8 宴の夜
三日後、シロウの歓迎会及びクロの快気祝い及び仕事成功祝賀会という名の、要はただ飲みたいヤツ集まれと言う飲み会が開催された。資金は勿論先日の仕事で得た成果の一部で賄われている。
その日は昼過ぎから、宴会場であるシロウの家へ大勢の人が集まっていた。
「いやなんで会場俺の家?めちゃくちゃ掃除大変だったんですけど」
「文句言ってんじゃねえよ。お前の家が宴会場になったんじゃなくて、溜まり場にお前が住むようになったんだ」
「……ああ、通りで…」
みんな慣れてんなと思った…と小声で付け足したシロウの目は、キッチンに並ぶナナとシギ、それにスラム街一の食堂からやってきた店主の三人が料理をする姿を捉えていた。どうやら主に店主とシギが調理をし、出来た料理をナナがテーブルまで運んでくれているようだ。先程シロウも手伝うと言ってみたのだが、主役なんだからダメに決まってる!と追い払われてしまった。
シロウとしてはそこまで仲良く話せる相手が他に居ないため、ナナやシギと一緒に居たいと思っての申し出だったのだが、とはいえ彼らの気遣いを無碍にすることも出来ず、手持ち無沙汰にテーブルの前にやってきた。
そこにタイミングを合わせたかのようにクロがシロウの傍へと現れたのだ。彼はシロウと異なり手伝いを申し出て断られたのではなく、最初からビールの入ったグラスを手に持っており、一目で労働する気が皆無であることが伺える。
流石はボス、その図々しさは留まることを知らない。
そしてシロウとクロはテーブルの前に二人並んで、出された料理を味わいながら立ち話をしていたところであった。
「ふん、随分と不満そうなツラしてるじゃねえか。ご主人様と一時も離れたくねえってか?」
シロウよりもやや高い位置から、ニヤニヤと愉しげな声が降ってくる。この人は人を揶揄しないと死ぬ病気にでも罹っているのだろうか。シロウは露骨に溜息を零してから、隣に立つクロを見上げた。
「はあ…。ご主人様ってナナさんのことを指してるんですか?別にそんなことないですよ。ただ彼女は人一倍俺のことを気にかけてくれているので、有難いとは思ってます」
「そういや、仕事も一緒にやってるらしいな」
「はい。キッチンカーでの販売に連れて行って貰うことが多いですね」
「ああ…、カレー美味かったぜ」
「えっ、……ありがとうございます…」
まさかクロから褒められると思わなかったのか、驚きに目を見開き固まってしまったシロウに、ふっとクロが微笑んだ。
そして、テーブルに置いてあるビール瓶を持つと、シロウの手にある空いたグラスにビールを注いだ。シロウはぎこちなく酌を受けて、グラスに口をつける。
「すみません、頂きます」
「酒は飲めるのか?」
シロウも同じように注ぎ返そうとしたが手で制され、クロは手酌したグラスをのんびり傾けつつ、シロウに問いを向ける。
「えーと…弱くはないですね、強くもないですけど…そういうクロさんはザルですか?」
「はっ、何でだよ。俺だって別に、普通だ」
何となく彼のイメージから聞いてみたのだが予想は外れたらしい。確かにまだ酔ってはいなさそうだが、彼の言うように酒を飲むペースはそこまで速くない。それに若干ではあるがいつもより雰囲気が柔らかいような気もする、これは気のせいかもしれないが。
「料理が得意なのか?」
「えっ?いや、全く…というか、今までまともにしたことなかったですね」
「その割には楽しそうに働いてるみたいじゃねえか」
「それは…、まあ料理そのものも実際やってみたら結構楽しかったってのもありますけど。どちらかというと販売する方が好きですね」
「へえ…?変わってんな」
クロが驚いたように声を漏らした、そこにはいつものような皮肉の色はない。純粋に驚いているらしい。言うほど変わっている…だろうか?確かにクロは接客を楽しいとは到底思わなさそうではある。
