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陸の計画を「楽しみにしている」とか、「できるならやってみろ」と言っていた人々はさぞかし驚いていることだろう。
異世界からやってきた若者は、夢の欠片を少なくとも一つは現実のものにした。
小さな奇跡を起こしたのだ。
ならばまた奇跡が起きるかもしれないと、希望を抱くのは愚かだろうか?
「んー、……仕方ないから、優しいお姉様が助けてあげようか?」
マリアナ海溝よりも深く落ち込む弟を見かねた美祢が、久しぶりに甘やかすことにした。突然の「優しいお姉様」発言に胡乱な目を向けてくる陸に苦笑する。
「何、いきなり……その、オネエサマって……」
「陸のダメダメな作戦に乗ってあげてもいいって話よ。ちょっと見落としがあるみたいだけど、大筋は悪くないもの」
「ダメダメって……っ! ……本当に?」
「えぇ。私を連れ出す作戦に乗ってあげてもいいわ。でもその前に、陸。ちゃんとさっきの『野蛮』とか『ふざけた』って発言は取り消して。そして、私とこの儀式に願いを込めている人々にも謝って」
こればかりは絶対に譲れないと、弟の目をしっかり覗き込む。
陸は金色の瞳に見つめられながら、ゆっくりと、しっかりと、謝罪の言葉を考えた。
「その、……姉貴の気持ちも考えずに、俺だけの考えだけで、儀式のことを悪く言ってごめんなさい。俺はこの儀式に込められた人の気持ちとか、全然考えていませんでした。姉貴が死ぬとか、心臓取り出されるとか、そっちばかりに気が向いていて、儀式の本当の意味を考えていませんでした。本当にごめんなさい」
「まぁ、及第点ね」
美祢は謝罪のついでに「助けてください、お姉様」とも言うように強要した。陸が嫌そうに顔を歪めるとそっぽを向く。
「三王子の中から、誰を王太子様に選ぼうかなぁー?」
「ぐっ……」
「どうする? 陸」
結局、陸が折れた。
ついに、その時が来た。
長方形の大きな布が何枚も釣り下がる地下の巨大空間にはあるのは、聖女のための一台の天蓋付きのベッドのようなものがある。今夜、そこは次の国王に祝福を与え、聖女の心臓を取り出すための祭壇となるのだ。
それまで静寂を保っていた空間に、これまでにないほど多くの人の気配が入ってきた。神官たちだ。彼らは低く唸るような歌を口ずさみながら、聖女が待つはずの祭壇目指してゆっくりと足を進める。ローブを上の礼拝堂に残し、偉大なる神の意志と貴い犠牲に感謝する気持ちを、祈りの言葉として歌うのだ。
先頭を進むのは女神官たちである。三人が横に並んで進んだ。次に三人の大神官たちが続く。こちらは主たる大神官が先に進み、その後ろに他の大神官が並んだ。
三人の神官の後ろには現国王クレイオスとその第一王子ライオス。三人の大神官補佐たち。リンゲンに手を引かれる第二王子ルカスと第三王子ネフィウス、と二人の王族を神官で挟むように並んでいる。
因みに、王族の護衛で付いてきた騎士たちは、この部屋に至るまでの一番目と二番目の扉の間で待機していた。もう一枚の扉との間は、次期国王となる王子が選ばれた後、男女の神官と他の王族たちが待機する場となるのだ。
この奇妙な並び方には理由がある。
神殿大文殿に保管されていた過去の記録を洗い出したところ、三人の女神官が最初に入場することは共通しているとして、その後の並び方が変わっていたことが分かったのだ。過去の事情により、王家と神殿の関係に多少の優劣が付いたためと考えられる。
そのため、主たる大神官であるゼヴェリウスが大神官をやや前に置くこの並び方を採用したのだ。実に貪欲な彼らしい考え方だった。
だが、そんな貪欲な主たる大神官が暗殺されたことにより、最年長者であるバポネル大神官が急遽その座に就くことになった。つい四日ほど前のことだ。
異例の事態に上層部の神官たちの間では大騒動だった。主たる大神官が儀式の直前に亡くなるなど、それも暗殺による死など、これまでになかったことなのだ。あり得ないことだった。
神殿の不幸は、それだけではない。
この十日ほどの間に二人の神官が暗殺されていたのだ。とりあえず先に二人の大神官と付き添いを上に行かせ、残った者たちで今後どうするか夜を徹して話し合わなければならなかった。結局、ゼヴェリウスの補佐から新たに一人を選出し、ゼヴェリウスの下にいた三人の大神官補佐の内、最年長者が急場しのぎの大神官を務めることで落ち着いた。
ゼヴェリウス急逝の翌日、二十二日に上の神殿に上がってきた者たちによれば、前日の夕方、三人の暗殺を行った下手人と思われる神官も、無残な方法で自ら命を絶ったという。
バタバタと急な変更が続いたことで、上の神殿の儀式に参加する神官たちの間にもかなりの混乱が生じていた。
