7 危険なお仕事
その日クロは朝から怪我をする前は日課にしていたランニングのためにスラム街と孤児院を往復していた。
スラム街へと戻ってきた頃にはすっかり息が上がっており、身体の衰えを痛感する。
やはり少しでもトレーニングをサボってしまうと身体に反映してしまうようだ。療養中もナナやシギの目を盗んで休まず鍛えておくべきだったか…と今更ながら後悔する。
その後自室でクールダウンのためストレッチを行っているところに、来客を告げるチャイムが鳴った。
「鍵なら開いてる。……何か用か?」
「診療所に居なかったんで、こっちかなと思ってな。…朝飯、まだだろ?」
にこやかな笑顔を浮かべながらクロの部屋に足を踏み入れたのはシギだった。朝飯と言いながらビニール袋を振ってみせる。袋越しからでも香辛料のいい香りが室内に広がった。クロはストレッチを続けながら応対する。
「わざわざ買って来てくれたのか?どうも」
「大分動けるようになったみたいだな。ナナとシロの手伝いをするついでに少し分けて貰って来たんだ、一緒に食べないか?カレーなんだが」
「朝からカレーかよ…アイツらの手伝いって?」
「今日のお仕事。というかまあ、最近のかな。アイツ結構器用でな、どうやらキッチンカーでの販売が気に入ったらしい。犯罪以外の仕事もあるんですねって驚いてたぞ」
「スラムに対しての偏見がすげえな」
「スラムというか、俺たちへのだろう。まああながち間違っちゃいないがな」
クロ以外の者に対しては比較的愛想の良い久しぶりの新参者をそれなりに気に入ってるようでシギが笑いながら告げる。
クロはこの間殆どベッドで過ごしていたため、シロウとの接点はまだ薄かった。皆からの話を聞く限り、彼はそれなりに上手く人間関係を築けているらしい。未だに自殺しようとしていた理由は定かではないが、必死に生きようとする姿には好感が持てる。尤もクロの方はシロウから苦手意識を持たれたままであるが。初対面での印象が悪かったことに加え、クロは元々人から好かれやすい質ではないし、クロ自身人に好かれようと努力する人間ではないので当然といえば当然である。
シギは会話を続けながらも手慣れた様子でテーブルの上に袋から取り出したカレーとナンの入った使い捨ての器を並べていた。
食事の準備が終えるタイミングでクロも立ち上がり、ダイニングテーブルにシギと向かい合う形で席に着く。
「マンゴーラッシーとストロベリーラッシーどっちがいい?」
「だからなんで朝から…はあ、じゃあストロベリーで」
「はいよ。それで、犯罪の方のお仕事についてなんだが」
ナンをちぎりカレーを掬い取りながら、淡々とシギが会話を続ける。クロもストロベリーラッシーに口をつけた。口の中が甘い。
「そろそろやるか?」
「お前の体調次第かな。ええと、今日で大体3週間ってところか?相変わらずお前の回復力は凄まじいな」
「……まあな、魔力がねえと身体能力が増すのか?」
「さあ?そんな文献見たことないが…そもそも魔力がない存在ってのが珍しいしなあ」
「隠してるだけかもしれないだろ、人に知られないに越したことはねえ」
「それもそうだ。じゃあお前の体調は良しとして、後は…内通者問題か」
「この3週間大人しくしてたようだな」
「まあ、こっちも極力そっち方面のお仕事を控えてたってのはあるが…それにしても随分静かなものだったな。やっぱり狙いはお前だったのか?」
「……いや、だったら俺が弱ってる時に狙ってこねえのはそれこそ変だろ。獲物の回復を待ってくれるなんてお優しいにも程があるぜ」
「それもそうか…じゃあ一体何が狙いなんだ?俺にはさっぱりなんだが」
食事をしていたクロの手が止まる。伏し目がちで表情は分かりにくいが、言葉を紡ぐのを躊躇っているようにも見えた。
