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「……陸、悪いけどもう少しそのままでいてね」
暫くすると三人の女神官たちが聖女の食事を手にしてやってきた。銀のオーバルトレイに、生野菜や果物、クルミやナッツ類が乗っている。幸運なことに、蒸した魚も出てきた。今日は魚が食べられる日だった。
「みんなありがとう。食べながら気持ちを落ち着けたいから暫く一人にして。終わったら呼ぶから」
三人は鈴を鳴らしながら部屋を出て行った。
「さぁ、起きて。少し物足りないかもだけど、我慢してね。魚は全部食べていいわ」
「いらない」
「じゃぁ、半分こ。これでどう? 久々に一緒に食べたいのよ。ね?」
「うぅー……分かったよ」
キャベツのような葉野菜で魚を包んだものを渡されながら、陸は美祢の食事内容に驚いた。
質素そのもの。よく言えば素材の味を大切にしている。正確に言えば味付けがされていない。せめて塩味が欲しいところだ。味の有無だけで、「祈りの季節だから」と肉類が食べられない十三番目の月の方が、聖女の食事よりまだマシに思えてしまう。
「……いつも、こんなの?」
「これの半分くらいかしら。精進料理だと思えば大したことないし」
「うえぇ……」
この空間に来る前にオスカから食料を渡されていたことに感謝した。あれがなければ今の陸にはあまりにも物足りなさすぎる。ただでさえ『食欲お化け』と言われるお年頃なのだ。
「……なぁ姉貴。俺がこんなに言っても、考えは変わらない? 例えば、俺が泣いて頼んでも、やっぱ無理?」
「うーん、陸を悲しませたくないけど、これは、ちょっとねぇ」
「どうしても? 何で?」
「何でって、それはやっぱり、これが私の責務だから?」
「責務、責務って……そればっかり。……大体さ」
陸はブドウの房を持ち上げると、一粒ずつ口に放り込んだ。
「俺、姉貴に……もしかしたら、女神セネアかもしれないけど……とにかく、言われたんだぜ? 『この千年の呪いを終わらせてほしい』って。『神殿で待っているから』って。『俺とならできる』って。だから俺、下の神殿に入ったのに」
「やだ、私そんなこと言ってないわよ。知らないわ。それに何で陸がセネア様のこと知っているの?」
「えぇっ?」
陸は姉にも、彼が見た夢の話や、数々の史料から導き出した過去の物語を聞かせた。それこそ、十二番目の月に起きた奇跡あたりから説明した。多少話す順番は前後したものの、美祢には十分に伝わった。
さすがに美祢への想いを本人に伝えるわけにはいかないから、そこは家族愛と言うことにしておく。
アクラランの正体。世界の創造主の存在。女神セネアとの関係。神ウリテルが女神であり、嫉妬心から初めてセネアの心臓を食ってその身に取り入れたこと。それ以来、歴代の聖女たちの心臓も捧げられるようになった目的。歴代聖女の名前に隠されたセネアの存在。陸がこの世界に来た理由。その身に起きた奇跡。王国の歴史が何者かによって書き換えらえている可能性。
よくもまぁ、こんな短い時間で調べ、推理したものだ。
「そっか、陸の中にもセネア様がいたのね」
「そうみたい。前にここにあった時にちょっとおかしくなっただろ? あの時に、セネアの魔力だか魂だかが姉貴に戻ったんじゃないかって思ってるんだ」
「それからアクララン様も」
「それは仮説だけどな」
「いいえ。きっとそうだわ。だって、陸に言ったもの。『将来はアクララン様みたいになるのかしら』って。まさかこんな伏線になるとは思っていなかったけど」
以前、この場で二人が再会した時に、美祢がそのようなことを言っていた。知っていたのかと問われた美祢は首を横に振った。剣術指導を受けて体を鍛え、英雄アクラランのように強い男になるのだろうかという意味で言ったのだ。
「一度食器を片付けさせましょう。あまり時間を掛けすぎていると彼女たちが入ってきちゃうわ」
美祢の言葉で、陸は再びベッドの中に潜り込んだ。
はっきり言って、もう陸の作戦はグダグダである。
最初から詰めの甘い計画を立てていたのだが、それ以上に彼は『美祢の気持ち』というものを考慮していなかった。心臓を捧げるなどという蛮行を、彼女も当然拒絶するものだと考えていたのだ。
しかし美祢はその行為をきちんと理解していて、むしろ自ら積極的に身を捧げようとしていた。陸の考えから大きく外れた行動をとっていたのである。彼女は強い信念で儀式に向き合っているから、弟が必死に逃げようと訴えても動こうとしない。
