13、王子の旅立ち(ルイス視点)
馬車は緩やかなリズムで遠い地を目指す。
俺は次第に生まれ故郷から離れていくわけだけど、不思議なものだね。感傷的になるような場面だというのに、心は冷めきっている。仮にも元王子でありながら、故郷に対する思い入れはないらしい。
今日まで故郷のために尽くしてきた。俺に期待を寄せるのであれば応えてみせよう。そのための地位と力があった。周囲から望まれる王子を演じてきた。
けれど陛下が選んだのは俺じゃない。自分を選ばないのであれば、もうこの国に未練はない。そういった判断を下してしまえる俺は冷めているのかもしれないね。
気掛かりがあるとするのなら、一人残すことになってしまった元部下のことくらいだ。
兄上に言わせるのなら、俺は全てを失ったのだろう。けれど代わりに得たものがある。サリアとの未来だ。
サリアは俺の境遇を悲しんでくれたけど、実はそれほど悲観してはいない。他ならぬ君のおかげでね。
サリアと出会ったのは俺もまだ幼かった頃。遠方に暮らす親戚の誕生を祝うため、馬車で長旅をしていた帰り、一羽の白い鳥が馬車を横切ったことが始まりだった。
鳥は何度も何度も旋回し、御者を攻撃しては強引に馬車を止めさせる。不思議に思って窓から顔を出すと、鳥はこちらをじっと見つめてきた。
まるでついてきてほしいというように動き回り、導かれるように馬車を飛び出す。向かう先では古びた馬車が同じように足止めをされていた。しかし彼らはこちらの御者以上に乱暴な動きで鳥を排除しようとしている。
ジオンの手を借りて職務質問をさせ、その隙に俺は馬車の背後へと回る。おそらく人に見られたくない物を隠しているはずだ。
予想通り、馬車から飛び出してきたのは小さな女の子だった。
「君は……」
白い鳥はこれを知らせたかったのか?
少女は明らかに怯えていた。手を差し伸べたが、じっと耐えるばかりで動こうとはしない。やがて力尽きたのか倒れてしまう。
俺たちが遭遇した一行は人攫いの集団だった。ジオンの力で彼らを制圧し、役人に引き渡してから、少女を近隣の町まで送り届けることにする。
予定を変更してまで回復を見届けてから旅立つことを決めたのは、あの白い鳥が忘れられなかったからだ。
白い鳥は女神の化身といわれている。女神が守ろうとしたのなら、何かあるに違いない。それを確かめたいと思った。もう一度、今度は会って話をしてみたかった。
目覚めた少女に外傷はなく、部屋を訪れるとぼんやり窓の外を眺めていた。視線の先にはやはりあの鳥がいる。まるで少女の目覚めを待っていたようだ。
こちらに気づいた少女は起き上がって感謝を告げようとした。
「助けてくれたの、貴方だって聞きました。ありがとうございました」
幼い割にはしっかりした受け答えだと感心させられる。自分も可愛げがないとはよく言われるけどね。
「俺は何も。でも、君が無事で良かった」
そう答えれば、少女は信じられないという眼差しで見つめ返していた。
「どうしたのかな?」
「私の無事を、喜んでくれるのですか?」
信じられないと語る瞳に、安心させるようにもちろんと言ってやる。
「俺だけじゃないよ」
窓の外を見るように言った。あの鳥が知らせてくれたこと、そばから離れようとしなかったことを教えた。
「君のことを守ろうとしたんじゃないかな。君は女神に愛されているんだね」
「うそ……」
即座に嘘だと否定する少女は、幼いなりに色々なものを目にしてきたのだろう。可哀想だとは思うけど、深入りしても出来ることは限られている。これといって特別なことも見受けられないのなら、後は任せて立ち去るべきだろう。
別れを告げようとすれば、察したそ少女が身を乗り出してきた。
「どうか私をそばに置いて下さい!」
「え?」
意味がわからなかった。背後ではジオンがまるで求婚のようだと茶化していたる。少女は笑うジオンを睨み、そんな大それたことをするはずがないと叫んでいた。
「私、貴方に仕えたいです! 貴方に必要とされたい。貴方のために働きたいです!」
「熱烈だねえ」
「ジオン」
茶化すようなジオンを嗜める。突拍子もない発言ではあるが、少女が本気であることは伝わった。だからこそ幼い相手でもきちんと告げておかなければならない。
「俺に恩を感じているのはわかる。でも君は助けられて当然の状況だった。そして俺は助けるべき立場にある人間だった。だから君は何も気負う必要はないんだ」
「もちろん助けて頂いたことには恩を感じています。でも、貴方ために何かがしたいと感じたのは別の気持ちです。貴方の役に立ちたいんです。お願いします。私、なんでもします」
「なんでもなんて、軽々しく言うものじゃないよ。俺が悪い人間だったらどうするのかな?」
「それでもいいです!」
サリアと名乗る少女の眼差しはどこまでも真っ直ぐだった。
「こう言ってますけど、どうします?」