「俺もそのことをずっと考えていた。そもそも内部に人間を送り込むのに成功してるんだから、俺やスラム街の連中を殺してえだけなら、直接狙うチャンスなんざいくらでもあったはずだ。それなのに、なぜわざわざ俺たちの計画をヒーローたちに密告してヤツらに捕まえさせようとする?殺したくないから?それにしても悪手すぎる。…そこで、考え方を変えてみることにした。…この件で最も得をするのは誰かってことだ」
「最も得する者…?」
「ああ、この一連の騒ぎを何か意味があってやってることだと考えるなら、そこには必ずメリットがあるはずだ。まあ、ヒーローをわざわざ噛ませるってことは、ヒーロー側の何かなんだろうな。現に俺たちのおかげでヒーローの支持率は大幅に上昇しているらしいぜ、少し前までは税金の無駄遣いだからヒーロー制度を廃止しろなんて言われてたのにな。はっ、現金なもんだ」
「なるほどな。だとすると、ヒーロー組織の上層部…か?」
「まあその線はあるだろうな。ただ俺としちゃもう少しスケールのデカい話なんじゃねえかと疑っている」
「いや、俺にとってはこれでも十分にデカい話なんだが。…その上って…」
「王族だ」
不意に沈黙が訪れた。シギが驚愕に顔を強ばらせる。少し言葉を待ったがクロは続けようとしない。緊張からごくりとシギの喉が鳴り、その音がやけに耳障りだった。クロは一旦話し出したことで吹っ切れたのか、シギの反応を十分に眺めたのち、食事を再開しその合間に言葉を紡いだ。
「この3週間向こうが大人しかったのは、まあ多少こちらが警戒してたからってのもあるだろうが、それだけじゃねえと思った」
「なんだ?その話に繋がるのか?」
「今王族として挙げられる問題はなんだ?」
「……後継ぎ、か?」
「ああ、その通り。国王もまあいい年だからな、そろそろ後継ぎを考えてもいい頃だろう。実際内部では揉めているらしい。後継ぎ候補は二人。第一皇子のゼンに第二皇子のユーリ」
「第三皇子は?」
「第三皇子に王位継承権はねえ。それに人嫌いの引きこもりって噂だろ?」
「……まあな、じゃあその二人のどちらかが裏で動いてるってことか?」
「そうだな。本人もしくは…皇子の支持者、それぞれの利害関係者…疑うべき人物は山ほどいやがる」
「ヒーローの指揮権を持っているという点では、第一皇子の可能性の方が高いな」
「ユーリはどちらかというと、ヒーロー否定派だからな。まあただこれも全て俺の憶測でしかねえ」
「発想が突飛すぎて、正直俺はもうついていけないよ」
「俺だって全部冗談でしたと今すぐ笑い飛ばしてえ気分だよ。…まあ少なくとも今後はその可能性も考慮して動く必要があるってことだ」
「それを踏まえてお仕事はどうするんだ?ヒーローの点数稼ぎに付き合ってあげようってか?」
「いいや、まさか。今回は少々面白い実験をしようと思ってる。…3週間何もなかったんだ。内通者はさぞかし焦れているだろうなあ?そこに丁度いいエサがぶら下がっていたら…どうなると思う?」
「おいおい勘弁してくれ。俺はボコられる趣味はないぞ」
「俺だってねえよ。それに安心しろ、エサは俺たちじゃねえ」
「じゃあ一体…まさか」
「今夜は久しぶりの仕事といこうじゃねえか。メンバーは俺とお前、それからサクだろ。後は運転手と見張り役として2人適当に集めておけ。ナナとシロは留守番だ」
「…っ、二人を囮に使うつもりか…!?」
「番犬の成長を見てやるいい機会だろう?」
「……はあ…分かった。すぐに手配しよう。どちらにせよあの二人は今別の仕事をしてくれているからな。戻ってくるとしても夕方以降になるだろう」
「じゃあ二人への連絡はお前がしておけ。サクには俺から連絡しておく」
「分かった」
「……まあ、何事もなく終える可能性だってあるんだ。あまり深く考えるな」
「ああ。…じゃあまた後でな」
現れた時と随分異なり暗い表情を浮かべていたシギだったが、クロの声音からこちらを慮る彼の心情を察して、ぎこちない笑みを返す。片付けようと伸ばした手をクロに遮られたため、彼の厚意に甘えることにして席を立った。