シロウは首を傾げてから、テーブルの上に乗った大皿から自身の皿へと料理を取り分けた。ついでにクロの皿にも装ってやる。肉類以外は拒まれた。
ポテトフライを口に運びつつ、シロウは言葉を選ぶように視線を彷徨わせる。
「そう…ですかね?お客さんからありがとうって言われたり、喜ぶ顔を見るのって、自分が必要とされているような気がして、嬉しくありませんか?」
「……考えたこともなかった」
そんなことあるか?この人今はスラムのボスやってるけど、それまで何して生きてきたんだ?意外と世間知らずなのだろうか。人からありがとうと言われることは誰だって嬉しいことだ思っていた。こんなことすら当たり前じゃないのか…シロウはカルチャーショックを受け、茫然とする。
一方クロはというと、そんなシロウの気持ちを意に介する様子もなく、平然と唐揚げを頬張っていた。ガサツに見えるが意外にも食べ方の所作は美しい。
「まあ、そんなに気に入ったのならしばらくその仕事はお前に任せる」
「……あの、そのことなんですけど」
「何だ?」
「キッチンカーで飯を売るってすげえ真っ当な仕事じゃないですか。そういう仕事ばかりを皆でやるのはダメなんですか?」
シロウがずっと考えていたことだった。クロたちが行っている仕事は仕事と呼んではいるが、どこからどう見ても犯罪だ。
例え何らかの犯罪により手にした金品を対象に盗みを働いているのだとしても、それを理由にクロたちの行為が正当化されるわけではない。
「ダメだな」
クロはシロウの提案に対して考える素振りすら見せず、即座に否定した。シロウの頬がかっと熱を持つ。
(せめてもう少し真剣に考えてくれてもいいじゃないか…!)
シロウは噛み付くように続けた。
「どうして!?」
「お前はどうしてそう思ったんだ?」
「それは…、そりゃあ今日の飯や酒だって、クロさんがそういうことして稼いだ金だってことは知ってるし、有難いとは思ってますけど…。やっぱり俺としては後暗いことして手に入れた金をあまり使いたくないというか…正直犯罪で手に入れた金なんて、汚いじゃないですか」
「ふうん?汚い金と綺麗な金があるってのか?」
「それくらい説明しなくたって、アンタにも分かるでしょう?」
「なるほどな。じゃあお前の真っ当な仕事で得た利益はいくらだ?売上じゃねえ利益だ。そしてここで暮らすやつらは何人居て、そいつらが生活するために必要な金額は?お前の言う真っ当な仕事でそいつらを養っていける算段はあるのか?」
「それは…っ、まだ具体的に考えているわけじゃないですけど…。でもみんなで努力すれば…」
「はっ、大した進言だな。お前も努力は必ず報われるなんて言うクチか?」
「綺麗事なのは分かってます!…でも…!」
「お前の掲げる理想は確かに美しい。ただ絵に描いた餅じゃ誰の腹も満たせねえ。それともお前はお前の理想のために、ここで今暮らしている連中に飢えて死ねと言えるか?そうして築いた未来がお前の望むものか?俺はそうは思わねえ。ここで暮らしている奴らは努力もせず怠けて落ちぶれたんじゃねえってのはお前ももう知ってるだろう。生まれた時から魔力が乏しいという理由だけで、親から捨てられ、国に見放され、努力する機会すら与えて貰えなかった連中だ。お前はそいつらに対して、更に我慢を強いるってのか?」
「我慢しろと言うつもりは…、彼らだって、犯罪で得た資金で生活するのを良いと思ってないかもしれないじゃないですか」
「なるほど、心理的に嫌だって言うのか?ならば、お前の言う真っ当な仕事で得た金ってのはどういうものを指す?労働者を搾取して大金を得た奴らや、周囲を狡猾に欺いて富を成した者は真っ当に成り上がった者と呼べるか?犯罪は法を犯すってことだが、その法は一体誰を守るためのもんなんだろうな」