自身が危険な立場にあることも伝えたが、どんなに言い含めても諦めようとはしなかった。名前さえも知らない俺のために働きたいと言って譲らない。
見かねたジオンが新たな提案をする。ジオンは少女が使えるのではと言いだした。何があっても裏切ることのない人間は必要だと。
俺にとってのそれはジオンだ。けれどジオンは自分一人だけではいけないと言う。
信頼する人間の後押しもあり、試しに試練を与えることになった。その結果、見事試験をクリアしてしまったサリアを密偵として雇うことになったというわけだ。
俺は最初に三つだけ約束をさせた。
人を殺さないこと。
身体は売らないこと。
俺を裏切らないこと。
いつでも彼女が日の当たる場所に戻れるように。君は俺の気苦労なんて知らずに嬉しそうに頷いたよね。
あの日雇った少女は優秀だった。見た目は普通の女の子だっていうのに、不思議でたまらないよ。
サリアは俺との約束を破ることなく、今日まで任務をこなしてきた。絶対に裏切ることのない存在は、敵だらけの世界で存外心地の良いものだった。
密偵としてのサリアはとても優秀だ。でもふとした時に普通の女の子であることを思い知らされる。次第にサリアの存在は密偵という枠に収まりきらなくなっていた。
たとえば夜会に潜入するためにワルツを教えた時。練習の相手を務めれば小さな身体に驚かされた。
誕生日を祝って一緒にケーキを食べた時。困惑していたようだが、一口食べると顔を綻ばせて喜んでいた。
サリアはこの関係が崩れてもそばにいてくれるだろうか……
俺の心が弱いせいで、大切なサリアを試すような真似をしてしまった。
サリアが望むのならもちろん、どこへだって連れて行くつもりでいたさ。たとえ密偵は必要なくても、俺にとってサリアは必要な存在だ。
それなのに少しだけ、臆病になってしまった。
攫われて、家族から引き離されて、こんな俺の密偵になって。俺にはサリアが運命に翻弄されるように思えてならない。だから一度だけ、自分から逃げるチャンスを与えてやりたかった。
それがこの結果を招いた訳で……自業自得というものだ。サリアは最初から、俺が何者であろうと関係ないと言ってくれたじゃないか。信じきれなかった俺の失態だ。
後悔に苛まれていた俺を現実に引き戻したのは不思議な音だった。俺たちが乗る馬車の天井は手を伸ばせば届く高さだが、そこに何か固いものが当たったような音がする。
異変に気付いたジオンが御者に声をかけた。
「おい、何かあったのか?」
訊ねると、御者は困ったような声で判断を仰ぐ。
「それが、屋根に鳥が……。先ほどから追い払っているのですが、頑なに動こうとしないんです」
「鳥?」
俺はジオンを押しのけて身を乗り出していた。屋根を見上げたところで白い鳥と目が合う。
「君はサリアの」
この鳥がいつもサリアを見守っていたことには気付いていた。何故知っているのかといえば、サリアを見ていたのは俺もだからね。同じ目的の相手とは必然的に目が合うに決まっているだろう。
鳥は俺の言葉に答えるように翼を上げる。まるで人間が「やあ!」とでも言っているようだ。
「サリアはいいのかい?」
鳥は仕方ないとでも言うように身を竦める。
「今日は俺のことを見守ってくれるのかな?」
鳥は頷いた。まるで意思疎通が出来ているようだ。
「ルイス様、いかがなさいますか」
「このままで構わないよ。頼もしい護衛のようだからね」
「ああ、白い鳥は神の使いといいますからね」
御者は肯定的に捉えるが、俺はどうにも複雑だ。
見守っているというよりも、監視されているような感覚に近い。鳥相手に何をいっているのか、自分でも不思議でならないけどね。
席へ戻りながら、一人残していく彼女を想う。
サリアがやると言ったのなら、あの子は必ず成し遂げる。なら自分がすべきことは彼女を待つことだ。
ジオンは料理の腕が不安だと話していたけれど、たとえ時間がかかったとしても、サリアが俺の信頼を裏切ったことは一度もない。今回のことも長期の任務と思えばいいだろう。
また会える日を楽しみにしているよ。その時には今度こそ、きちんと名前を呼んでもらおう。
「サリアの奴、大丈夫ですかね」
「俺はサリアを信じているからね。でも、そうだね。少し心配もしているかな」
「ルイス様?」
「サリアは可愛いからね。兄上に見つかったら大変だ」
サリアは自身の容姿に無頓着だが、小さかった女の子は見違えるように美しく成長した。兄でなくとも余計な虫が寄ってこないか心配だ。
そしてもしも、自分のことを快く思っていない兄に見つかってしまったら。嫌がらせをされてしまうのではないかと可愛いサリアが心配でたまらない。
「ルイス様は心配性ですね。サリアは厨房勤務、間違っても王子殿下との接点はありませんから大丈夫ですよ」
ジオンの言う通りかもしれないな。考えすぎかと、俺は嫌な想像を消し去ることにした。
「待っているよ。サリア」
不安を消し去る呪文のように、最愛の少女の名を呼んだ。