沈みそうになる心を奮い立たせるように自身の後頭部を掻き撫ぜてから、急いで外へと向かう。
仕事は今夜だ、準備を含め今からだと時間に余裕などない。クロの言葉は気になるが、あれは彼にとって最悪の想像をした場合として出た結論だろう。流石にいちスラム街での問題が国家を揺るがすような事態にまで発展するとはシギには思えなかった。クロは頭は切れるが、少々物事を悲観的に考え過ぎるきらいがあるのだ。今回のことも杞憂に終わるはず。
シギは改めてそう考え直し、先程から感じる胸騒ぎには目を瞑ることにした。
◇
『なんだか面白味のないターゲットだね』
「そいつは悪かったな、俺のリハビリだと思って付き合ってくれよ」
『まあ別にいいけど…』
同日夜、ターゲット宅の向かいの家の屋根の上にて
クロとクロの頭に止まっているカラスが会話していた。
カラスはよく見るとロボットであることが分かる。カラスのロボットを遠隔で操作しているのはサクで、サクは魔法工学を得意とし、魔法によるプログラミングを用いた機械の設計や、ハッキングを行い、クロたちの仕事を度々支援していた。
ただ人と接することが好きではないため、参加する際は殆ど遠隔である。そのため、仲間内でもサクの顔を見た事がないという者は多数存在していた。
『警備も手薄だね』
「何であんなに無警戒なんだ?使用人も二人しかいねえじゃねえか。罠なのかと疑っちまうレベルだ」
『財産は寝室にある魔法金庫に殆どが収められてるみたいだけど、余程そのセキュリティに自信があるんだろうね。まあボクからすると笑えるレベルだけど』
「魔法金庫か…持ち出そうとすると何か発動するか?」
『うん。そのまま触れると気を失うほどの電流を浴びることになるね、オマケにヒーローへの通報付き』
「ふうん…解除は?」
『勿論可能だよ、金庫の前までボクを連れて行ってくれればだけど』
「分かった、俺が連れて行こう。…シギ、聞こえるか」
クロは通話状態の携帯電話を耳に当てた。電話相手はシギで、彼はターゲット宅の傍に車を停めて他の仲間たちと待機していた。
「ああ、こちらは異常なしだ。ヒーローの姿も今日は見えないな」
「俺とサクで中に入る。お前たちはそのまま見張りを続けてくれ」
「分かった、何か異変があれば連絡する。気を付けてな」
あっさりと通話が切られた。クロは携帯電話を懐にしまうと、音もなく屋根から飛び降りてターゲット宅の裏に回る。
家の裏は小さな公園になっており、忍び込むのに丁度いい高さの木があることを事前に調査していた。
クロは難なく木に登り、ターゲット宅の二階のバルコニーへと降り立つ。
「ロックは?」
『待って。…解除完了』
窓のロックも魔法によるものだったようだ。最近は金持ちほど魔法によるセキュリティを好むが、クロからするとアナログ防犯設備の方が余程破るのが困難だ。つまりこの風潮は有難いという一言に尽きる。
窓を開くとそこは空き部屋であった。ターゲットの寝室はこの隣の部屋である。使用人はというと二人とも一階に居り、先程向かいの屋根から伺った限りでは何と酒盛りをしていた。本当に信じられない防犯意識である。魔法を過信しすぎではなかろうか。
そう思いながらもクロは足音を立てぬよう気を配りながら、ターゲットの寝室である部屋の前に立ち、ドアノブに手をかけようとして思い留まった。頭上のカラスに小声で囁く。
「鍵を」
『……え?嘘。掛かってないんだけど…信じられない』
「は?マジかよ…」
流石にトラップか?と警戒しながら、ドアノブを下げて扉を押した。室内は真っ暗だったが、夜目に慣れたクロに支障はない。ベッドの膨らみから発せられる大音量の鼾と歯軋りから、この家の主が寝ていることが伝わってくる。
その煩さにクロは顔を顰めつつも、どうやらトラップはなかったようだと安堵し、金庫を探すことにした。