だから「最後尾を固める三人のフォーメーションが直前に変わった」と報告されても、その最後尾に並ぶ二人の神官はさほど疑わなかった。ただでさえピリピリしている大神官たちを煩わせるわけにもいかないのだ。彼らは「行列の先頭と最後尾が、まるで両側に矢尻をつけた線のように尖らせる」という火傷の男の情報を鵜吞みにした。
因みに、最後尾はその火傷の男だ。
急ごしらえに整えられた行列は、じりじりと白布の間を牛歩で進んだ。
そして、ついにそれが見えた。
白い布で覆われた、天蓋付きの祭壇。
内側には人影が見える。
「聖女様にご挨拶を」
全員がこの場に到着したと判断した主たる大神官が、恭しく頭を垂れる。他の者たちもそれに従った。
天から降り注ぐ霧雨のように優しい声が、白い布の向こうから響いた。
「お久しぶり、バポネル大神官。神の啓示の話をした時以来ですね」
「覚えていてくださったとは僥倖に思います」
バポネルは以前より少し痩せた体を折り曲げた。
再び口を開きかけた彼を、天の声が遮る。
「私は私のなすべき事を分かっています。しかし、もう一つなすべき事がありました」
「……聖女様、一体、何を?」
布の向こうにいた聖女が祭壇を覆う白布を手で持ち上げると、動揺する男たちを無視して三人の女神官に鋭く指示した。
「三神官! オスカ以外の神官たちを捕えなさい! その者たちは神殿を穢す邪心を抱く者! この場に留めておかないで!」
一瞬の沈黙の後、静寂だったはずの空間が一気にざわついた。
心当たりのない神官たちは聖女に何故自分を捕えるのかと問い掛け、心当たりのある者は恐ろしい本性を現した三人の女神官から逃れようと慌てふためいていた。その間にいる王家関係者三人が女神官たちを手伝い、父親は目の見えない息子が巻き込まれまいと逃げ惑う人々を避けた。
「聖女様! 何故です?! 何故我々神官を捕えるのです?!」
バポネル大神官はアルビノの女に体を拘束されながら喘いだ。
女神官たちの体は下半身から下が巨大な蛇の姿に変わっていた。うろこで覆われた筋肉の大繩に捕らえられた、五人の神官たちは苦しみに呻く。
「それはお前たちが良く知っていることでしょう! 我が弟から聞きましたよ。この上の神殿に来てまで、恐ろしい悪巧みをしていたと!」
「それは何かの間違いです! 弟君はもう死んだはずっ……あっ」
「何ですって?」
聖女の声に怒りが滲む。
失言した老神官はあわあわと口を塞いだ。しかしもう遅い。
「私の弟を殺そうとしたのですか?!」
「違ううう違ううう! ぐっ……ご、か、……で、す……せ、……じょさ……」
「言い訳など聞きたくない! 連れて行きなさい!」
聖女の指示で、三人の女神官たちがズルズルと気絶した男たちを引き摺って行く。途中で三人の男たちが捕らえた分も奪い取った。まだ意識のある彼らも、その太い筋肉で締め付けて気を失わせる。本当に無実の神官たちには申し訳ないが、誰が邪心を抱えているのか分からないのだから仕方ない。
どこに連れて行かれ、どのような処遇を受けるか分からない彼らを見送りそうになって、一人が慌てて制止した。
ルカスだった。
「聖女様! お待ちください! あの者たちは王家にお任せください!」
「王家に?」
「あの中にはわたしが追っていた犯罪の関係者もおります。彼らが罪に手を染めていた証拠もある程度ございます。必ずや、我が王家が国法の元で罰しましょう!」
聖女は暫く考え込むと承諾した。蛇女たちに、邪な神官たちを外に控える騎士たちに引き渡すように指示する。ロープなど用意していないだろうから、魔法の見えない鎖で逃げられないように繋いでおけとも付け加えた。
そして美祢は物影に隠れていた陸を呼び出した。
「ちょっと陸! どういう事?! あなた、神殿でも殺されかけていたの?!」
「姉貴、ごめん、それは」
「何で昨日のうちに言わないの?! お姉ちゃんびっくりしたじゃない!」
「いや、違う、ちゃんと言わなかったのはごめんってば!」
めちゃくちゃに叱る姉に陸はたじろいだ。
陸のザル作戦に乗ってあげてもいいと姉が条件付きで乗ってきてから、彼はあの八人の内五人がしていた聞くにも堪えない内緒話を打ち明けたのだ。アレもあまりにひどい話で美祢も顔色を失っていたのだが、陸が死にかけたと知ったのはそれ以上のショックだったのだろう。涙目になっている。
「私に『死なないで』なんて言ってる場合じゃないでしょう?! あなたも命の危険に曝されていたんじゃ、私が何で聖女やってるのか、分からなくなるじゃない!」
「ごめんなさい! 言い忘れてて、それに俺、あいつらに殺されかけたわけじゃないし! 自分の意志だし!」
「人の事言えないじゃない! バカっ!!!」
陸殺害未遂に関しては完全に誤解です。