「そんなの…単なる屁理屈だ。法がなければ国はめちゃくちゃになってしまう」
「ああ。俺たちは法を遵守する者達にとって、実に疎ましい存在だろうなあ。…だが、生きてる。そしてこれからもお国のために死んでやるつもりはねえ。それに例え俺達のことを一掃したとしても、また別の同じようなやつらが現れるだけだ。だから国は最も安全な策をとることにした。」
クロの瞳が妖しく輝き、シロウは目が離せなくなった。思わず唾を飲む。クロが勿体ぶるように続けた。
「…俺達の存在を認知しないことだ。まあ要は見て見ぬ振りってやつだな。どうやら俺がここを統率している方が国にとっても都合がいいらしい。奴らが本気を出せばここなんてすぐに潰せちまうだろう」
要はスラム街は非合法のならず者収容所になっているということだろうか。確かに好き勝手に動かれ治安を悪化させるよりは、頭がいて義賊のような振る舞いをしていてくれた方が扱いやすいには違いない。それに適度にヒーローが犯行を阻止すれば国民に対してヒーローの必要性も説くことができるだろう。持ちつ持たれつということなのだろうか…到底納得できないが、事実としてそう受け入れるほかなかった。
「でも俺は今のやり方がベストだとは思えません」
「別にベストだと思わなくていいんじゃねえか。俺だって今の状況をベストだとは思っちゃいねえし、お前に俺の考えを強要する気もねえよ」
「…え?」
「俺が俺の理想を目指すように、お前はお前の信じる理想を目指せばいい。それだけだ」
シロウを見据えていた視線が柔らかいものへと変わる。目尻を弛め笑みを浮かべる様子はいっそ慈しみさえ感じられた。
傲慢に振舞ったかと思えばシロウの考えを否定せずに背中を押すようなことを投げかけたり、本当に掴みどころのない人だとシロウは思う。
そこで会話は途切れ、二人で黙々と料理を口に運ぶ。その間シロウは先程のやり取りを反芻していた。
シロウの目指す理想…シロウはずっと自分の理想のために努力してきた。小さい頃から友人と遊ぶ時間も惜しみ、ただがむしゃらに。そして一時はその願いが叶ったと思われたのだが…結果はこの通りだ。また自分は新たな理想を追わねばならないというのか。そもそも自分の理想とは何だろう。考えてみると今まで人生を賭けて目指していたはずの理想は、今思い返してみればシロウの理想ではなく両親を始めとした周囲の理想だったのかもしれない。だとすると、自分の本当の理想、とは…?
そんなことをずっと考えていたものだから、シロウは無意識のうちに酒を飲み過ぎていたらしい。気づけば思考もすっかりと鈍り、何だか気持ちがふわふわとして落ち着かなかった。
「……おい、大丈夫か?」
シロウの異変に気付いたのか、クロが珍しく労わるような声を掛ける。ハッとして勢いよく彼の方へ顔を向けると、頭がぐわんと揺れた。同時に吐き気が込み上げてきて、胸のむかつきに顔を歪める。
「…っ、ぐ…気持ち、わる…」
「っ、待て。おい、ここで吐くんじゃねえぞ」
シロウは焦った様子のクロが面白くて、けたけたと笑い出してしまった。いつまでも笑いが止まらない。クロはそんなシロウへドン引きした表情を向けていたが、その表情もおかしかった。クロは一向に笑うのを止めようとしないシロウに対して盛大な溜息を零してから、壊れたように笑い続けるシロウを寝室まで引っ張ってゆき、ベッドへ押し込んだのだった。
◇
クロがシロウを寝室に放り込み、リビングまで戻ると既にほとんどの者の姿はなく、残っていたのは後片付けを行なっているナナとシギだけであった。
彼らは今日ほとんどの時間を働かせるだけで終わらせてしまった。流石にクロは申し訳なさを覚え、片付けを手伝うことにする。
ナナがテーブルの上に纏めていた皿を手に取り、シンクまで運ぶ。そこには洗い物を行なっているシギの姿があった。