流石に一見して分かるところにはないかと腰を据えて探すつもりでいたクロの頭からカラスが飛び立ち、壁に掛かった一枚の絵の前で器用にホバリングしている。なるほどサクの方が先に見つけたらしい。
クロがカラスの後を追い、おそるおそる額縁を外すと壁に穴が空いており、穴の中には幅20cm程の金庫が置かれていた。
サクの言うことが確かであれば、この金庫には触れてはいけない。
クロが待っていると、カラスが穴の縁に足を掛け、金庫に向かい合う形で瞳を光らせる。2分程待っただろうか、カラスが再び羽を広げ、クロの頭の上へと降り立った。もう解除が済んだらしい。一体どうやって解除しているのか、何度立ち会っても説明を受けてもクロにはさっぱり分からなかった。
クロはカラスが飛び立ったのを合図に穴の中へと手を入れ金庫を無造作に掴むと、小脇に抱えて来た道を辿る。
難なく家を出て、バルコニーから木に飛び移り、下へ降りて公園の出口まで行けば見慣れた車が一台停まっていた。
木に登ってから15分も経過していないだろう。車の窓は開いており、車内からクロの姿を確かめると見張りに行っていた者も戻ってきた。全員が車に乗り込む。滑るように走り出した車内では、あまりにも事がすんなりと運んだことにやや戸惑うような空気が流れていた。
「おかえりクロ、早かったな」
「サクのおかげでな、お前らも見張りご苦労さん」
「なんか随分呆気なかったっスね」
「そうだな。中も殆ど無警戒だった。大方魔法は万能だと勘違いしてる口だろう」
「へー。まあこっちとしちゃありがたいっスね!久々のお宝だせ!」
クロから金庫を渡された助手席に座る見張り役の男が中を開ける。金庫には予想通り収納魔法が掛かっており、大量の貴金属と紙幣が溢れるように出てきた。
「すっげえ…!」
「貴金属類は明日適当に売り捌いてこい。どうせヤバい金だろうから表沙汰になることはねえと思うが、早めに捌いちまうに限る」
「へい!お任せ下さい!」
前方に座る男二人が興奮を抑えきれない様子で語り合うのを横目に、後部座席に座っていたクロは、カラスを腕に抱いたまま身体をシートに預け、隣に座るシギに目を向けた。
「ところで、アイツらはどうしてる?」
「お家で大人しくしているようだな」
「ふうん…?ご主人様から待ては仕込まれてたってわけか」
「案外手強そうだな」
「そうだな。…なあ、そろそろシロの歓迎会でもしてやろうぜ」
脈略なく話題を変えたクロに、シギの眉が吊り上がる。怪訝そうな表情を浮かべたままシギが頷いた。
「ああ。それは別に…構わないが」
一体何を企んでいる?と言わんばかりの顔に、クロが肩を揺らして笑う。
「お前が普段から俺のことをどう思っているのかよく分かるツラだな」
「そりゃあ…何年一緒に居ると思ってるんだ」
「久々の仕事が成功した祝いでもあるんだ。何なら俺の快気祝いをそこに加えてもいい。とにかく何も考えずに楽しんでくれ」
「……分かった」
言葉とは裏腹に胡乱げに向けられた視線から、シギがクロの言い分を全く信用していないことが分かる。それでもシギがそれ以上クロに追及するつもりがないこともこれまでの経験から分かっていた。そしてクロはその距離感が好きだった。
加えてシギの言う通り、単なる楽しい宴で終わらせるつもりもなかった。流石は付き合いの長いシギである。
クロはふと腕の中のカラスへ目を落とし、声を掛けた。
「サクお前も来るか?」
『行かない。どうせ飲めないし』
「そうか、分かった。今日の報酬は別途届ける」
『りょーかい。じゃあボクはもう寝るから。これはクロの部屋に置いておいて』
「分かった。今日はありがとな、お疲れさん」
クロを見上げていたカラスの瞳から光が失われた。サクが通信を切ったのだろう。
さて、次はどんな手を打つべきか…。スラム街へと向かう車窓の向こうにある夜の街並みを眺めながら、クロは一人思考を巡らせるのであった。