陸の計画ステップ・ワンが「陸が上の神殿に侵入する」だとすれば、ステップ・ツーの「美祢を連れ出して隠す」から進展しないのだ。
一番の難関はステップ・スリーあたりの「女神ウリテルの怒りを鎮める」だと思っていたから、ここで計画がこけるとは思っていなかった。
「あぁっ、どうしたらいいんだ!」
寝支度を整えていた美祢の隣で、陸は呻く。オスカにもう少し助言を求めていれば良かったのに、愚かなことに、自分の計画に割と自信があった陸はそれを失念していた。
オスカもオスカでもう少し積極的にコメントしてくれれば良かったのに、と恨めしく思うが、彼がそんなことをするわけがなかった。彼が企てていた国王陛下殺害計画の妨害を宣言したのは陸だ。
『できるものならどうぞご自由に』
オスカははっきりとそう言っていた。この言葉に、国王陛下殺害計画の妨害だけでなく、この聖女奪還作戦も含んでいたとしたら? 冷静な視点から再考察を促すわけがない。そもそもオスカが今まで付き合ってくれていたのは、愛する人からそう頼まれたからだ。決して、陸の夢に共感したからではない。
国王たちにしてもそうだ。陸の計画を知っていて止めなかった。それどころか「どのように妨害するのか楽しみにしている」と言っていた。
きっと、陸の甘すぎる計画を、彼らは馬鹿にしていたのだ。
急に、悲しくなった。
「ははっ……俺、みんなから信じられていなかったのかな?」
あれほど自信満々に計画を語っていた過去の自分の愚かさに嫌気が差す。
十五歳から成人扱いされるアクララン王国において、陸はまだまだ守られるべき子どもの立場を甘受していた。成人は十八歳とか二十歳とか、そういう感覚の社会にいた彼の精神は、アクラランの若者と比較してあまりにも未熟だったのだ。
陸が「聖女である姉を助けたい」と願うことは、アクラランの大人たちにとって、「将来は世界から戦争を無くしたい」と言っているのと同じ感覚に聞こえていたのかもしれない。
つまり、無理な夢を見ていると。
この世界が続く限り、延々と引き継がれる儀式を止めることなど、彼にはできないと。
子どもの夢だから、大人たちは止めなかったのだ。何も知らない子どもは放っておいてもいずれ現実を知り、受け入れ、大人になり考えなくなっていく。
夢を見るだけなら無害だから、彼らは止めなかったのだ。
「大体、無理だったんだよ……たった一人で、俺に、何ができるっていうんだ……」
陸は急速にやる気を失った。
大好きな姉や女神から「陸ならきっとできる」と応援されてきたから、できるつもりになっていた。オスカからも「信じています」と後ろを押されたから止まらずに進んでこられた。
でも、それは、結局は幻想だったのだ。
「陸」
「姉貴……ごめん。やっぱり、俺、姉貴助けられないかも……できるつもりになっていただけかも」
弱気になる弟の肩を、美祢は抱いた。よしよしとその頭を撫でてやる。
「姉貴……俺は、姉貴を殺しちゃう……」
「馬鹿な事言わないの。それは違うわ」
美祢は陸が大きな思い違いをしているのに気付いた。それは「信じる心」を直に感じる環境にいる彼女だからこそ、思いを馳せることができたのだろう。
陸の周囲にいた人たちは、断じて陸を馬鹿にしていたのではない。
陸を傷付けないように、彼を憎まないように、期待しすぎないようにしていたのだ。
人は誰かに賭けていた大きな期待を裏切られると、掌を返すように憎しみの言葉を吐く。それまで親身になって支えていたのに、相手が失敗した瞬間にその周りから散る。
信じる心は希望であり、同時に切る導線を間違えた瞬間に大爆発する爆弾のようなものだ。だから正しい結果を生まなければならない。正しいルートを選択しなければならない。
少なくとも、国王はその恐ろしい爆弾の扱い方を知っているから、「楽しみにしている」と軽い言葉を使ったのだ。
一つの国を支配する男が、本当に陸の計画を馬鹿にしていたのだとすれば、鼻で笑い、いかに愚かしい考えか陸に分からせていたことだろう。夢見る異世界の若者には、この世界での現実を見せてその夢を叩き追ってやる事が最も効果的だと思われるから。
陸の心は、それほどの弱い。
だから、あえて触れなかったのだ。
オスカも同じような理由かもしれない。美祢はオスカに下の神殿でも何度か会ったことがあるが、よく知っているわけではない。陸が「彼は二人目の先生だ」というのでその点は感謝しているのだが、どうにもあの大神官補佐を信じきれなかった。
しかし、それでも。
「陸。落ち込むのはいいけど、少なくともあなたはここに来たわ。私を助けるために、上の神殿までやってきた。それは事実よ」