「お、ありがとな。どこか行ってたのか?」
「バカ犬が一人で勝手に酔い潰れちまったから、寝室にぶち込んできた」
「へえ…?よほど疲れが溜まってたのかもな」
くくと楽しげにシギが喉を震わせて笑う。クロは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。
「ちゃんと飯にはありつけたのか?」
「ああ。気にかけてくれてありがとな」
「そうか、それなら良かった。…ナナ、ちょっといいか」
「ん?どうしたのクロ」
最後の皿とグラスを持って現れたナナをクロが呼び止めた。首を傾げるナナに対し、躊躇うような間が生じたが続けてクロが口を開く。
「片付けが終わったら、お前達二人にだけ話しておきたいことがある」
「なーに、あらたまって!」
「分かった。じゃあさっさと終わらせるから、先に行って待っててくれ」
ナナが重くなりそうな空気を破ろうと茶化すように答えたが、シギとクロの表情は固いままで、戸惑うように眉根を寄せる。クロが先に片付けの済んだナナを連れ、リビングのソファまで誘導した。テーブルの傍に置かれたコーナーソファの短い方にクロが腰を下ろしたため、ナナはクロと斜めになる位置に座った。
「どうかしたの?クロ」
「……腹は減ってねえか?」
「うん、平気だよ。ありがとう」
しばらくしてシギが二人の元へ姿を見せた。そしてナナの隣に腰を下ろすと、場に僅かな緊張感が生じる。
クロの瞳からは何の感情も伺えず、ナナとシギ、それぞれに視線を向けてから、ふと目を落とし口を開いた。
「犯人が分かった」
本当に驚いた際は、言葉を紡ぐことも出来ないのだとナナは思った。短く告げられたクロの言葉にひゅっと喉が鳴る。見開かれた瞳はクロを真っ直ぐに捉えていたので、隣に居るシギがどんな反応をしているかは分からなかった。
「……内通者のことか?」
ナナが何か口にする前に、シギが答えた。シギの声は緊張を帯びていて少し掠れている。
「ああ。内通者は…、カイだ」
「カイ…が……そんな…」
「それは、確かなのか?」
予想外の展開にナナはクロの言葉を繰り返すことしかできない。シギが続けて問いを向ける。それは間違いは許されないと咎めるような口調であった。
「ああ、確かだ。奴には…しばらく俺たちには関わるなと既に言ってある。この3週間何もなかっただろう?」
「……確かに、今日も居なかったけど…」
「分かった。それで、どうする?」
「シギ…」
ナナがシギを振り返る。どうする、とはどういうことだろうか。まさかカイをどうにかするということか。
「どうもしない」
「えっ!?」
「もうしばらくやつは泳がせておく予定だ。カイが内通者であることに確信は持てているが、証拠がない。それに…きっと単独犯ではない」
「それって…」
まさかユリネを指しているのだろうか。確かにユリネはカイと共にいることが多い。が、ユリネまで…?
「ユリネのことか?アイツは違うだろうな。俺はこの一連の騒動はカイ単独で行っているのではなく、やつのバックに誰かいると思っている。流石にアイツがヒーローを自由にできるとは思えないからな」
「…そっか、それもそうだね…」
「じゃあ、その黒幕が分かるまでは一切手出ししないってことか?」
「そうだな、その通りだ。お前達には早い段階で話しておくべきだと思ったから今日伝えたが、このことはまだ誰にも言うな。勿論カイにも手を出すんじゃねえぞ」
「でもそれでまた被害が出たらどうするの?」
「大丈夫だ。俺に考えがある。お前達はとにかくまだ何もするな、いいな?」
「ああ、分かった。」
「……うん」
話は以上だ、とクロが一方的に打ち切った。高圧的な物言いはいつものクロだ。ナナはもやもやとする気持ちを抱きつつも、クロからの指示に頷くほかなかった。