れたことはないよ。それに今は貴族の間でリエタナ産の野菜が人気でね。こうして栽培の勉強もしているんだ」
主様が帽子を脱ぎ、すかさずジオンが受け取る。こうしていると従者と主に見えなくもないけれど、その手にあるのは鍬と麦わら帽子だ。
「サリア。これを」
主様から差し出されたそれを私は躊躇いもなく受け取る。
「トマト?」
何の変哲もないトマトだ。しいて挙げるのなら、太陽の光をたっぷりと浴びて艶やかに育った食べ頃の、主様が手ずから収穫されたトマトである。
「君のために育てたんだ」
「一生大切に致します!」
呼吸をする間もなく応える。私のためと言われて大切にしないはずがありません。大切過ぎて永遠に保管していたいくらいです!
「懐かしいな、このノリ。トマト一つでそこまで喜ぶの、お前くらいのもんだぜ」
私に言わせるのなら、ジオンの発言こそ懐かしいですよ。一年離れていたはずが、口を開けばあの日の延長のように語らっているんですから。
「だって、主様が私のためって! 主様が!? ど、どうすれば……このトマト食べられない!」
「安心して。まだたくさんあるよ」
主様が両腕を広げれば、見渡す限りの畑が映る。ジオンが耕していた場所にはこれから別の野菜を植える予定らしい。
「早く君の手料理が食べたいな」
主様は当然のようにおっしゃられた。
私がここにいることを不思議にも思わず受け入れて下さる。疑いもせず、一年も前の約束を昨日のことのように語って下さった。
「お、それ俺も興味あるな!」
「誰がジオンに食べさせると言いましたか。私は主様専属料理人なんですよ!」
「いいじゃないか。三人で食卓を囲むなんて、初めてのことだろう」
「はい!」
主様の望みであるのなら、私は喜んで掌も返します。
ジオンからは相変わらずだなという視線を感じた。
「これからはずっと一緒だね」
「はい!」
私は間を置かずに答えましたが、主様はどこかしっくりきていない様子でした。何か答えを間違えたのでしょうか……不安が生まれていく。
するとジオンがわかりやすく主様に耳打ちをした。
「僭越ながらルイス様。また誤解が生まれてはいけません。加えてこいつは鈍く、ここは直球で申し上げるべきかと」
「ああ、そうだったね。それが俺の失敗だ」
私の目にはその様子が随分と親しげに映っていた。主と従者ではなく、まるで親しい友のようにも感じさせるほど気安い。
二人は私が料理修業に励んでいる間も共に過ごしていた。同じ家で寝食を共にし、毎日顔を合わせていたに違いない。めらめらと、再び私の嫉妬が呼び起されようとしていた。
「サリア」
「はい!」
羨む私には、せめてジオンに負けないよう、元気の良い返事をすることしか出来ない。いつかその親し気な輪の中に自分も入れることを夢見て……。
「君と離れてから俺は反省した」
「反省、ですか?」
「そう、反省。あれからジオンに言われたんだ。ちゃんと、わかりやすく言えって」
主様はトマトを持つ私の手を包み込む。温かな手は自分とは違う、男の人のものだった。
確か似たようなことが以前にも……
こんな時にセオドアの顔が浮かぶのはあの出会いのせいだ。兄はレモンで弟はトマト。どうでもいいところで兄弟らしさを実感していた。
けれど私の思い出は主様からの衝撃の一言で霧散する。どうやら陛下の出番はないようです。
「サリア。俺と結婚してほしい」
「はい!」
主様からのお言葉だ。解雇通知以外で断ることはないだろうと、つい了承してしまったのですが……
「結婚!?」
一拍置いて事の重大さに気が付いた。
「やりましたね、ルイス様!」
既にジオンは拳を突き上げ祝賀ムード。
主様の瞳は優しく私を見つめている。
え、な、なに!?
完全に私だけが取り残されていた。
「ずっと君だけを愛していたよ。伝えるのが遅くなってしまったね。ごめんね」
「そんな、謝らないで下さい!」
「じゃあ結婚してくれる?」
「え、あ、はいっ!?」
私の顔はトマトよりも赤くなっているだろう。気遣わなければトマトは握り潰してしまいそうだ。
幼い頃に魅了された青い瞳が目の前にある。ぼやけるほどの近さを感じた時には唇に温かなものが振れていた。
この世界の気候は前世よりも穏やかで、夏も比較的涼しいはず。それなのに、目が回るほどの熱さが一瞬にして駆け巡る。逆上せてしまいそうなほど、身体の内側に熱を感じた。
心臓はあり得ないほど早く鼓動を刻み、目を開ければ真っ赤な頬に主様が触れる。私は発熱を疑われていた。
主様の手は緩く、簡単に振りほどくことが出来るでしょう。まるでいつでも逃げて構わないと言われているようでした。
私に遠慮でもしているのでしょうか?
私が身を引くことなどありません。今度こそ、私は目をそらさずに主様だけを見つめて答えた。
「あらあら、お幸せにねー」
どこからか、モモからの祝福が聞こえる。声には慌てた様子がなく、この状況に取り乱しているのはいよいよ私だけらしい。
この状況を、ジオンにもモモにも見られている。けれどそんなことは気にならないほど、私の視界も頭も主様で埋め尽くされていた。やはりこの方との出会いは私の運命だったと泣きたくなる。
「たくさんご馳走させてください。主様」
そう口にすれば、主様は笑顔で続きを待っていらっしゃる。
そこで失態に気付いた私は慌てて訂正する羽目になった。あれほど密かに練習していたはずが、驚きの連続で消し飛んでしまっている。
「たくさんご馳走致します。ルイス様」
「ありがとう、サリア」
こうして元密偵は無事再就職、もとい永久就職を果たしたのです。
ラストは賑やかなハッピーエンド!
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サリアたちはこれから帰ってみんなで食事ですね。でもその前に、サリアなら野菜の収穫も手伝っていそうです。なんでも出来る子なので手際が良さそう。
離れていた分、これからは賑やかに幸せいっぱいな日々となることでしょう。ジオンもいるので賑やかです。
元密偵の転職を見守って下さいまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
また次のお話でもお会いできますように!




